2025年
1993年2月17日生まれ テキサスクリスチャン大〜ダイヤモンドバックス(14−20)〜 広島(21)〜韓国・SSG(22) 2020年シーズン終了後に自由契約。 韓国プロ野球・SSGへ経て、2023年には帰国後3Aへ |
年 | 試合 | 打数 | 安打 | 打点 | 本塁打 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
2021 | 42 | 130 | 30 | 16 | 6 | 7 | 47 | 0 | .231 |
通算 | 42 | 130 | 30 | 16 | 6 | 7 | 47 | 0 | .231 |
2020年のシーズンオフ、カープが右の大砲候補として獲得したクロン選手は身長195センチ、体重115キロとかなり大柄な選手で、見るからに大砲という雰囲気。当時は、実際に動画を見たときに、「これはカントリー(ブラッド・エルドレッド選手)の再来ではないか!」と見間違えそうになるほどでした。大砲のイメージどおり、メジャーデビューした2019年には6本塁打、3Aでは38本塁打を放ち、当時のカープでは鈴木誠也選手に次ぐ長距離砲として期待されました。
2021年シーズンも前年に続いて新型コロナウイルス感染拡大の影響で、新外国人選手の入国が制限される中、クロン選手は早めにビザを取得したことで、入国が認められ、年明け早々の1月3日には来日し、自宅待機をしていました。この年の12球団の新外国人選手で唯一、キャンプに間に合ったのです。これは何よりのファインプレーでもあり、日本野球に馴染む時間を多く取れることにもつながりました。
オープン戦でも初戦からスタメン起用され、2試合目には豪快なアーチを放ち、続く試合では満塁ホームランも放ったクロン選手。思っていたよりも柔軟性のある打撃に期待が膨らみましたが、勢いは長くは続かず、オープン戦で放ったヒットはその2本のホームランのみ。快音は聞かれず、32打数2安打、打率.063という厳しい成績に終わりましたが、オープン戦で実戦を積めたことは、新型コロナウイルスの影響で何かと制約が多かった中で大きなプラス要素でした。
開幕戦で詰まりながらもセンター前に運ぶ来日初安打、5試合目には待望の一発も放ち、徐々にギアを上げてきたかとも思われましたが、調子の波が激しく、不調の時期も長い…。しかも、当時の佐々岡監督の右打者の起用は、結果を残しても次の試合ですぐにスタメンから外してしまう傾向から、クロン選手も「さあ、これから」というところで、ベンチスタートとなる日々で、なかなか調子のリズムが掴めないままでした。
結局、6月12日のオリックスとの交流戦で4打数3三振と、バットは空を切り、それを最後に2軍暮らしとなりました。ファームでは何とか日本野球に慣れようとしましたが、結果はなかなか伴わず、そのままシーズンを終えることになりました。結局、この年、クロン選手は6本塁打。なかなかパワーを試合で活かすことは出来ませんでした。ただ、球団としては翌年も契約するかで迷いはあったようです。練習熱心で、日本の野球に慣れようと必死な姿があったからでしょう。そもそもエルドレッド選手も適応には時間がかかったわけで、ましてや右の大砲は適応に時間がかかる傾向はありますから。
しかし、新たな右の大砲候補を獲得できたことで、クロン選手には今季限りと伝えられたそうです。あと1年、様子を見てみたかった、調子が上昇気流のときにもっと積極的に起用してあげてほしかった…そんなクロン選手、2022年は韓国プロ野球の仁川に本拠地を置くSSGランダーズに入団することが決まりましたが、11本塁打を放った一方で、打率は.222と目立った数字は残せず、その年限りで退団となりました。さらにその後は帰国し、翌年にはオークランド・アスレチックス傘下の3Aラスベガスでプレーしましたが、5月には自由契約となったようです。
1993年4月12日生まれ フラグラ大〜レイズ(14−18)〜レンジャーズ(19−20)〜広島(21) シーズン終了後に退団後、マリナーズとマイナー契約。 |
年 | 試合 | 勝 | 負 | S | 投球回 | 四死球 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 |
2021 | 33 | 0 | 0 | 0 | 21.2 | 15 | 21 | 11 | 4.57 |
