背番号ヒストリー(31〜40番)

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背番号「31」

<カープ、背番号31の変遷>

年代 選手名 成績
1950 秋山正信 出場なし
1953-1954 小林英樹 出場なし
1955-1969 横溝 桂 1054試合2560打数623安打37本塁打221打点 打率.243
1974-1981 深沢修一 765試合794打数174安打6本塁打43打点 打率.219
1982-1983 迫丸公勝 35試合23打数3安打0本塁打2打点 打率.130
1984-1988 伊藤寿文 127試合239打数54安打11本塁打31打点 打率.226
1989-1991 片平哲也 28試合44打数15安打1本塁打11打点 打率.341
1992-1993 前田智徳 2188試合7008打数2119安打295本塁打1112打点 打率.302
1994-2001 小畑幸司 76試合35打数8安打1本塁打2打点 打率.229
2002-2020 石原慶幸 1620試合4335打数1022安打66本塁打378打点 打率.236
2021- 坂倉将吾 現役

<他球団の主な背番号31>

選手名 球団
掛布雅之 阪神
水野雄仁 巨人
真中 満 ヤクルト
屋鋪 要 大洋、横浜
塩崎 真 オリックス
永射 保 西武
高沢秀昭 ロッテ

 背番号「31」…かつては前田智徳選手もわずか2年間ではありますがつけていた背番号。ニューヨーク・ヤンキース時代のイチロー選手も「31」でした。

 そんな「31」はプロ野球全体で見れば、元阪神・掛布選手や元大洋・屋鋪選手といった名選手がつけていた番号でもあります。30番台という、背番号では大きくもなく、小さくもなくという感じですが、意外と名選手が長くつけていた番号でもあるのです。

 背番号は大きくなるにつれて、入れ代わりが激しかったりするのですが、カープではこの「31」は、一度つけると、その選手が長くその番号をつけ続けるという傾向があります。2020年に、19年のプロ野球人生に終止符を打った石原慶選手は、背番号「31」を最も長くつけていた選手です。確かに、1994年から8年間つけていた小畑幸司選手も捕手でしたが、石原慶選手の存在で背番号「31」は捕手のイメージが定着しているようですね。そして2021年からは、やはり捕手の坂倉将吾選手が引き継ぎました。ファーストを守ったり、サードを守ったりと、紆余曲折があり、2023年からは背番号「31」らしく、再び捕手一本で勝負しようとはしているのですが、どうしてもチーム事情でファーストを守ったり…。

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背番号「32」

<カープ、背番号32の変遷>

年代 選手名 成績
1950 長谷川良平 621試合197勝208敗0S 防御率2.65
1951-1952 石黒 忠 2試合0勝0敗0S 防御率11.57
1953 江原清治 出場なし
1954-1956 管田 薫 5試合0勝0敗0S 防御率2.77
1957-1958 弘瀬昌彦 348試合44勝61敗0S 防御率3.32
1959-1963 滝村修平 2試合0勝0敗0S 防御率9.00
1964-1972 三好幸雄 257試合15勝16敗3S 防御率3.48
1973 飯塚佳寛 1065試合2315打数593安打12本塁打142打点 打率.252
1973-1974 横山小次郎 142試合10勝15敗0S 防御率4.28
1975-1976 久保俊巳 357試合303打数64安打1本塁打29打点 打率.211
1977-1979 内田順三 950試合1925打数485安打25本塁打182打点 打率.252
1980-1987 永田利則 46試合66打数13安打0本塁打5打点 打率.197
1987-2004 西山秀二 1215試合2958打数716安打50本塁打282打点 打率.242
2005 M・ロマノ 58試合10勝13敗1S 防御率5.19
2006 梵 英心 1096試合3754打数990安打74本塁打357打点 打率.264
2008-2022 白濱裕太 90試合150打数23安打1本塁打7打点 打率.153
2023- 石原貴規 現役

