| 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 144 | 58 | 84 | 2 | .408 | 21.5 | 5 |
満を持して監督に就任したのは野村謙二郎新監督。「頭も疲れてもらう」と公言するほど、頭を使った野球を選手たちに浸透させようと精力的過ぎるほどに動き回りました。そんな2010年のキャッチフレーズは、ずばり「俺たちは勝つ」ということ。読んで字の如くであり、英語部分はそれを英訳したものとなっています。
とにかく勝っていくんだ…ということなのでしょうが、この年の結果を振り返ると、ただただ勝っていきたいということをテーマに掲げたものの、その具体性には欠けたのかもしれません。野村新監督を迎えて、チームに対する期待は否応なく高まりましたが、序盤から故障者が相次ぎ、しかも交流戦では指名打者に偵察メンバーの投手を入れてしまい、代打を出せなくなったという間違いをしてしまうなど、その期待はシーズン序盤から大きなため息に変わってしまいました。あまり期待の持てないままシーズン終了…コーチ経験もないままにいきなりの監督という難しさはあったかもしれませんが、野村政権は波乱のスタートとなったのです。
| 年 | 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 2009 | 144 | 65 | 75 | 4 | .464 | 26.5 | 5 |
この年、本拠地を旧広島市民球場からマツダスタジアムに移して、カープとしては新しい歴史のスタートとなりました。そして前年は最終戦で勝率5割を逃し、あとわずかAクラスにも届かなかった惜しいシーズンだっただけに、その悔しさを晴らし、マーティー4年目の集大成を見せたいこの年のキャッチフレーズはALL−INの更なる進化形でした。
ALL−INに「烈」をテーマに加えたこのキャッチフレーズ。「烈」は「烈しい」と送り仮名をつければ「はげしい」と読み、「威勢がよく勢いがはげしいこと」、「志を変えずにつらぬき、強く正しいこと」、「すぐれた功績」などの意味があるということ。さらに本拠地移転という「鮮烈」なオープン、新球場での「熱烈」な声援を受けて、選手は「烈風・烈火」のごとく戦っていくというニュアンスを付け加えました。
このシーズンは新球場での戦いをチーム自体があまり掴めず、本拠地でありながらホームを苦手にする傾向があり、前年より成績は悪化、5位という成績に終わりました。それとともに、地域ぐるみで進んできた「ALL−IN」も1つの歴史を終えることになったのです。
| 年 | 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 2008 | 144 | 69 | 70 | 5 | .496 | 14.0 | 4 |
2006年にカープ監督に就任したマーティー・ブラウン監督が、チーム、球団、ファン、地元が一体となっていく…それを一言で「ALL−IN」とし、これをテーマに臨んだ過去2年間。さらに3年目にはそのテーマをいよいよ花開かせそうと掲げたキャッチフレーズが「ALL−IN 激」。「ALL−IN」の進化形とも言えるでしょうか。
一致団結して試合に臨み、1・2軍関係なく誰でもチャンスがある中で全員野球を目指していく、もちろんファンや地域とも一体となって激しく戦い、盛り上げていこうというコンセプトは、まさに「ALL−IN」の進化形です。
この年のカープは144試合を戦い、69勝70敗5分の4位。シーズン最終戦で敗れて、5割を逃しました。しかし、過去2年に比べて、徐々にチームがマーティー野球を理解し、勝ち星を積み重ねられるようになりました。打線では栗原選手、アレックス選手、東出選手が打率3割台をマークし、投手ではルイス投手が15勝を挙げ、将来のエース・マエケンが2年目にして9勝をマークした、来季への期待感膨らむシーズンでした。
| 年 | 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 2006 | 146 | 62 | 79 | 5 | .440 | 25.0 | 5 |
| 2007 | 144 | 60 | 82 | 2 | .423 | 19.5 | 5 |
2005年のシーズンは5位に4ゲーム差の最下位に終わったカープ。その年の山本浩二監督に代わり、2006年から監督に就任したのは、現役時代からハッスルプレーを見せていたマーティー・ブラウン監督でした。カープに外国人監督が就任するのは、なんと初優勝した1975年のジョー・ルーツ監督以来、実に31年ぶりのことでした。
そんな2006年のキャッチフレーズは「ALL IN」。元はポーカー用語で、持っているチップをすべて賭けることを指します。球団、首脳陣、スタッフ、選手、そしてファンや地域も一体となっていこうという思いを、このフレーズに込めています。非常に分かりやすく、地元の球団にふさわしい最高のフレーズだったと思います。
このフレーズは、マーティーのチームや広島への思いを凝縮させた「テーマ」でもあり、2007年も引き続きキャッチフレーズとして使用されました。2年連続でチームは5位と低迷を続けましたが、地域との一体感も感じられ、また内野5人シフトや1塁ベースを引っこ抜いて放り投げて抗議するなどは、今でも語り草となっています。しかも、マーティーが抗議で退場処分を食らうと、チームが奮起して、勝利する…というジンクスもあったほど。それほどまでにチームを、地域を盛り上げ、まさにALL−INに向かっていたといえるでしょう。