通算 | 33 | 0 | 0 | 0 | 21.2 | 15 | 21 | 11 | 4.57 |
中継ぎ左腕の補強が大きなポイントでもあったカープが獲得したバード投手。エルドレッド駐米スカウトが自宅に足を運び、ピッチングをしている動画を撮影し、それを球団に送付し、球団幹部がチェックし、獲得に向けてゴーサインを出したといいます。新型コロナウイルスが世界的に感染拡大する中で、マイナーの試合が中止となり、スカウティングが難航を極める中で、エルドレッドスカウトが機転を利かせて獲得に至りました。
ややサイド気味の変則左腕で、ストレートの球速は150キロを超えるほど。マイナーでは通算214試合に登板し、防御率2.66という安定した数字を残しました。ただ、カープ入団前年の2020年はメジャー昇格はなく、マイナーは新型コロナウイルスの影響で全試合中止…登板機会がないというブランクに加え、新型コロナウイルス感染拡大に伴う入国制限のために、来日が4月下旬まで繰り下がったことも、大きな不安材料でした。
来日遅れ、その後の2軍での調整を経て、1軍昇格を果たしたのが6月14日のこと。昇格直後の埼玉西武との交流戦で来日初登板を果たし、1回を3人でピシャリ、2つの三振を奪うという完ぺきなピッチングを見せました。1年間実戦登板がなかったというブランクに対する不安を一掃する投球でした。その後は、中継ぎで1イニングを託されることもあれば、左の変則というピッチングフォームもあり、ワンポイント起用も目立ちました。ただ、コントロールには課題があり、終わってみれば21.2イニングを投げて、15四死球というのはやや多すぎました。
結果的に防御率4.57、また1イニング当たりの出塁走者数の平均を示すWHIPは1.57と、中継ぎ投手としてはちょっと高すぎる数値。その一方で、33試合に登板しながら、失点を喫したのはわずか4度にとどまりました。つまり、おおむね自分の役割をしっかり果たすのですが、時々大炎上する傾向がありました。振り返れば、9月22日の巨人戦で1死しか奪えず6失点を喫しましたが、これがなければ、防御率は2.10だったわけですから。
カープとしては、来季も契約を更新する可能性もあったといいます。しかし、来季に向けて新外国人左腕のニック・ターリー投手を獲得できたことが、そして、左打者に対して被打率.263と、右打者の.262とほぼ変わらない、特段左打者に強いわけでもなかったこと…こういったことが、1年のみの在籍で終わってしまった理由なのかもしれません。退団後はアメリカに帰国し、シアトル・マリナーズとマイナー契約を結びました。
1993年1月14日生まれ ソウシオ13オシオス高〜パイレーツ(09−20)〜広島(21) シーズン終了後に退団。ドイツの野球リーグと契約。 |
年 | 試合 | 勝 | 負 | S | 投球回 | 四死球 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 |
2021 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2.2 | 5 | 2 | 3 | 10.13 |
通算 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2.2 | 5 | 2 | 3 | 10.13 |
ネバラスカス投手は2009年、16歳のときに米大リーグ・パイレーツと契約を結び、リトアニア出身としては初のプロ野球選手となりました。さらに、2017年にメジャーデビューを飾り、史上初のリトアニア出身メジャーリーガーが誕生したのです。その年のシーズンでは中継ぎでの登板で見事、メジャー初勝利をマーク。カープ入団の前年までの4年間で、メジャーで中継ぎとして76試合に登板し1勝4敗5ホールド、防御率6.81の成績を残しました。マイナーも含めると、キャリアのほとんどが中継ぎでの起用でした。
そして2021年、カープに入団。もちろん日本球界でも初のリトアニア出身選手となりました。そんなネバラスカス投手のストレートは150キロ台中盤、カットボールと130キロ台前半の高速カーブが大きな武器で、2020年はメジャーでも19イニングで23個の三振を奪っており、三振を奪えるタイプとして期待されました。これだけを見ても、中継ぎタイプという印象ですが、カープは先発として期待していたようで…個人的にはこの点が非常に気になりました。なんせ、メジャーでは先発経験はなく、マイナーでも2015年を最後に先発はなかったのですから。選手を無理に戦力の穴に当てはめようとしているのではないか…そんな印象も受けました。
