START FROM ZERO ZERO(ゼロゼロからの出発)(2000年)
| 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 136 | 65 | 70 | 1 | .481 | 13.0 | 5 |
達川監督の1年目となった1999年は、特に投手力が不足し、何とか最下位を免れるのがやっと。首位・中日からは24ゲームを突き放されました。そんな低迷の中で迎えた達川監督2年目のシーズンは、もう一度原点に戻ろうという意図があったのだと思います。「ゼロ」からではなく、「ゼロゼロ」からの出発…そこには1999年から2000年、つまり99年から00年へ変わりゆく中で、西暦も00からスタートする中で、カープもチームを立て直すために、原点の中の原点に帰ることを目指したのでしょう。
しかし、チームの改革は思うようには進みませんでした。先発候補として期待されたカンバーランド投手や、FA移籍した江藤智選手に代わる大砲候補として獲得したボール選手は、まるで機能せず、ともに開幕から1ヶ月ほどで見切りを付けられるほど。それでもチームとしては、4月を首位で乗り切りましたが、その後は徐々に順位を落とし、結果的に前年同様、5位でシーズンを終えました。これにより達川監督はわずか2年で辞任。ただ前年の借金21から、5まで減らしたことは大きな光明だったように感じたのですが…。
| 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 135 | 57 | 78 | 0 | .422 | 24.0 | 5 |
前年の1998年、カープは5位に終わり、当時の三村敏之監督が勇退したことを受けて、この年の2軍監督を務めていた達川光男監督(当時に登録名は達川晃豊)が就任しました。「鬼軍曹」と呼ばれた大下剛史氏を1軍ヘッドコーチに、前年に現役を引退したばかりの大野豊氏を投手コーチに…などなど、OBを中心にコーチ陣も一新して望み、当時、監督の方針として「胃から汗が出る」ほどの猛練習を積みました。
ただ、特に投手陣の戦力層が非常に薄く、開幕戦こそ佐々岡真司投手を立てたものの、2戦目は当時はまだプロ未勝利だった菊地原毅投手、3戦目は練習生から支配下登録され、来日初登板が初先発となったドミニカカープアカデミー出身のレイノソ投手を起用したこと…戦力の薄さをまざまざと感じる起用でもあり、「これは1年でいくつ勝てるんだろう…」と心配になったほど。結果的には阪神がシーズン終盤に大連敗したことで、何とか5位に終わりました。打線の破壊力は折り紙付きでしたが、投手陣は佐々岡投手が15勝をマークし、飛びぬけた成績を残したものの、他に続く投手が少なかったこと、そして「猛練習」が仇になったのか、シーズン途中から故障者が続出したこと…「Yes,We
Can」とどこかで聞いた言葉ですが、なかなかキャッチフレーズ通りには出来なかった、達川監督の船出でした。
| 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 135 | 60 | 75 | 0 | .444 | 19.0 | 5 |
三村敏之監督が就任し、前年までの4年間は、そのキャッチフレーズ全てに「トータルベースボール」という、三村野球の代名詞となる言葉が織り込まれていましたが、この年は初めて、「トータルベースボール」というフレーズはなく、カタカナで書けば「テンガ コンフィアンサ」…前年に続いて、スペイン語でのキャッチフレーズとなりました。なぜスペイン語なのかは分かりませんが…直訳すれば、「自信を持ってください」となります。つまり、「己を信じて」ということになります。
三村監督の過去4年間は、「惜しい」シーズンが続きました。Aクラス入りを果たしているものの、2位に大差をつけてシーズン終盤に差し掛かりながら、故障者が立て続き、逆転優勝を献上してしまった1996年、そして前年はヤクルトの圧倒的強さの前に屈した1997年。自分たちはしっかりとAクラスには入っている、きっと優勝できる…すでに「トータルベースボール」は浸透しただけに、あとは自分たちを信じるのみということだったのでしょう。
この年も、シーズン前半は首位を走っていたカープ。しかし、こいのぼりの季節を終えると、成績はどんどん右肩下がりになってしまいました。一度落ち始めたら、もはや歯止めをかけることは出来ず、しかも、シーズン後半は故障者が続出してしまい、思うような戦力が整えられないままに、三村政権初のBクラスでのシーズン終了となるとともに、この年限りで三村監督は勇退ということになりました。
