カープ助っ人列伝〜2006年度版〜

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21 ショーン・ダグラス(投手)

1979年4月28日生まれ。
アンテロープバレー高〜オリオールズ〜ブルージェイズ〜タイガース〜
インディアンス〜広島(2006)〜ヤクルト(2008)

2007年シーズンオフに自由契約。2008年にヤクルト入団も1年で自由契約
試合 投球回 四死球 奪三振 自責点 防御率
2006 20 9 6 0 97 2/3 36 71 37 3.41
通算 20 9 6 0 97 2/3 36 71 37 3.41

マーティー政権の1年目。黒田投手に次ぐ2枚看板として期待され、入団したのがショーンダグラス投手でした。198cmという長身と150キロ近いストレート、さらにはカットボールなど多彩な変化球が武器の投手で、2005年にはデトロイト・タイガースで5勝を挙げるなど、大リーグ通算7勝を挙げました。入団時の年齢は26歳と、新外国人選手にしては若く、将来性も十分の右腕として大きく期待されました。

 そんなダグラス投手の1年目は順風満帆の船出となりました。とにかく打たれても、それ以上に打線が踏ん張り、もちろんダグラス投手自身も比較的安定感のある投球を披露しました。先発としては完投能力があるわけではなかったものの、6回を2〜3失点に抑えるなど、先発投手としてはまずまずの投球内容で、それでも中継ぎ以降の踏ん張りもあって、勝ち星をどんどん積み重ねていきました。勝ち運の強い投手・・・そんなイメージのある投手でした。一時はハーラーダービーのトップに立つなど、シーズン序盤だけで9勝を荒稼ぎし、黒田投手とともに2枚看板となっていたダグラス投手でしたが・・・。

 その年の6月下旬から右ひじに痛みを覚え、2軍に降格してしまいました。その後、チームは2枚看板のうちの1枚を失ったことによる影響は大きなもので、特にシーズン終盤に黒田投手も離脱した際には、チームは大きな連敗にあえぐ形となってしまいました。

 2006年のチーム最終戦で先発したダグラス投手。2回1失点ながら、順調な回復を思わせ、来季こそはフルに活躍してくれるだろうと思われた、2007年。キャンプも目前に迫った時期になって、来日は延期。それは右ひじの精密検査を受けるためというものでした。オフの期間は十分にあったはずなのに、なぜキャンプ目前で・・・それは球団にとっても不信感に繋がったはずです。

 その後、チームに合流したダグラス投手でしたが、今度は足を痛め、また戦線離脱し、リハビリの日々・・・。結局、1軍はおろか、1軍でも登板することなく2007年を終了し、それとともにチームはダグラス投手を自由契約としました。2008年にはヤクルトに入団し2勝を挙げましたが、実績はそこまで。再び右ひじの痛みが再発し、そのまま自由契約となっています。

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