この年、新型コロナウイルスの影響で来日が遅れたネバラスカス投手。5月12日のウエスタンリーグ・中日戦で来日初登板を果たし、4回をパーフェクトに抑えるピッチングを見せました。しかし、コロナ禍による戦力不足により、先発経験にブランクがあり、しかも初来日でわずか2度のみ登板しただけにもかかわらず、5月30日、千葉ロッテ戦で来日初登板初先発を余儀なくされました。球速は最速で154キロをマークしても、コントロールが乱れまくり、登板途中には親指からも出血があり、3回途中3失点、80球も要して降板…その結果は投げる前から分かっていました。やはり調整不足、見切り発車…
終わってみれば、日本での登板はその1試合のみ。シーズン後半はウエスタンリーグでも中継ぎで登板し、まずまずの結果を残してはいたのですが、「ネバラスカス投手は先発!」と決めつけていたのか、1軍でのチャンスは二度とないまま、シーズン終盤には帰国、オフとともに退団が発表されました。本来の慣れ親しんだ起用法で、さらにもう少し調整期間を与えていれば、違った結果が出ていたかも知れません。球団、首脳陣が本人の能力を見誤った側面も大きかったように思います。それゆえ、せっかくコロナ禍の中で来日してくれたのに、持ち味を発揮させてもらえず残念だった…そんな印象ばかりが残ります。退団後はドイツの野球リーグと契約を結んだようです。
1992年4月9日生まれ ウエストバージニア大〜ブルージェイズ傘下(15−17)〜 ヤンキース傘下(17−19)〜ロイヤルズ(19−21)〜広島(22−23) 2023年シーズン終了後に来季の契約を行わず、退団。 その後、アメリカの独立リーグに入団 |
年 | 試合 | 打数 | 安打 | 打点 | 本塁打 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
2022 | 128 | 448 | 122 | 74 | 17 | 57 | 105 | 0 | .272 |
2023 | 70 | 226 | 51 | 31 | 6 | 29 | 56 | 1 | .221 |
通算 | 198 | 674 | 172 | 105 | 23 | 86 | 161 | 1 | .255 |
2021年のシーズンが終了し、それまで チームの4番を務めていた鈴木誠也選手がポスティングシステムを利用してのメジャーリーグへ移籍することが決定的な状況となりました。それを受けてカープは鈴木選手に代わる4番候補、そして右の長距離砲の補強が急務となりました。そこで獲得したのがマクブルーム
選手でした。メジャーでの通算は6本塁打ですが、2021年は3Aで115試合に出場し
、32本塁打を放つ長打力が魅力のバッターであり、チームの補強ポイントに的確にフィットする打者として期待されました。
マクブルーム選手が初来日した2022年も、前年に引き続き、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、入国規制がありました。マクブルーム選手も当時はカープでの1年目であるにもかかわらず、キャンプには参加できない状況で、来日もウエスタンリーグ開幕前の3月12日までずれ込みました。ドタバタ
が続く状況の中で、急ピッチの調整が求められ、日本の野球に慣れる間もなく、3月29日、開幕から2カード目にして1軍昇格、6番レフトで初出場となりました。それでも、翌日には早くも4番ファーストで起用され、来日初打点もマークしました。上々のスタートを切りました。キャンプに参加できず、日本の野球に馴染む機会が少ないまま、突貫工事で仕上げ、なかば強引に4番を務めることになった中で、マクブルーム選手は適応力の高さを見せたのです。
マクブルーム選手は来日1年目から、主にチームの4番としてチーム最多の17本塁打74打点を挙げる活躍を見せました。来日が遅れ、調整がバタバタした中で、それでもこれだけの数字を残し、鈴木誠也選手が抜けた穴をある程度埋めることができただけに、その貢献度は非常に大きなものでした。
