カープ助っ人列伝〜1975年度版〜

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6 ゲイル・ホプキンス(内野手)

1943年2月19日生まれ。
ペパーダイン大〜ホワイトソックス〜ロイヤルズ〜ドジャース〜
広島(1975)〜南海(1977)

現在は整形外科医と大学教授の二束のワラジで活躍
試合 打数 安打 打点 本塁打 三振 盗塁 失策 打率
1975 130 496 127 91 33 53 1 ? .256
1976 117 420 138 69 20 30 1 ? .329
通算 360 1318 372 229 69 108 3 ? .282

 1977年生まれの私、この際との管理人・KUNIはその雄姿を見たことがないホプキンス選手。ただ、私の母は新婚旅行の帰りに、広島駅でこのホプキンス選手を見かけ、握手してもらったといううらやましい思い出を聞かされています。今回は私がその現役を知らないホプキンス選手について綴ってみましょう。

 先述の通り、現役時代を知らないホプキンス選手ですが、この選手がカープの初優勝の大きく貢献した選手であること。そして今は、野球とはまったく無縁の職に就き、その分野で活躍していることは十分に知っています。

 カープが初優勝を決めた1975年に入団したホプキンス選手。当時のカープの一塁手として、当時のフル出場である130試合に出場しました。特にマジック1で迎えた後楽園球場での巨人との試合。広島の先発は外木場投手、巨人は左腕の新浦投手で始まりました。カープは外木場投手の踏ん張り、そして巨人は終盤から継投策を演じ、8回を終わって1対0という投手戦。その投手戦に区切りをつけ、カープの初優勝を決定付けた選手、それこそホプキンス選手でした。

 その試合の巨人5番手・高橋一投手に対して、フルカウントまでもつれる対戦となりましたが、その後放ったホプキンス選手の内角低目をすくいあげる技術的な一打。その打球は巨人ファンの待つライトスタンドへの見事な3ラン。投手戦の中で勝利を決定付ける見事な3ランとなり、4対0。カープの優勝を確実なものとした一打でもありました。これにより、球団創設28年目にして、待ちに待ったリーグ初優勝となったのです。

 そんなホプキンス選手は1977年に南海に移籍しました。しかし、現役時代から広島大学医学部の授業を受講するなど、医学に対して大きな興味を抱いていたホプキンス選手は、引退後、医学の道へ進みます。そして今はアメリカ・オハイオ州で開業医として活躍する傍ら、聖書学を教える教授としても活躍されているそうです。数多く来日した外国人選手でも異色の経歴の持ち主であるホプキンス選手。当時を知る術は当時の新聞やインターネットなどしかない私のような年代の方であっても、もちろん当時を良く知る方であっても、この名前を忘れてはいけません。

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