1956年7月5日生まれ。 グラスボロー短大〜パドレス〜ジャイアンツ〜広島(1987年)〜レッドソックス 1988年、シーズン途中に解雇。1990年にレッドソックスへ |
年 | 試合 | 打数 | 安打 | 打点 | 本塁打 | 三振 | 盗塁 | 失策 | 打率 |
1987 | 121 | 403 | 88 | 83 | 39 | 114 | 0 | ? | .218 |
1988 | 79 | 264 | 50 | 50 | 19 | 58 | 1 | ? | .189 |
通算 | 200 | 667 | 138 | 133 | 58 | 172 | 1 | ? | .207 |
カープファンにとって、非常の心に残っている選手の一人として挙げられるのが、このリチャード・ランセロッティ選手ではないでしょうか。名前が長すぎるため、登録名はランスと名乗った、こういえば思い浮かぶ方も多いことでしょう。
彼が入団する前年の1986年、ミスター赤ヘルとしてカープを5度のリーグ優勝に導いた山本浩二選手が引退したことを受けて、4番打者の候補として獲得したのがこのランス選手でした。大リーグでの実績は少ないものの、持ち味の長打力はミスター赤ヘルという偉大な存在には及ばないまでも、十分に4番としての力を発揮してくれるのではないか・・・そんな期待がありました。
しかし、ランス選手が1987年に4番に座ったのはわずか37試合。小早川選手(現広島打撃コーチ)の台頭で、出場機会の大半が7番という下位打線を担う存在となりました。それもそのはず、とにかく調子の波が激しい!打ち出したら止まらない反面で、打てなくなっても止まらない。前日とはまるで別の選手かのようなときもある・・・そんな選手でした。
そんなランスにつけられたキャッチフレーズとでもいうべきか、象徴する言葉として「三振かホームランか」というのが挙げられます。バットが下から出る、まるでゴルフのスイングかのようなプルヒッター。カープに入団した1987年は、打率2割1分8厘ながら39本のホームランを放ち、見事ホームラン王を獲得しました。過去の歴史でも最も低打率でホームラン王を獲得した選手となっています。また、シーズン88安打ながら、そのうち4割以上の39本がホームラン。「三振かホームランか」まさにその典型といえる選手でした。
翌年は相変わらずホームランは出るものの、不振に苦しみ、打率は1年目を下回る1割台に低迷。結果的にシーズン途中で解雇となりました。しかし、ファンの心の中には、今でもなおその「三振かホームランか」という打撃が今でも印象深く残っている、そんな選手です。