2年目はさらなる飛躍が期待され、開幕から4番を務めました。新井監督も4番にマクブルーム選手を固定して起用し続けました。しかし、開幕から不振続きで、新井監督も辛抱の起用を続けてきましたが、6月中旬、打率が2割1分5厘まで落ちたところで、調整のため、1軍の登録を抹消されました。2軍での調整が続く中、7月下旬には、試合中に足を痛め右大腿二頭筋長頭の肉離れと診断され、約1ヶ月の離脱 もありました。
9月上旬に1軍復帰を果たしましたが、チームが優勝やCS争いに加わる中で、もはやマクブルーム選手にスタメンでの居場所はなかったようです。起用は主に代打となり、特にCSでは
ベンチメンバーから外れることもありました。この時点でマクブルーム選手は、新井監督の中には来季の戦力構想から外れていたのかもしれません。
シーズン終了後、球団はマクブルーム 選手に対して、来季の契約更新を行わない旨を通知しました。ドタバタしながらも来日1年目にチームの4番に座り活躍したマクブルーム選手。鈴木選手という大きな戦力が抜けた穴を可能な限り埋めてくれる活躍を見せてくれたこと…マクブルーム選手の存在がなければ、2022年のシーズンは最下位に終わっていた可能性もあるでしょう。そういった危機を救い出し、CS争いにまで持ち込むことができたのも、マクブルーム選手のおかげであるところは大きかったと思っています。カープ退団後の2024年は、アメリカの独立リーグ・アトランティックリーグのロングアイランド・ダックスに入団し、プレーを続けているようです。
1994年3月22日生まれ ガレラ高〜フィリーズ(17−19)〜ホワイトソックス(20)〜 レンジャーズ(21)〜広島(22−23)〜タイガース(24−) シーズン終了後に来季契約更新を行わず、退団。 デトロイト・タイガースとマイナー契約 |
年 | 試合 | 勝 | 負 | S | 投球回 | 四死球 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 |
2022 | 13 | 3 | 4 | 0 | 70 | 26 | 59 | 28 | 3.60 |
2023 | 21 | 4 | 1 | 0 | 45 | 19 | 39 | 11 | 2.20 |
通算 | 34 | 7 | 5 | 0 | 115 | 45 | 98 | 39 | 3.05 |
先発ローテーションの5番手、6番手を担う投手がなかなか安定しない状況にあって、その戦力の穴を埋めるべく、2022年オフ、カープが先発候補の期待を込めて獲得したのがアンダーソン投手でした。メジャーでは19試合に登板し、先発も2試合経験し、来日前年の2021年にはレンジャーズ傘下の3Aで15試合に登板、うち12試合で先発し、防御率3.06という安定した数字を残しており、「やっと先発らしい投手を獲得できた」という印象でした。
ただ、2022年は新型コロナウイルス感染拡大に伴い、入国制限があったことで、来日が遅れる事態に…。初めて異国の地でプレーする外国人選手にとっては、調整が難しいシーズンとなりました。アンダーソン投手も来日が遅れることとなりました。
2022年5月5日…開幕から1ヶ月以上遅れて、ようやくアンダーソン投手の来日初登板の日がやってきました。マツダスタジアムでの巨人戦で先発し、ややコントロールには苦しみましたが、それも相手にとっては「荒れ球」として、的を絞りにくそうにしているようにも見えました。ストレートは最速152キロで、球威で押す投球で、序盤から4者連続三振の素晴らしい立ち上がりで、終わってみれば、7回まで被安打1、無失点という素晴らしい投球を見せたのです。背番号「42」、しかも来日初登板で相手を圧倒するような投球を見えた…どこか、あのクリス・ジョンソン投手を思い出すような内容に期待が膨らみましたが、シーズン途中に新型コロナに感染したり、コンディション不良があったりで、なかなか安定した登板することが出来ず、結果的に3勝どまりとなりました。
そして2年目も先発ローテーションの一角としてスタートし、安定した投球を見せていた時期もありましたが、6月、試合中に右ひざの違和感により降板し、戦線離脱を余儀なくされました。さらに、アンダーソン投手自身から中継ぎをしたいという要望を受けたことで、シーズン途中からは中継ぎに転向となりました。