<他球団の主な背番号32>

選手名 球団
尾花高夫 ヤクルト
坪井智哉 阪神

 カープでは1987年に南海(現・福岡ソフトバンクホークス)からカープに移籍した西山選手が、実に18年にわたって、「32」をつけていたこともあって、急に捕手の番号というイメージが付きました。西山選手以降、ロマノ投手、梵選手(1年のみ着用し、6に変更)がつけましたが、その後は2008年から白浜選手の背番号となり、2023年からはやはり捕手の石原貴規選手がつけています。カープで背番号「32」は捕手イメージの強い番号です。

 でも、このように背番号「32」の歴史を振り返ってみると、1977年から3年間着用した内田順三さんはカープの2軍監督を務めるなど名打撃コーチとして名を馳せ、1980年から8年間着用した永田利則さんは、2015年にはカープの総合コーチに就任するなど、コーチや監督として活躍されているケースが多い番号でもあるのです。

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背番号「33」

<カープ、背番号33の変遷>

年代 選手名 成績
1950 飯浜孫美 出場なし
1952 野崎泰一 186試合32勝56敗 防御率3.99
1953 寺口 弘 出場なし
1954-1956 渡辺俊治 出場なし
1957 大西 馨 出場なし
1958-1960 加古安宏 2試合2打数1安打0本塁打0打点 打率.500
1961-1962 斎藤達雄 98試合117打数18安打2本塁打14打点 打率.154
1963 岡田忠弘 77試合3勝5敗0S 防御率3.77
1964-1969 中村光也 9試合0勝0敗0S 防御率3.86
1970-1973 有田哲三 17試合1勝0敗0S 防御率5.88
1974-1975 入江道生 1試合1打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1976-1983 長内 孝 1020試合2531打数632安打104本塁打360打点 打率.250
1984 福井保夫 出場なし
1985-1989 川端 順 310試合46勝26敗19S 防御率3.00
1990-1999 江藤 智 1834試合5819打数1559安打364本塁打1020打点 打率.268
2000 J・ボール 3試合8打数2安打0本塁打0打点 打率.250
2000-2002 L・ロペス 709試合2624打数795安打129本塁打510打点 打率.303
2003-2010 鞘師智也 22試合27打数5安打0本塁打1打点 打率.185
2011 豊田 清 558試合66勝50敗157S 防御率2.99
2012- 菊池涼介 現役

<他球団の主な背番号33>

選手名 球団
郭 源治 中日
畠山和洋 ヤクルト
市川和正 大洋・横浜
橋本 将 ロッテ

 プロ野球全体で見れば、投手とも野手とも付かない背番号という感じですが、カープではここ最近は野手の背番号というイメージが定着しているのが「33」であるように思います。

  近年で「33」といえば、カープの主砲として活躍し、2度の本塁打王も獲得した江藤智選手のイメージもあるでしょう。そして、そんな江藤選手に憧れて、背番号「33」を引き継いだ菊池涼選手。俊敏で規格外の守備範囲を持つセリーグを代表する二塁手となり、2016年には優勝にも大きく貢献しました。さらに翌年、翌々年と3連覇に貢献し、現在ではセカンドとしては史上最長となる10年連続のゴールデングラブ賞、しかも2020年にはセカンドでは史上初のシーズン無失策の記録を作りました。背番号「33」はすっかり菊池涼選手の背番号として定着しています。

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背番号「34」

<カープ、背番号34の変遷>

年代 選手名 成績
1950 谷村豊明 出場なし
1953 岩井活水 1試合 0勝0敗 防御率0.00
1954-1956 石川喜理 出場なし
1957-1959 重光芳次 出場なし
1960-1963 神垣雅昭 8試合 3勝7敗 防御率3.97
1964-1974 苑田敏彦 814試合1711打数403安打23本塁打115打点 打率.236
1975-1980 高橋里志 309試合61勝61敗4S 防御率4.44
1981-1994 川口和久 435試合139勝135敗4S 防御率3.38
1995-1999 嶋 重宣 1034試合3116打数868安打126本塁打421打点 打率.279
2000-2003 田中由基 41試合4勝6敗0S 防御率6.07
2004-2006 仁部 智 8試合0勝0敗20S 防御率10.13
2007 前田健太 218試合97勝67敗0S 防御率2.09
2008 B・コズロースキー 27試合2勝1敗2S 防御率5.17
2009-2016 中田 廉 267試合15勝16敗0S 防御率4.43
2016- 高橋昂也 現役

