カープ助っ人列伝〜1992年度版〜

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59 フェリックス・ペルドモ(内野手・投手)

1973年7月24日生まれ。
アリノ・パウリノ高〜広島カープアカデミー〜広島(92)〜
台湾・時報(95)〜広島(96〜99)
試合 打数 安打 打点 本塁打 三振 盗塁 失策 打率
1996 6 12 1 0 0 8 0 0 .083
1997 17 5 0 0 0 0 0 1 .000
1998 13 1 0 0 0 0 0 0 .000
1999 35 45 9 4 1 10 0 3 .200
通算 71 63 10 4 1 18 0 4 .159
試合 投球回 四死球 奪三振 自責点 防御率
1997 17 2 2 0 29 17 18 13 4.03
1998 13 0 0 0 17 1/3 12 6 8 4.15
1999 17 1 2 0 25 2/3 11 25 13 4.56
通算 47 3 4 0 72 40 49 34 4.25

 ドミニカ共和国のカープアカデミーから1992年にカープに入団したのがペルドモ選手です。実は、このペルドモ選手は1992年の1年だけ広島に在籍し、一度は引退した後、3年後に台湾プロ野球でプレーし、再びカープに戻ってきたという波乱というべきか、異色の経歴の持ち主でした。

 異色といえば、元来は遊撃手だったのですが、1997年に投手へ転向しています。それでも時折、代打や野手としてスタメンでも起用されることもあり、カープが生んだ「二刀流」でもありました。野手としては1999年にプロ初本塁打を放ちますが、目立った成績を収めることは出来ませんでした。しかし、投手としては中継ぎとして比較的コントロールも安定した投球で、プロでも3勝を挙げるなど、まずまずの活躍を見せました。

 当時は阪神に在籍していた新庄剛志選手が二刀流に挑戦するということで話題にも上がりましたが、実際に二刀流に挑んだのはこのペルドモ選手でした。それだけに今まで、数多くのカープアカデミーのドミニカンが日本野球に挑戦しましたが、記録よりも記憶に残る選手だったのではないでしょうか。

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