カープ助っ人列伝〜1977年度版〜

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6 ジム・ライトル(外野手)

1946年5月20日生まれ。
フロリダ州大〜ヤンキース〜ホワイトソックス〜エクスポズ〜
ドジャース〜広島(1977〜82)〜南海(1983)

引退後は大学野球のコーチ兼農業経営者に
試合 打数 安打 打点 本塁打 三振 盗塁 失策 打率
1977 120 452 136 65 19 60 13 4 .301
1978 130 524 155 108 33 77 2 4 .296
1979 130 504 133 61 23 83 6 1 .264
1980 130 507 142 82 23 74 5 4 .280
1981 128 493 157 100 33 58 0 6 .318
1982 126 482 130 75 24 60 1 5 .270
通算 876 3319 945 529 166 469 30 28 .285

「カープ史上最強の助っ人野手は?」と聞かれたら、10代の方であればシーツ選手やラロッカ選手、20代になるとロペス選手を挙げる方も多いでしょう。30代以降となると、やはりライトル選手を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

主にライトを守ることが多かったライトル選手。「ライト、ライトルがライトフライ取る」なんて、ダジャレがあちらこちらで聞こえてきたりしました。カープに在籍すること6年、1983年には南海(現福岡ソフトバンク)に移籍し、1年間プレーしたため、日本球界には通算7年在籍し、カープファンにも非常に親しまれた選手でした。

当時はタイトルこそなかったものの1981年に最多安打となる157本のヒットを放ち、通算打率は.285、166本塁打。しかも、1980年の近鉄との日本シリーズでは、第1戦でいきなり2ホーマーを放つなど、7試合で3ホーマーを放ち、カープの2年連続の日本一にも大きく貢献し、カープでは現時点では唯一、外国人選手での日本シリーズMVPを受賞しました。

日本で7年間プレーした後は、アメリカに戻って農業の経営を行いながら、大学野球のコーチも務めていたそうです。2010年で64歳になるライトル氏。今も元気にされているのでしょうか。

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