<他球団の主な背番号34>

選手名 球団
金田正一 巨人(永久欠番)
山本昌広(山本昌) 中日
仲田幸司 阪神

 国鉄(現東京ヤクルト)と巨人で、通算400勝を達成した金田投手。2球団目となった巨人では、その背番号「34」は永久欠番となっています。それだけ、背番号「34」は大きな存在だということでしょう。なんせ、今のプロ野球界では400勝というのはまずありえない数字ですから。

 金田投手が「34」をつけていたこともあって、プロ野球全体で背番号「34」はチームを代表する左腕がつけるというイメージが出たようです。中日では50歳まで現役を守り通した山本昌投手がつけている背番号としても知られています。カープでは背番号「34」というと、やはり左腕の川口投手でしょう。その後も多くの投手がつけてきましたが、嶋投手、田中投手、コズロースキー投手、仁部投手と左腕がつけることが多いのですが、近年は2007年のマエケン、そして今の中田投手と右腕が付けるケースも出てきました。2016年からは再び左腕の高橋昂也投手がつけてます。やはり、カープの背番号「34」は左腕というイメージが脈々と受け継がれています。

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背番号「35」

<カープ、背番号35の変遷>

年代 選手名 成績
1950 古神利明 1軍出場なし
1950 鈴木銀之助 1軍出場なし
1950-1951 吉若昌弘 1軍出場なし
1952 榊原盛毅 47試合2勝7敗0S 防御率6.21
1953 中本俊彦 1軍出場なし
1954-1962 桧垣 忠 302試合463打数92安打2本塁打41打点 打率.199
1963-1965 安東 功 2試合0勝0敗0S 防御率2.25
1966-1971 竹野吉郎(充昿) 251試合198打数46安打0本塁打4打点 打率.232
1972-1976 根建 忍 1軍出場なし
1977-1979 山根和夫 278試合78勝64敗8S 防御率3.31
1980-1984 石井和行 1軍出場なし
1985-1989 杉本正志(征使) 1軍出場なし
1991-1996 望月 一(秀通) 161試合 21勝19敗7S 防御率3.94
1997 千代丸亮彦(祥士) 14試合16打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1998-1999 山根雅仁 8試合0勝1敗0S 防御率6.14
2000-2005 松本奉文 82試合103打数17安打2本塁打9打点 打率.165
2007-2010 中東直己(直瑛) 315試合305打数71安打2本塁打16打点 打率.233
2011-2012 B・バーデン 64試合210打数59安打3本塁打20打点 打率.281
2013-2019 下水流 昂 209試合342打数81安打12本塁打42打点 打率.237
2019-2023 三好 匠 378試合372打数70安打6本塁打28打点 打率.188
2024- 赤塚 健利 現役

<他球団の主な背番号35>

選手名 球団
小川淳司 ヤクルト
淡口憲治 巨人

 特に大きな規則性がないように感じるこの背番号。投手がつけたり、野手がつけたりとまちまちです。しかも、球団草創期は選手の数も少なかったせいか、「35」という背番号は控え選手や2軍の選手が付けるような大きな背番号だっただけに、1軍の試合に出場できないままプロを去ってしまった選手も多数います。

 カープで背番号「35」は、持ち主がコロコロ入れ替わるイメージのある番号です。近年では2016年はプロ初本塁打を含む5本の本塁打を放った下水流選手、その後、2019年のシーズン中にトレードにより東北楽天から獲得した三好選手が引き継ぎました。右で一発のある打者がつける傾向が強いのかと思いきや、2024年からはこの年のドラ5ルーキー・赤塚健利投手が付けることになりました。1999年の山根雅人投手以来、25年ぶりに投手が背負うことになりました。

