函館オーシャンスタジアム(北海道函館市・場所はこちら

 東北日本海&津軽海峡編第2部もいよいよ最終回となりました。前回の青森から津軽海峡を渡り、いよいよ球場行脚史上初の北海道上陸です。そして降り立った場所は、世界三大夜景とされる港町・函館。今回は函館オーシャンスタジアムをご紹介したいと思います。

(写真1:JR函館駅)
 
 ♪は〜るばる来たぜ、函館〜

 というわけで、2006年4月9日、前回ご紹介した青森から出発し、津軽海峡を青函トンネルでくぐってたどり着いたのは、球場行脚史上初の北海道上陸。そしてその場所は北海道では南端部の都市・函館。

 到着したとき、「あぁ・・・こんなところまで来ちゃったんだなぁ・・・」と若干感慨深げになりましたね。やっぱり函館といえば、北島三郎さんの歌もあってか、はるばる来る場所ってイメージがありますから。私自身、函館は12年ぶりにきましたが、JR函館本線の函館駅の雰囲気も当時とはがらりと変わってました。

 


(写真2・函館市電千代台電停)
 さて、函館駅を降りると目の前の通りには函館市電が走っています。これを使えば、湯の川温泉や函館山、五稜郭などといった函館の観光スポットをおおむね巡ることができます。函館市内の走るこの路面電車、異国情緒漂う街にふさわしく、乗ってみると非常に風情のあるものです。

 さて、今回ご紹介する函館オーシャンスタジアムもこの函館市電の沿線にあります。函館駅前から湯の川方面へ走ることと約10分ほどで、千代台(ちよがだい)電停に到着します。電停の目の前には千代台公園が広がっています。


(写真3・函館オーシャンスタジアム正面)
 千代台電停を降りると目の前にあるのが函館オーシャンスタジアムです。ただ、これはあくまでも愛称で、正式名称は函館市千代台公園野球場といいます。写真3は函館オーシャンスタジアムを正面から撮影したものです。

 ちなみに、なぜ函館オーシャンスタジアムという名称が付いたのか函館太洋倶楽部という社会人チームが長年、本拠地として活動しており、その「太洋」を英語に訳すと「オーシャン」となったというわけです。あとは、函館市自体が津軽海峡に面した場所に立地しているからというのもあるでしょうね。函館といえば港町で海とは縁が深いですから。

(写真4・外野から内野方向を撮影)

(写真5・内野スタンド)


(写真6・外野方向を撮影)
 では球場の中へと入ってみましょう。今回は外野ゲート付近から撮影しました。

 写真4、写真5はいずれも内野方向を撮影したものです。この球場自体は1950年に完成したのですが、1994年に改修工事が行われたため、年月を感じさせないほど整った球場というイメージが濃くなっています。

 写真6は外野方向を撮影したものです。内野は土のグラウンドに対して、外野は天然芝となっています。

 さて、この函館オーシャンスタジアムですが、1994年の改修以来、プロ野球の公式戦も行われるようになりました。特に日本ハムファイターズが本拠地を札幌に移してからは毎年のように数試合、公式戦が行われています。ただ、公式戦を行う球場では、現代では非常に珍しいのですが、照明設備が一切ありません。今ではめったに見られない日没コールドゲームの可能性もある球場ですね。

(写真7・スコアボード)
 外野スタンドにはスコアボードがあります。スコアボードには「HAKODATE」と書かれている、電光掲示板のものとなっています。地方球場にしては結構立派なスコアボードです。

 公式戦も行われるようになったこの球場ですが、現在では両翼99.1メートル、中堅122メートルと立派な広さを誇っています。また収容人員も2万人とキャパも十分といえるでしょう。だからこそ、照明設備があれば、この球場ももっと使い道が広がるのに・・・という思いを強く抱きました。

