カープ助っ人列伝〜1996年度版〜

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50 ティモニエル・ペレス(外野手)

1977年4月8日生まれ。
リセオ・アメリコ・ペレス高〜ドミニカ・カープ・アカデミー(1984)
〜広島(1996〜1999)

1999年オフに解雇。
その後、メッツ、ホワイトソックス、レッズ、カージナルスでプレー。
試合 打数 安打 打点 本塁打 三振 盗塁 失策 打率
1996 31 54 15 7 1 7 3 ? .278
1997 86 139 34 15 3 16 2 ? .245
1998 98 230 68 35 5 21 4 ? .296
1999 12 23 4 2 0 3 0 ? .189
通算 227 446 121 59 9 47 9 ? .271

 ドミニカ共和国にあるカープ・アカデミー。投手ではチェコ投手が大活躍し、その存在感が一躍クローズアップされたときもありますが、今ではその存亡さえも議論されている状況となってしまいました。そんなカープ・アカデミー出身の打者に限ってみれば、最もチームに貢献したのではないかと思うのが、今回紹介するティモニエル・ペレス選手です。

 とにかくそのキャラはベンチを盛り上げるだけでなく、カープの選手のマスコット的存在でもありました。選手に笑いを提供してくれる、そんなユーモアあふれた存在でもありました。しかし、一度打席に立つと、相手投手の投球を的確に跳ね返す、そんな天性の打撃力を持った選手でもありました。

 1998年には自身最多の98試合に出場し、3割近い成績を残すとともに、時にはバックスクリーン近くに着弾しようかという特大のアーチを放つなど、そのバッティングコントロールとともに、バットの芯に当てる打撃センスの高さを十分にアピールしました。そして彼のキャラクターがゆえに、彼が打つとベンチだけでなくファンも盛り上げる、そんな雰囲気を持った選手でもありました。

 1999年オフ。このシーズンをわずか12試合に出場にとどまったペレス選手は、ポスティング制度を利用して、長年の夢であった大リーグの舞台へと足を踏み出しました。移籍先のニューヨーク・メッツでは、その後の入団してきた新庄剛志氏(元北海道日本ハム)ともチームメートともなりました。メジャーでは2003年にニューヨーク・メッツでは136試合に出場し、2割9分5厘の成績を収めるなど、アメリカンドリームも手中に収めようとしましたが、それ以降はなかなか結果が残せませんでした。

 明るい雰囲気、そして人懐っこい性格でファンを楽しませてくれたペレス選手。私もそうですが、今でも記憶に鮮明に残るほど、面白味とともに、選手としても非常に魅力を感じました。そのキャラクターでもっと野球というスポーツを盛り上げてほしいですね。

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