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背番号「36」

<カープ、背番号36の変遷>

年代 選手名 成績
1950 丸岡 栄 1軍出場なし
1952 川本徳三 160試合19勝36敗 防御率4.16
1953 飯盛節一 1軍出場なし
1954-1956 山田清志 99試合3勝22敗0S 防御率4.41
1957-1958 上土井勝利 4試合0勝0敗0S 防御率0.00
1959-1963 森 圭二郎 1軍出場なし
1964-1966 小川弘文 382試合617打数129安打15本塁打56打点 打率.209
1967 梁川郁雄 204試合136打数14安打0本塁打1打点 打率.103
1968-1969 多田 勉 3試合3打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1970-1975 小林正之 103試合116打数20安打0本塁打4打点 打率.172
1975 佐野嘉幸 1189試合3149打数747安打56本塁打285打点 打率.237
1976-1977 松下建夫 1軍出場なし
1978 平田英之 9試合0勝0敗0S 防御率7.63
1979-1982 渡辺秀武 606試合118勝100敗8S 防御率3.35
1983-1989 今井譲二 263試合27打数5安打0本塁打4打点 打率.185
1990-1991 榊原聡一郎 36試合75打数16安打1本塁打2打点 打率.213
1993 井上浩司 2試合2打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1994 本原正治 73試合16勝22敗0S 防御率4.64
1995-1996 浅井 樹 1070試合1832打数523安打52本塁打259打点 打率.285
1997-1999 田中由基 41試合4勝6敗0S 防御率6.07
2000-2005 佐竹健太 261試合5勝8敗0S 防御率4.91
2006-2010 青木勇人 210試合9勝6敗1S 防御率4.16
2011-2013 菊地原毅 474試合15勝26敗3S 防御率4.51
2014 齊藤悠葵 66試合19勝23敗1S 防御率4.46
2015- 塹江敦哉 現役

<他球団の主な背番号36>

選手名 球団
田村 勤 阪神
池山隆寛 ヤクルト
山森雅文 阪急・オリックス

 かつて、36番という背番号は、大きな背番号であり、特に特徴があるという数字ではありませんでした。しかし、カープで見ると、近年は投手、しかも左投手が付ける背番号として定着しているように感じます。

 特に、他球団を見渡してみても、左腕のイメージがある背番号という感じではありません。しかし、カープに限ってみると、1997年から3年間、「36」をつけていた田中投手を皮切りに、佐竹投手、菊地原投手、齊藤投手、そして塹江投手と左腕が多いのが特徴となりました。もはや、背番号「36」はカープでは左腕のイメージとなっています。ただ、入れ代わりが激しいのも「36」の特徴。しかし、現在使用している塹江投手はすっかり背番号「36」が馴染んでおり、しかも2024年にはサイドスローに転向し、復活を印象付けました。やはりこの番号は左腕のイメージが強いと言えそうです。

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背番号「37」

<カープ、背番号37の変遷>

年代 選手名 成績
1950-1952 紺田周三 173試合390打数81安打3本塁打29打点 打率.208
1953 米山光男 586試合1332打数270安打8本塁打74打点 打率.203
1954-1955 森内勝巳 1試合0勝0敗0S 防御率27.00
1956-1961 竹下元章 1軍出場なし
1962-1964 稲尾義文 18試合17打数2安打0本塁打0打点 打率.176
1965-1969 井上 修 1035試合1097打数245安打22本塁打89打点 打率.223
1970-1974 西沢正次 418試合871打数214安打16本塁打76打点 打率.246
1975-1982 木本茂美 15試合20打数3安打1本塁打2打点 打率.150
1983-1986 金城鉄治 1軍出場なし
1987-1995 緒方孝市 1808試合5342打数1506安打241本塁打725打点 打率.282
1996-2000 野々垣武志 268試合341打数76安打4本塁打26打点 打率.223
2001-2007 岡上和典 174試合46打数9安打1本塁打2打点 打率.196
2008-2014 松山竜平 現役
2015- 野間峻祥 現役