 公式戦といえば、最近ではこの球場は北海道日本ハムの試合が数試合行われていますが、2002年には広島主催で広島VS横浜の試合が2試合行われていましたね。

(写真8・久慈次郎像)
 さて、最後に球場外にある像を撮影しました。この像は久慈次郎選手という捕手のものです。

 この選手は1891年、岩手県の生まれた選手で、早大卒業後、先ほども少しだけ触れた函館オーシャンスタジアムの由来となった社会人チーム・函館太洋倶楽部の選手兼監督となりました。捕手だった久慈選手は日本代表として沢村栄治投手とバッテリーを組み、、アメリカ選抜と戦った函館を代表する選手です。

 ちなみに、この久慈選手は選手兼監督として社会人チームの試合に出場した際、1塁手に指示を与えようとした矢先、投手の牽制球がこめかみを直撃し、2日後に亡くなったそうです。
 これで2部、計5球場を紹介した東北日本海&津軽海峡編はおしまいです。
 次回からは新シリーズ!場所は同じく東北ですが、南東北4部作。これを2度に分けてシリーズでご紹介していきたいと思います。まず次回は東北でも最も南にある福島県。そんな福島県でも第2の人口を誇るあの都市の球場をご紹介したいと思います。お楽しみに!

行脚の休憩茶屋
(行脚した球場近辺の観光スポットをご紹介します)


(写真9・五稜郭を上から撮影)
 では、今回は球場行脚のついでに、函館市内を散策してみました。街の風景を写真に収めたので、それを載せたいと思います。

 まずは函館を代表する歴史的遺稿である五稜郭です。写真9は近くにある五稜郭タワーから撮影した五稜郭の写真です。五稜郭は日米和親条約締結後、函館を開港する際に防御と役所の設置のために築かれたものだそうです。星の形が特徴的ですが、これも敵から守る防御のためだそうです。

 また番号は前後しますが写真13は、この地で戊辰戦争を戦った新撰組・土方歳三が最期を迎えた場所ということで、土方歳三像があります。また五稜郭タワー内にも土方歳三の上半身の銅像が飾られています。

 写真10〜12は五稜郭タワーから撮影した函館市内の風景です。写真10にはロープウェーで登れ、さらにはそこからの夜景は世界三大夜景とされている函館山、さらには写真11・12は天気さえ良ければ、青森県の下北半島が見えます。実は函館市よりも、下北半島の突端である大間崎の方が北にあるんですね。



(写真10・五稜郭タワーから五稜郭方向)

(写真11・五稜郭タワーから下北半島方向1)

(写真12・うっすら見える下北半島)

(写真13・五稜郭付近にある土方歳三像)

(写真14・大三坂下から)
 続いて、函館市内を歩き回ってみましたので、その写真をご紹介します。

 まず写真14〜16は映画やドラマでも良く使われるという大三坂です。「何かの番組で見たような・・・」と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 写真17は金森赤レンガ倉庫。レトロな雰囲気が漂っています。またその近くには、1923年、日本で最初のコンクリート製の電信柱がそびえ立っています。円柱というイメージのある電信柱ですが、当初は実は四角柱の形状をしていたんですね。写真19は大三坂を登りきった付近にある函館ハリストス正教会です。

(写真15・同じく大三坂下から)

(写真16・大三坂上から)

(写真17・赤レンガ倉庫軍)

(写真18・日本初の電信柱)

(写真19・函館ハリストス正教会)

(写真20・函館山ロープウェー)

(写真21・世界三大夜景:函館山から)
 写真20は函館山へ登るロープウェーがあります。やはり、世界三大夜景を一目見ようという観光客で、日没前後は非常にごった返しています。観光バスや外国人旅行客もたくさん見かけました。

 そして、写真21は函館山から撮影した函館市内の夜景です。夜景の中にハート型が見えたりすると恋がかなうという言われもあるようです。陸繋島上にある函館市の夜景は、そんな地形の形を見事に夜景が照らしている幻想的な風景です。

(写真22・函館朝市)
 そんな函館山を登った翌日は、函館のもう一つの名物である朝市に出かけてみてはいかがでしょうか。ここでは朝獲れたピチピチの魚介類を使った寿司や海鮮丼など、美味の宝庫となっています。朝からちょっと贅沢気分で魚介類に舌鼓を打つというのも良いのではないでしょうか。JR函館駅を出てすぐのところにあります。

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