カープ「珍」記録
〜野手編〜
江藤智選手〜サヨナラ本塁打なしのプロ通算最多本塁打〜
江藤選手のサヨナラ本塁打なしのプロ通算最多本塁打
(各年の成績はカープ時代のみ、通算は生涯成績) |
年 |
試合 |
打数 |
安打 |
打点 |
本塁打 |
四死球 |
三振 |
盗塁 |
打率 |
1990 |
38 |
71 |
17 |
10 |
5 |
9 |
16 |
0 |
.239 |
1991 |
91 |
260 |
56 |
31 |
11 |
52 |
87 |
0 |
.215 |
1992 |
89 |
277 |
80 |
45 |
16 |
35 |
51 |
2 |
.289 |
1993 |
131 |
482 |
136 |
82 |
34 |
84 |
94 |
7 |
.282 |
1994 |
105 |
390 |
125 |
81 |
28 |
70 |
81 |
7 |
.321 |
1995 |
127 |
462 |
132 |
106 |
39 |
92 |
93 |
14 |
.286 |
1996 |
106 |
388 |
122 |
79 |
32 |
80 |
68 |
8 |
.314 |
1997 |
110 |
393 |
99 |
76 |
28 |
85 |
92 |
3 |
.252 |
1998 |
132 |
475 |
120 |
81 |
28 |
100 |
103 |
7 |
.253 |
1999 |
121 |
437 |
127 |
79 |
27 |
78 |
80 |
9 |
.291 |
通算 |
1834 |
5819 |
1559 |
1020 |
364 |
972 |
225 |
82 |
.268 |
江藤智選手と言えば、1993年には本塁打王、1995年には本塁打王と打点王の2冠に輝いた、1990年代にカープの4番を務めた長距離砲でした。1999年オフにはFA宣言し、巨人へ移籍。2005年オフには、後にカープにも在籍した豊田清投手のFA人的補償で西武に移籍しました。
3球団を渡り歩いた江藤選手。やっぱりカープファンからすれば、カープ時代の背番号33の姿が鮮明に焼き付いています。そういえば、菊池涼介選手は同じ東京出身の江藤選手に憧れて、背番号33を選んだとか。
そんな江藤選手が生涯で放った本塁打数は364本。長いプロ野球の歴史でも30位以内に入る屈指の長距離砲でした。しかし、これだけ多くの本塁打を放ちながら、実はサヨナラホームランは1本もなかったようです。サヨナラホームランがプロ通算0本の打者で、最多通算本塁打のプロ野球記録を持っているのが江藤選手なのです。364本塁打のうちサヨナラホームランはゼロ…何だか意外な記録ですね。
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松本奉文選手〜プロ野球史上最多の4打席連続四球〜
松本奉文選手の4打席連続死球 |
日付 |
対戦相手 |
相手投手 |
打席目 |
内容 |
2005/4/21 |
中日 |
高橋聡文 |
1 |
腹部に死球 |
2005/6/8 |
ソフトバンク |
斉藤和巳 |
1 |
左腕に死球 |
2005/6/9 |
ソフトバンク |
フェリシアーノ |
1 |
左ひじに死球 |
2005/6/9 |
ソフトバンク |
三瀬幸司 |
2 |
左足に死球 |
2024年現在、カープのスカウトとして活躍されている松本奉文(現・有史)さん。現役時代は右の長距離砲として期待されていましたが、プロ通算17安打、2本塁打、打率.165という成績に終わりました。しかし、松本選手が2005年のシーズンにプロ野球記録となる4打席連続死球という、身体を張った珍記録を樹立しているのです。
この年、4月21日の中日戦の8回、代打で出場した松本選手は、相手の左腕・高橋聡文投手から腹部に死球を受けました。その後、2軍に降格し、再昇格後の6月8日のソフトバンク戦では7回、代打で出場し、斉藤和巳投手から左腕に死球を受けると、翌日も代打で出場し、左腕のフェリシアーノ投手から左肘に死球、さらに次の打席では三瀬幸司投手から左足に死球を受け、なんと4打席連続死球となりました。
プロ通算125打席で四球11に対して、死球はなんと7。2005年だけ見ると、46打席のうち、四球が5に対して、死球はさらに上回る6を記録しました。4度の死球は3試合に分かれて、しかも約2ヶ月間のブランクがありながらのものではありましたが、さすがにこれだけ死球を受けるとは…。
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矢野雅哉選手〜プロ野球史上最多の1打席22球の粘り〜
矢野雅哉選手の1打席22球の粘り |
球目 |
結果 |
カウント
(B−S) |
球種 |
1 |
