打順&ポジション別最多スタメン
(1971〜1975)

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1975年

打順別のスタメン出場試合数トップの選手
打順 選手 試合数
(全130試合)
1 大下剛史 115
2 三村敏之 113
3 ゲイル・ホプキンス 118
4 山本浩二 74
5 衣笠祥雄 86
6 リッチー・シェーン 112
7 水谷実雄 86
8 水沼四郎 75
9 外木場義郎 40
ポジション別のスタメン出場試合数トップの選手
ポジション 選手 試合数
(全130試合)
ピッチャー 外木場義郎 40
キャッチャー 水沼四郎 75
ファースト ゲイル・ホプキンス 130
セカンド 大下剛史 115
サード 衣笠祥雄 130
ショート 三村敏之 114
レフト 水谷実雄 93
センター 山本浩二 128
ライト リッチー・シェーン 114

 ジョー・ルーツ監督が就任し、ヘルメットが燃える赤色に変更され、その後、脈々と受け継がれる「赤ヘル」が誕生した1975年。ルーツ監督はチームに常に優勝を意識付けしながらも、シーズン序盤に突然辞任。その後、後に名将となる古葉竹識監督が就任するという、バタバタしたシーズンとなりました。

 しかし、古葉監督就任後は日本ハムから獲得した大下剛史選手、さらには三村敏之選手が上位打線を務め、クリーンアップはホプキンス選手、山本浩二選手、衣笠祥雄選手ががっちり固め、下位打線もシェーン選手や水谷実雄選手らが、つながりを生み、投手陣は外木場義郎投手、佐伯和司投手、池谷公二カの3本柱で計53勝をマークする大車輪の活躍。打線は同じ打順で100試合以上出要している選手が4人、ポジションでは6人もいます。それが主力が固定され、それぞれの役割を果たしながら力を発揮し、球団初、悲願の初優勝を達成しました。

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