TOTAL BASEBALL4 R S REALIZAR SUENO(夢の実現)(1997年)
| 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 135 | 66 | 69 | 0 | .489 | 17.0 | 3 |
「トータルベースボール」を掲げて、これまでの3年間は、いずれもAクラスには入るものの、優勝へはなかなか手が届かないシーズンが続いていました。三村監督となり、3位、2位、3位と上位を争い、過去2年は貯金を10以上作ってシーズンを終えているのですが、あと一歩が届かない…その一歩を実現して、「優勝」を実現しようという意気込みを感じるキャッチフレーズとなりました。
しかも、この年のキャッチフレーズは「リアリサル スエニョ」…何と、カープのキャッチフレーズの歴史の中で、初めてのスペイン語となりました。「REALIZAR」は「実現する」という意味、「SUENO」は「夢」や「目標」という意味だそうで、今年こそは夢である「優勝」を実現しようということなのでしょう。3年間で「優勝」という形で達成させたかったトータルベースボール…ちょっと時間はかかっているものの、今年は何とか実現したいところだったのですが、このシーズンは開幕から首位を守り抜いたヤクルトが優勝となりました。
カープはシーズン前半から首位にピタリとくっついて、粘り強く戦っていましたが、徐々に首位に突き放され、7月には調子を崩し、9月以降は負けが込み、結果的に首位と17ゲーム差の3位に終わりました。この年、ルーキーだった澤崎俊和投手が12勝をマークし、新人王を受賞するほどの活躍、また黒田博樹投手も6勝をマークしました。大野豊投手は42歳で最優秀防御率のタイトルを獲得しましたが、打線の破壊力は徐々に低下し、投手も思うように戦力が整わず、苦しい戦いを強いられ、4年連続のAクラス入りは果たしたものの、三村監督4年目にして初めて借金を抱えてシーズンを追えることになりました。
TOTAL BASEBALL3 OVER THE TOP(頂点を極めろ)(1996年)
| 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 130 | 71 | 59 | 0 | .546 | 6.0 | 3 |
「トータルベースボール」を掲げて、チーム力アップを図ってきた三村監督。3年目はその集大成の年と位置付けていたのだと思います。その思いが、この年のキャッチフレーズ「OVER
THE TOP(頂点を極めろ)」の部分にも良く表れています。三村監督1年目が3位、2年目が2位…この流れから来れば、そして優勝が狙えるだけのチーム力の高まりは感じていました。
打線は野村謙二郎選手、前田智徳選手、江藤智選手、金本知憲選手、緒方孝市選手、さらにこの年の加入したルイス・ロペス選手と、非常にレベルの高いラインナップ。投手陣も紀藤真琴投手、山内泰幸投手、さらにカープに加入した加藤伸一投手、守護神には佐々岡真司投手、そしてサイドハンドでセリーグ最多の4度の完封勝利を達成した山崎健投手と、とにかく多士済々な顔ぶれとなっています。これだけの戦力を揃え、チームは5月、6月と貯金をどんどん積み重ねていきます。
しかし、順調だったのはここまでで、7月にチーム内で集団風邪がまん延、さらに主砲・江藤選手がサードゴロを画面に受け、「眼窩底骨折」で離脱…主力の離脱が相次いだことで、控えとの戦力差が如実に表れてしまいました。これにより、一時は11.5ゲーム差をつけていた巨人に、シーズン終盤に一気に交わされてしまい、「メークドラマ」を演出する役割になってしまった…カープにとって悔しさの残るシーズンとなりました。
TOTAL BASEBALL2 FORWARD EVER(前進あるのみ)(1995年)
| 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 131 | 74 | 56 | 1 | .569 | 8.0 | 2 |
躍進遂げた前年から、優勝への機運が高まる中で迎えた三村敏之監督2年目のシーズン。シーズン前半に前田智徳選手がアキレス腱を断裂するという大きなアクシデントもあり、波乱含みのスタートとなりました。