見逃し |
0−1 |
ストレート(142キロ) |
2 |
ファウル |
0−2 |
シンカー(136キロ) |
3 |
ボール |
1−2 |
ストレート(142キロ) |
4 |
ファウル |
1−2 |
シンカー(134キロ) |
5 |
ボール |
2−2 |
ストレート(142キロ) |
6 |
ファウル |
2−2 |
スライダー(135キロ) |
7 |
ファウル |
2−2 |
ストレート(144キロ) |
8 |
ファウル |
2−2 |
ストレート(146キロ) |
9 |
ファウル |
2−2 |
ストレート(146キロ) |
10 |
ファウル |
2−2 |
ストレート(146キロ) |
11 |
ファウル |
2−2 |
スライダー(137キロ) |
12 |
ファウル |
2−2 |
ストレート(146キロ) |
13 |
ボール |
3−2 |
ストレート(148キロ) |
14 |
ファウル |
3−2 |
ストレート(145キロ) |
15 |
ファウル |
3−2 |
ストレート(146キロ) |
16 |
ファウル |
3−2 |
ストレート(145キロ) |
17 |
ファウル |
3−2 |
ストレート(146キロ) |
18 |
ファウル |
3−2 |
ストレート(148キロ) |
19 |
ファウル |
3−2 |
スライダー(135キロ) |
20 |
ファウル |
3−2 |
スライダー(134キロ) |
21 |
ファウル |
3−2 |
スライダー(126キロ) |
22 |
四球 |
4−2 |
ストレート(148キロ) |
2024年9月22日、バンテリンドームナゴヤでの中日戦の6回表、1アウトから打順が回ってきた矢野雅哉選手。相対するは中日のベテラン右腕・涌井秀章投手。初球は見逃し、2球目はファウルであっさりと追い込まれてしまいました。
しかし、ここからが驚くほど驚異の粘りを打席で見せました。2度のボールを挟み、7球連続でファウル。なかなか打球は前には飛んでくれず、やや振り遅れで、打球はレフト方向へのファウルが目立ちましたが、必死で食らいつきました。13球目にボールになるフルカウントになると、ここからさらに8球連続でファウル。ときおり、バックネット方向へのファウルもありましたが、それでも打球は前に飛ばず、食らいつくのが精一杯という感じ。それでも、ファウルで粘りまくり、22球目で四球を奪い取りました。
これまでの1打席での最多投球数は、1947年の松井信勝選手(太陽)、2012年の明石健志選手(ソフトバンク)、2013年の鶴岡一成選手(DeNA)が記録した19球で、これを実に3球も上回り、しかも初の20球台となりました。これだけ長いプロ野球の歴史で、19球粘った打者は3人のみでそれが日本記録、しかもそれを3球も上回るということは、アンタッチャブルレコードになる可能性もありそうですね。
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仲田侑仁選手〜2リーグ制以降初の高卒ルーキーでデビュー戦4番スタメン〜
仲田選手のプロ初スタメン&4番試合成績 |
打 |
安 |
点 |
振 |
球 |
4 |
1 |
0 |
0 |
0 |
2024年10月5日、ヤクルト戦。
シーズン最終戦となったこの日、カープのスタメン発表は驚きに満ちたものとなりました。なんせ、この日、プロ入り初の1軍昇格を果たしたドラフト4位の高卒ルーキーである仲田侑仁選手が4番・ファーストでスタメン出場となったのです。ルーキーがプロ初出場初スタメンでしかも4番…これはカープでは球団創設した1950年の樋笠一夫選手以来、なんと74年ぶりのことでした。しかも、高卒ルーキーに限って言えば、4番スタメン出場は、プロ野球全体で見ると1986年10月7日のロッテ戦で、当時西武の清原和博選手が座って以来、実に38年ぶりのことで、史上6人目。しかもカープだけでなく、セリーグでも初めてのことでした。しかも、それが「デビュー戦」でいきなり4番スタメンとなると、1950年の2リーグ制以降では初めてという快挙でもありました。
そんな初めて尽くしとなった仲田選手のプロ初打席は、ヤクルトの左腕・山野太一投手の内角低めの球に空振り三振という結果となりました。しかし第2打席、ランナーを1塁に置いて、ヤクルト・奥川恭伸投手の外角へ流れるスライダーを泳ぎながらも、執念でバットに当てて、打球はレフト前へのヒット!チャンスを広げるヒットは嬉しいプロ初安打となりました。しかもその後、3塁まで進んだ仲田選手は犠飛でホームに生還し、プロ初得点を達成しました。この試合、ゲームセットまで試合に出場し、結果的には4打数1安打でしたが、衝撃のデビューとなりました。
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