<他球団の主な背番号37>

選手名 球団
嶋 基宏 楽天
村上雅則 日本ハム

 近年、36番は投手中心ですが、それとは対照的に、球団の創設以来、そのほとんどが野手であるという、野手特化の背番号が「37」です。過去に「37」をつけた選手を見ると、そう、2015年からカープを率いている緒方監督の名前も。緒方監督はルーキーイヤーから9年間、背番号「37」をつけ、その後、「9」へと飛躍しました。

 2015年からは野間選手が「37」をつけることになりました。緒方監督がドラフト会議の際に、その素質に一目ぼれしたともされており、自分のような三拍子揃った選手になってほしい、そしてやがてはj自身の背番号「9」の後継者としても期待する意味で、「37」を与えました。2017年には足と守備でリーグ優勝に貢献し、2018年にはついに打撃が開花。その後は良かったり悪かったり、故障もあったりではありますが、凡ミスをやらかしたり…走攻守に魅力的なのですが、何かとにぎやかな選手です。

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背番号「38」

<カープ、背番号38の変遷>

年代 選手名 成績
1950 角本義昭 1軍出場なし
1952 萩本 保 20試合1勝7敗 防御率6.46
1953 杉浦竜太郎 1軍出場なし
1954 望月重勝 17試合0勝5敗0S 防御率5.62
1954 江原清治 4試合0勝0敗0S 防御率0.00
1955 片田謙二 31試合3勝7敗 防御率3.57
1955-1957 門田良三 1試合2打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1958 井石広一 3試合2打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1960-1962 山口慶一 146試合191打数35安打2本塁打17打点 打率.183
1963 佐々木勝利 52試合0勝1敗 防御率4.52
1965 門谷 昭 3試合0打数0安打0本塁打0打点 打率 -
1966-1970 水谷実雄 1729試合5349打数1522安打244本塁打809打点 打率.285
1971-1973 石井高雄 1軍出場なし
1974 問矢福雄 39試合38打数5安打1本塁打2打点 打率.132
1975-1980 堂園喜義 1軍出場なし
1983-1985 大久保美智男 6試合0勝0敗0S 防御率3.60
1986-1989 谷下和人 1軍出場なし
1990-1995 前間 卓 38試合3勝2敗1S 防御率4.67
1996-2004 朝山東洋 152試合224打数49安打8本塁打25打点 打率.219
2005-2006 福井 敬治 268試合303打数70安打8本塁打25打点 打率.231
2007 田中敬人 21試合1勝0敗0S 防御率6.13
2008-2019 赤松真人 868試合1618打数403安打21本塁打144打点 打率.249
2020- 宇草孔基 現役

<他球団の主な背番号38>

選手名 球団
川端一彰 大洋・横浜
武田 勝 日本ハム

 支配下選手が少なかったプロ野球の黎明期では、「38」という背番号は大きな番号で、とにかくコロコロ入れ替わり立ち代りしていたようです。球団創設から6シーズンで、「38」をつけた選手は7人。1年に1人以上のペースだったわけですから。しかし、それ以降もその傾向はあまり変わらず、あまり固定して付ける選手が出ない背番号でした。

 しかし、今では「38」と言えば、2019年限りで現役引退した赤松選手のイメージが定着したように感じます。過去には9年間、背番号「38」を背負っていた朝山選手を抜き、実に12年間にわたって赤松選手が「38」をつけてきました。カープの「38」の歴史、最も長いのが赤松選手です。そして、2020年からは宇草選手が引き継ぐことになりました。赤松選手と同じく走力に魅力のある選手ですが、好不調が激しく、故障もあったりで、なかなか1軍に定着できないシーズンが続いています。