来日1年目に3勝を挙げたアンダーソン投手は、2年目の今季、昨季を上回る4勝をマークし、防御率2.20とある程度の結果も残しましたが、3年目へ向けた契約更新はなく退団となりました。先発の一角に期待しての獲得だっただけに、中継ぎ転向となると、当初の方針とは変わってくるだけに、そういったところもあったのかもしれません。そして、退団後は帰国し、2024年からはデトロイト・タイガースとマイナー契約を結び、プレーをすることになったそうです。
1991年3月26日生まれ ユカイバ高〜ダイヤモンドバックス(13)〜ホワイトソックス(16−18)〜 レッズ(20)〜ダイヤモンドバックス(22)〜アスレチックス(22)〜 広島(23)〜韓国・NCダイノス(24) 2023年シーズン終了後に来季の契約を行わず、退団。 韓国プロ野球・NCダイノスに入団 |
年 | 試合 | 打数 | 安打 | 打点 | 本塁打 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
2023 | 112 | 348 | 73 | 7 | 19 | 31 | 120 | 0 | .210 |
通算 | 112 | 348 | 73 | 7 | 19 | 31 | 120 | 0 | .210 |
2021年のシーズンオフ、カープの主砲を務めた鈴木誠也選手がメジャーへ移籍したことで、打線の破壊力は低下し、交流戦でわずか2本塁打というワースト記録を作ってしまうほど。そこで、課題である打線のパワー不足を補うべく獲得したのがマット・デビッドソン選手でした。2022年シーズン、捕手からサードに転向した坂倉将吾選手が、新井新体制の下で再び捕手に専念することになり、レギュラー不在となるサードを守れ、しかもメジャー通算54本塁打というパワーも兼ね備えたデビッドソン選手の加入は、カープにある2つの戦力の穴を埋めるにうってつけの存在でした。
身長191センチで体重104キロと非常に大柄で、いかにもパワーヒッターという風格が漂うデビッドソン選手。その雰囲気はどこかあのエルドレッドさんの現役時代を思い出すかのようでした。エルドレッドさんのように、最初はなかなか思うように日本野球に馴染めなくとも、将来的にはそのケタ外れのパワーを試合の中で存分に発揮して、人気ある選手になってくれるのではないか…そんな期待感も漂いました。
オープン戦では日本の野球に戸惑い、なかなか本領が発揮できない中で、オープン戦24打席目でようやく待望の一発が飛び出したときに見せた「ごますり」ポーズのパフォーマンス。それは、ベンチにいる選手にも浸透し、チームにすっかり溶け込んだだけでなく、ファンの間でも話題となりました。
シーズン開幕とともに、デビッドソン選手は7試合で4本塁打を放つというロケットスタートを見せました。しかし勢いは長く続かず、右のパワーヒッター、しかも大柄な選手であるがゆえに、高めのつり球や外角球に手を出し、なかなか思うような結果が出ず、打率の2割のラインを行ったり来たり…。しかも、5月中旬には左肩のコンディション不良により戦列を離れた時期もありました。
それでも、ツボにハマりだすと、打ちまくるときもありました。8月19、20日のマツダスタジアムでの巨人戦で2試合連続アーチ、さらに8月25、26日の同じくマツダスタジアムのヤクルト戦では2試合で3本塁打、さらに仕上げは8月29日の京セラドーム大阪での巨人戦ではレフトスタンド5階席への特大アーチ!一発の魅力を存分に感じさせる試合もありました。
しかし、そんな大きな波が過ぎると三振のオンパレード。それはかつてカープに在籍し、「三振かホームランか」と揶揄されたランス選手を思い出すほど。結果的にシーズンを通してチームトップの19本塁打を放ちながら、打率は2割1分にとどまり、さらに得点圏打率は1割3分6厘に低迷しました。シーズンに放った73安打に対して、三振が120と、こういった確実性の低さが1年限りでの退団に至った理由なのでしょう。デビッドソン選手は非常に真面目な性格で、コーチのアドバイスにも熱心に耳を傾け、日本の野球に適応しようと必死に練習していたようです。それだけに、もう1年あれば、日本の野球に適応できるのではないかとも期待していたのですが…。