ただ、その中でも前年に培った「TOTAL BASEBALL」を「TOTAL BASEBALL2」という形でさらに進化させるという方針の下で、カープはシーズン通して安定した戦いを見せました。江藤智選手が4番として39本塁打、106打点で2冠を達成し、リードオフマンの野村謙二郎選手は最多安打のタイトルを、さらに緒方孝市選手が急成長を見せ、47盗塁で盗塁王を獲得。投手ではドミニカカープアカデミー出身のロビンソン・チェコ投手がチームの勝ち頭となる15勝をマークし、この年のドラ1ルーキー・山内泰幸投手が14勝を挙げる活躍で新人王を獲得。新戦力や若手の台頭で、主力の離脱を上手くカバーし、昨年から順位を1つ上げて、2位という好成績で、翌年に更なる期待感を残し、シーズンを終えました。
| 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 130 | 66 | 64 | 0 | .508 | 4.0 | 3 |
前年の1993年、カープはシーズン終盤に12連敗を喫するなど、急ブレーキがかかり、最下位に終わりました。その結果、当時の山本浩二監督は辞任を表明し、1994年からは当時2軍で監督を務めていた三村敏之監督へとトップが交代するという変革の時期でした。
その年、三村監督は「TOTAL BASEBALL(総合野球)」をキャッチフレーズに掲げ、かつて古葉竹識監督が培ったカープ野球を継承し、もう一度、土台からチームを作り上げ、適材適所に選手を配置、戦力を練り直し、総合力を高めていくことに着手。その船出は下位争い、最下位低迷と厳しいものでしたが、徐々に三村野球がチーム内に定着し始めると、投手陣の離脱を打線がカバーし、シーズン中盤以降は猛反撃。一時は首位に肉薄するまでに優勝を争うほどになりました。結果は3位でしたが、目指すべきTOTAL
BASEBALLで、チーム力が徐々に高まり、来季への期待が膨らむシーズンとなりました。
| 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 131 | 53 | 77 | 1 | .408 | 27.0 | 6 |
第1期・山本浩二監督の5年目のシーズンとなった1993年。その前年である1992年、チームとしては1982年以来の4位、Bクラスに終わったことで、1993年シーズンは、巻き返しのシーズンでもありました。その思いは、この「RED CHARGE(赤ヘルの進撃)」というキャッチフレーズにも込められました。
開幕からいきなり6連勝とロケットスタートを決め、まさに進撃というにふさわしいものでした。4月を堂々の首位で終え、いよいよこれからが「鯉の季節」だと意気込んだ5月…「カープはこいのぼりの季節まで」と揶揄されることもしばしばありますが、これほどまでにそのフレーズそのものになったシーズンはあっただろうかと思うほど、ゴールデンウィーク頃からチームは大型連敗を繰り返し、低迷。まるで一気にダッシュして、あっという間に息切れし方のように、ズルズルと順位を下げ、シーズン終盤には12連敗という超大型連敗も…結局、1974年、森永勝也監督時代以来、実に19年ぶりの最下位に終わり、山本浩二監督の第1期は寂しい形で幕引きとなりました。
VALUE OF VICTORY(価値ある勝利)(1992年)
| 試合 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 | 順位 |
| 130 | 66 | 64 | 0 | .508 | 3.0 | 4 |
前年、優勝を果たし、日本シリーズでは王者・西武に対して、低い下馬評をひっくり返すかのように、先に王手をかけながらも、惜しくも敗れ、その悔しさを胸に連覇を目指して戦ったシーズンでした。しかし、混戦模様のセリーグの中で、なかなか突き抜けることが出来ないまま…その一方で、打線は野村謙二郎選手が1番打者に定着し、主軸には前田智徳選手、江藤智選手といった当時の若手がどんどん台頭してきたシーズンでもありました。
この年のセリーグは本当に大混戦でした。優勝を果たしたヤクルトから、4位で終わったカープまで、そのゲーム差はわずかに3。ヤクルトでも貯金はわずかに8。それくらいの大混戦でもありました。ちょっとしたことで、一気に入れ替わりそうな状況ではありましたが、なかなか4位を抜け出すことが出来ませんでした。この年のキャッチフレーズのごとく、価値ある勝利をあと少しだけ積み重ねることが出来れば、連覇も夢ではなかったのですが…