| 年 | 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 2005 | 146 | 58 | 84 | 4 | .408 | 29.5 | 6 |
前年は横浜とわずか勝率1厘差で辛うじて最下位を免れたカープ。山本浩二監督の2期目5年目のシーズンは何とかチームを生まれ変わらせたい、生まれ変わって、とにかく勝ちにいこうという思いを込めたキャッチフレーズとなりました。「REBORN」、「再生」というフレーズにその真意を感じ取ることができます。
しかし、シーズンはというと、開幕直後は生まれ変わったんじゃないかと思うほど好調で、スタートダッシュを決めたかに思われましたが、5月、6月と順位を落とし、6月を終わる頃には最下位に定着。終わってみれば借金26、5位・巨人とも4差つけられての最下位に終わりました。山本浩二監督5年目で「生まれ変わる」では、今までの4年間は何だったのか…今になってはそう思うわけで、これで山本浩二監督の2期、通算10年にわたる政権は終わりを告げました。ミスター赤ヘルの監督としての最後は最下位…ちょっと寂しい終わり方となってしまいました。
WILL TO VICTORY (勝利への意欲)(2004年)
| 年 | 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 2004 | 138 | 60 | 77 | 1 | .438 | 20.0 | 5 |
1997年から続くカープのBクラス。山本浩二監督の第2期の政権も4年目に入り、そろそろ優勝を…と、結果が求められる頃になりました。そこで掲げたキャッチフレーズは、山本浩二監督第1期政権の1991年、6度目の優勝を飾った年と同じものを採用しました。それだけあのときの優勝をもう一度という験担ぎでもあったのでしょう。
この年、カープ打線は「赤ゴジラ」の異名で、流行語大賞にもノミネートされた嶋重宣選手が10年目で一気に花開き、首位打者、最多安打の2冠に輝き、ラロッカ選手はシーズン40本塁打に最高出塁率のタイトル獲得など、チーム打率はリーグ2位だった反面で、投手はリーグワーストの防御率…終わってみれば、最下位・横浜にわずか1厘差、ゲーム差なし、辛うじて5位に終わる厳しいシーズンとなりました。
| 年 | 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 2003 | 140 | 67 | 71 | 2 | .486 | 20.0 | 5 |
山本浩二監督の第2期の政権も3年目に入り、そろそろ成果が求められる頃。しかし、開幕からなかなか波に乗れず、4月終了時点では5位に低迷。5月以降もなかなか調子が上がらず、しかも徐々に首位・阪神とのゲーム差も広がっていく一方。もはや5月終了時点では10ゲーム以上の差をつけられ、優勝は風前の灯火となりました。
前年オフに金本知憲選手が阪神へFA移籍し、新井貴浩選手が4番に座りましたが、重圧もあってか調子が上がらず、我慢の起用が続きました。緒方孝市選手、アンディ・シーツ選手が3割を超える成績を残し、黒田博樹投手が13勝、永川勝浩投手が25セーブを挙げるなど、投打の軸が結果を残したものの、安定した成績を残せないままでした。結果的に、前年に続いて5位に終わりましたが、借金は前年の8から4に減らし、少し上向いたのかな…という1年でした。
| 年 | 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 2002 | 140 | 64 | 72 | 4 | .471 | 21.0 | 5 |
山本浩二監督の第2期の政権も2年目。前年は4位に終わったものの、3位・横浜とのゲーム差なしで、貯金3と、今季、11年ぶりの優勝を目指して、土台はできた…という印象でした。そこで、キャッチフレーズにも、赤く燃えるような闘志で試合に臨むという気持ちを込めたのでしょう。
しかし、結果的には5位、借金8で、首位とも21ゲーム引き離されてのシーズンとなりました。この年、長谷川昌幸投手が13勝をマークして勝ち頭となり、黒田投手も10勝をマーク。中継ぎでは玉木重雄投手が6勝を挙げる活躍を見せました。打線は20本塁打以上が4選手。投打ともに軸はあったのですが、どうも歯車がかみ合わないという感じでしょうか。
| 年 | 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 2001 | 140 | 68 | 65 | 7 | .511 | 7.5 | 4 |
2年連続のBクラスに終わり、達川監督がわずか2年で監督を自ら辞任し、揺れ動く中でこの年、8年ぶりにミスター赤ヘル・山本浩二監督が復帰となりました。その中でチームを再建すべく、キャッチフレーズを「Red Attack 攻めろ!」とし、本来のカープの野球で優勝を目指しました。黒田博樹投手が先発投手として12勝を挙げる活躍でエースとなるなど、課題だった投手陣に改善の兆しが見られ、チームは貯金3でシーズンを終えました。
しかし、この年の順位は勝率ではなく勝ち数が優先されたため、首位からのゲーム差では3位なのですが、勝ち数が横浜に1及ばず、順位は4位、またもBクラスに終わってしまいました。しかし、チーム力を取り戻しつつある、そんなシーズンでもありました。