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背番号「39」

<カープ、背番号39の変遷>

年代 選手名 成績
1950 小原 修 1軍出場なし
1954-1957 原田高史 14試合21打数1安打0本塁打1打点 打率.048
1958 吉田 稔 1軍出場なし
1959 大石 清 222試合21勝18敗3S 防御率3.44
1960 佐藤邦宏 1軍出場なし
1961-1965 鈴木宇成 1軍出場なし
1966-1968 羽里 功 76試合1勝6敗0S 防御率3.55
1969-1973 水沼四郎 1333試合3064打数706安打41本塁打273打点 打率.230
1974 佐藤玖光 46試合0勝3敗 防御率4.97
1975-1978 望月卓也 113試合6勝10敗1S 防御率5.07
1979 北林 久 1軍出場なし
1980-1981 野村克彦 1軍出場なし
1982 斉藤浩行 228試合453打数89安打16本塁打41打点 打率.196
1983-1988 鍋屋道夫 6試合0勝0敗0S 防御率4.91
1989-1996 佐藤裕幸 37試合26打数2安打0本塁打1打点 打率.077
1997-1998 東瀬耕太郎 116試合2勝7敗0S 防御率4.98
1999-2004 小山田保裕 251試合19勝26敗37S 防御率4.04
2005-2014 梅津智弘 291試合8勝11敗2S 防御率3.76
2015-2019 飯田哲矢 40試合0勝0敗0S 防御率4.91
2020-2022 菊池保則 212試合16勝19敗1S 防御率3.88
2023- 長谷部銀次 現役

<他球団の主な背番号39>

選手名 球団
土井 淳 大洋
中沢伸二 阪急
矢野輝弘 阪神
中村武志 阪神
吉原孝介 巨人
島田一輝 日本ハム
藤立次郎 近鉄

 他球団を見ると、意外と捕手が多いことに気がつきます。これは大リーグで初の黒人捕手であったロイ・キャンパネラ選手が「39」をつけていたということも影響しているようです。そんなこともあり、他球団では捕手が目立つこの背番号ですが、カープに関して言えば、投手中心の背番号となっています。1997年の東瀬投手以来、20年近く、「39」は投手の番号です。近年では小山田投手、梅津投手と中継ぎで活躍した投手が続いています。

 2020年からは菊池保投手がつけることになりました。2019年に東北楽天からトレードでカープに入団し、一気にその素質が花開き、2022年までの4年間、カープでプレーし、現役引退となりました。2023年からはこの年のルーキー左腕・長谷部銀次投手に受け継がれることになりました。2024年には1軍初登板を飾り、中継ぎ左腕として頭角を現しつつあります。

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背番号「40」

<カープ、背番号40の変遷>

年代 選手名 成績
1954-1956 山本通夫 1軍出場なし
1957-1958 菊地武和 1試合0勝0敗0S 防御率81.00
1959-1960 大羽 進 446試合40勝79敗0S 防御率3.54
1961 宣山 明 1軍出場なし
1962-1966 久保祥次 709試合1266打数257安打22本塁打94打点 打率.203
1967-1974 東山親雄 20試合16打数2安打0本塁打0打点 打率.125
1975-1977 高橋慶彦 1722試合6510打数1826安打163本塁打604打点 打率.280
1978-1992 達川光男 1334試合3636打数895安打51本塁打358打点 打率.246
1993-1997 吉本 亮 100試合186打数32安打4本塁打15打点 打率.193
1996 入来 智 214試合35勝30敗0S 防御率4.25
1998-2016 倉 義和 719試合1564打数339安打23本塁打126打点 打率.217
2017- 磯村嘉孝 現役

<他球団の主な背番号40>

選手名 球団
鈴木 平 ヤクルト
脇坂浩二 福岡ダイエー
渡辺正人 ロッテ

 これほどまでに、カープならではというような背番号は珍しいかもしれません。カープで背番号「40」といえば、もう間違いなく捕手の背番号というイメージでしょう。やはり、監督も務めた達川光男選手のイメージがあまりにも強いのではないでしょうか。しかし、カープの捕手といえば「40」というイメージは、1962年の久保祥次選手以来から繋がっており、達川選手がそれを完全に定着させたということになるのでしょう。
 達川選手が15年間付けた背番号ですが、それを上回る19年にわたって付けたのが倉選手。カープの背番号「40」は、一時期、捕手以外の選手がつける時期もあり、何とあの高橋慶彦選手がつけていた時期もありましたが、結果的に捕手の背番号となっています。2016年で引退した倉選手に代わり、同じく捕手の磯村選手が引き継ぎ、捕手の系譜を受け継いでいますが、徐々に出場機会が減少気味なのが気になるところです。

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