カープ助っ人列伝〜1989年度版〜

▲「カープ助っ人列伝」メインに戻る


44 ウェイド・ロードン(内野手)

1960年9月7日生まれ。
ステットソン大〜レッズ〜カブス〜オリオールズ〜広島(1989年)

1990年に広島を退団。その後は不明・・・
試合 打数 安打 打点 本塁打 三振 盗塁 失策 打率
1989 123 473 142 79 22 65 8 0 .300
1990 26 87 20 15 2 15 0 0 .230
通算 149 560 162 94 24 80 9 0 .289

 顔立ちは地味だけど、なぜか記憶に残っている選手・・・それがロードン選手ではなかったでしょうか。メガネをかけた真面目そうなその風貌から「銀行員」だの、「のび太くん」だの、そんな風に呼ばれていた外国人選手には珍しい異名のついた選手でした。

 レッズ、カブス、オリオールズと3球団を渡り歩いたロードン選手は、大リーグで通算78試合、1本塁打、打率2割1分7厘とけして目立つ成績は残していませんが、広島はなかなか固定できない三塁手を期待しての獲得となりました。

 そんなロードン選手は来日1年目から大活躍を見せます。その当時は1番・高橋慶彦選手、そして4番に現打撃コーチの小早川毅彦選手、下位打線には現2軍監督の山崎隆造選手や長島清幸選手といった顔ぶれの中で、ロードン選手は主に3番を打ち、打率も3割の成績を残しました。そして何よりも三塁手としてゴールデングラブ賞も受賞するなど、心強い助っ人として、満足の1年間でした。

 しかし、そんな銀行員ことロードン選手。2年目は銀行経営も苦しくなったのか・・・極度の打撃不振に陥ってしまいました。開幕直後こそ、5番などでスタメン起用もありましたが、打撃不振が続き、徐々にスタメンからもはずされていく苦しい状況に。前年の活躍が見る影もなく、夏場に数試合でスタメン出場しましたが、その後はパタリと・・・。

 その年のオフ、広島を退団することとなりました。「銀行員」の風貌でファンも多かったロードン選手の2年目の不振は非常に残念な思いもありました。その後の動向はまったく不明です。

 ▲一番上に戻る
▲「カープ助っ人列伝」メインに戻る