そんなデビッドソン選手は年明けの1月11日、韓国プロ野球のNCダイノスに入団することが決まりました。思い返せば2020年にカープに在籍していたホセ・ピレラ選手や、2021年に在籍していたケビン・クロン選手もカープ退団後に韓国プロ野球に移籍しました。打高投低と言われる韓国プロ野球で、デビッドソン選手は移籍1年目からその持ち前のパワーをいかんなく発揮しているようで、活躍のニュースを時折日本でも耳にするほどです。
1990年12月3日生まれ アーカンソー大〜メッツ(12−17)〜 ナショナルズ(18)〜ロイヤルズ(19−20)〜ホワイトソックス(21)〜 メッツ(22)〜レッズ(22)〜広島(24) 2023年シーズン中に左肩手術のため自由契約に。その後引退を表明 |
年 | 試合 | 打数 | 安打 | 打点 | 本塁打 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
2024 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 |
通算 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
カープは2023年オフ、新たに内野ならどこでも守れるユーティリティ性の高さと、長打も期待できる選手として獲得したのがマット・レイノルズ選手でした。おそらくは菊池選手に休養を与えるときにセカンドを守ってもらい、そしておおむねサードやファーストを中心に起用する意図があったのでしょう。
レイノルズ選手は2012年にニューヨーク・メッツからキャリアが始まり。2016年にメジャーデビューし、初ホームランも放つなど47試合に出場。翌2017年には68試合に出場。2018年はワシントン・ナショナルズ、2019年からはカンザスシティ・ロイヤルズ、2022年にメッツに復帰するも、同年シンシナティ・レッズに移籍し、多くの球団を歩き渡いてきました。メジャー通算では223試合に出場し、打率.230、出塁率.302、7本塁打、42打点の成績を残しています。キャリアハイは2022年のレッズ時代で、92試合に出場し、244打数60安打3本塁打23打点、打率.246の成績を残しました。2023年は3Aルイビルで115試合に出場して、444打数118安打22本塁打90打点、打率.266、出塁率.352。選球眼がある反面、三振が多い中距離ヒッターという印象でした。
春季キャンプ中に左肩三角筋炎症により、別メニュー調整を余儀なくされることもありました。思い返せば、この頃から左肩に大きな不安を抱えていたということになります。ただ、3月に入るとともにオープン戦ではスタメンに名を連ねるようになり、さらに一時は瞬間的に打率は3割を超えたときもあり、3月13日の日本ハム戦ではレフトスタンドへ豪快な一発も放ち、期待が高まるとともに、左肩は万全なのだろうと、その不安はどこかへ消えていました。
しかし、その後、オープン戦ではなかなか結果を残せないまま、打率は.154まで低迷。左肩の影響なのかと不安を残すまま、シーズン開幕には6番・サードでスタメン出場。開幕戦では3回の第2打席にセンターへの犠牲フライを放ち、来日初打点を挙げました。まずまずの滑り出しかと思えば、翌日の試合中に左肩痛を発症。選手登録を抹消されました。
しばらく音沙汰なしの状況が続きましたが、5月にはまもなくフリー打撃が再開でき、5月末には2軍で復帰できるという情報もありました。しかし、実際に5月が終わっても、ウエスタンリーグの試合で名前を見ることはなく…。どうやら復帰は6月中旬にずれ込みそうだという報道はあれど、その頃になっても、やはり名前はなく…。6月26日、レイノルズ選手本人がSNSで肩の手術をしたことが、そして、その2日後、カープが契約を解除したことが発表されました。どうやらシーズン中は左肩の完治が見込めないようで、やむなく契約解除。ウエーバーにかけられましたが、獲得を希望する球団はなく、そのまま自由契約となりました。
そして10月に入り、現役を引退することをレイノルズ選手自身が公表しました。よほど左肩の状態が良くなく、これ以上の現役続行は難しいと判断したのでしょう。カープでは1軍でわずか2試合、2軍では出場すらなく、開幕から3ヶ月で退団。もし、故障なく、日本の野球に馴染んできたらどうなっていただろう…と、オープン戦での本塁打を思うと、もしかしたら活躍できていたかもしれないとも思ってみたり…。いずれにいても、残念な結果に終わりました。