※表示している成績は広島での成績、通算は生涯成績です。
| 1990年8月22日生まれ 広島・広陵高〜明治大〜広島(13−25) 2025年オフに戦力外通告を受け、現役引退 その後、カープの情報処理部情報分析課アナリストに就任 |
| 年 | 試合 | 打数 | 安打 | 打点 | 本塁打 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
| 2013 | 30 | 26 | 2 | 2 | 0 | 2 | 5 | 0 | .077 |
| 2014 | 18 | 7 | 2 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | .286 |
| 2015 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
| 2016 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
| 2017 | 37 | 8 | 1 | 0 | 0 | 2 | 3 | 3 | .125 |
| 2018 | 59 | 11 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 6 | .091 |
| 2019 | 31 | 21 | 3 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | .143 |
| 2020 | 56 | 52 | 11 | 4 | 0 | 7 | 4 | 2 | .212 |
| 2021 | 63 | 55 | 15 | 2 | 0 | 11 | 10 | 2 | .273 |
| 2022 | 94 | 261 | 80 | 18 | 2 | 29 | 31 | 2 | .307 |
| 2023 | 84 | 247 | 64 | 17 | 1 | 21 | 46 | 8 | .259 |
| 2024 | 62 | 129 | 27 | 7 | 0 | 8 | 24 | 0 | .209 |
| 2025 | 21 | 27 | 5 | 0 | 0 | 2 | 8 | 0 | .185 |
| 通算 | 562 | 844 | 211 | 50 | 3 | 84 | 142 | 23 | .250 |
広島県福山市出身で、高校は広島の強豪・広陵高、そして明治大へ進学するという、野球界ではエリートコースをたどってきた上本選手。お兄さんは阪神で活躍した上本博紀選手で、高校時代は1学年上に野村祐輔2軍投手コーチ、同学年にはカープで主に中継ぎで活躍した中田廉さんがいました。やはり広島という土地柄、そして広陵高、明治大と進んできただけに、カープに縁があったのでしょう。東京6大学リーグでは通算打率こそ2割に届かないものでしたが、選球眼に優れ、俊足を生かした広い守備範囲のショートとして注目されました。そして、カープがドラフト3位で指名し、入団する運びとなりました。
1年目から背番号は「0」…背番号「0」のイメージは、木村拓也さんや長嶋清幸さんを思い浮かべます。ただ、いすれも入団当初は異なる番号で、在籍中に背番号を「0」に変更しました。それゆえ、入団当初から「0」を背負ったカープでは初めての選手であり、このニュースを聞いた当初は、個人的には「ルーキーに背番号0は相応しくないんじゃないか」と思ったほどです。ただ、守備と走塁は1軍レベルと聞くと、「いぶし銀」タイプで、その点では「0」が相応しかったのかな…と、後々はそう思ったことを思い出します。
ルーキーイヤーの2013年から1軍デビューを飾り、阪神に在籍していた兄と同じ試合で出場したこともありました。ただ、打撃に関しては大きな課題があり、なかなか1軍に定着することが出来ず…。2015年に緒方監督が就任してからは、一時、スイッチヒッターにも挑戦しましたが、右打席でもなかなか結果が出ていなかったにもかかわらず、左打席まで…となると、ちょっと無理があったのかもしれません。2019年のシーズン途中で、スイッチヒッターを諦め、従来の右打席に専念することになりました。
なかなか打撃では1軍で目立つ成績が残せず、ほとんどが守備固めや代走中心。それでも1軍の戦力として重宝された要因として、チームのムードメーカーだったこともあるのでしょう。普段は特別明るい性格ではないようですが、それでもチームを盛り上げようと、試合がコールドゲームや雨天中止となったときには、選手の物まねをしたり、ダイヤモンドを1周して、ホームベースにびしょびしょになりながら、水しぶきをあげながらヘッドスライディングしたりして、球場を盛り上げました。
ところで、先述のスイッチヒッター挑戦、そして断念…このプロ野球人生では遠回りに思えたことが、実は徐々に打撃の感覚をつかんできた要因だったのかもしれません。右打者1本に絞ると、プロ8年目の2020年には初のサヨナラタイムリーを放ち、翌年には打率.273と、規定打席には遠く及ばないものの、打撃で進化を感じさせました。
そして2022年…9月にはプロ10年目にしてついにレフトスタンドへの初アーチを架け、キャリアハイとなる94試合に出場し、打率.307をマーク。ついに「いぶし銀」としての存在感を発揮するようになり、2023年7月22日には、相次いで4番が離脱する中で、何とプロ初の4番に座り、このシーズンは12試合でスタメン4番を任されました。長く打撃に課題があった選手が、30代も徐々に中盤に近づき、プロ11年目となり、代役であり、急場しのぎの印象も強くありましたが、それでも4番を務めるまでになりました。
そもそも、上本選手と言えば、内外野すべてのポジションを守るユーティリティープレイヤーでしたが、打撃でも1〜8番でスタメン出場するほどのユーティリティーぶりを発揮しました。ただ、2024年はシーズン途中で左ハムストリングを痛めるなど、故障続き…上本選手自身、近年は満身創痍の状態だったようです。それもあってか、2025年はわずか21試合の出場にとどまり、打率も.185に低迷…。10月に入り、戦力外通告を受ける結果となりました。
戦力外通告とともに、「正直、体もボロボロ。悔いはありません」と現役引退を決意し、シーズン最終戦ではセレモニーでスピーチを行い、いきなり冒頭から「まず、はじめに、こんな成績を残していない、たいして貢献もしていない選手に、こういう場を与えていただいた松田オーナーはじめ、関係者の皆様、そしてリハビリの真っ最中ですが、打席を与えていただいた新井監督、本当にありがとうございました」と、謙遜した、上本選手らしさを見せると、その後も時折笑いを交えながら、静かにファンへ向けて語りかけました。
そんな上本選手はその後、球団からの打診を受け、「情報処理部情報分析課アナリスト」に所属することが決まりました。裏方に回ることになりますが、これからは2軍を担当し、選手にデータの側面から様々なアドバイスを送り、選手育成の手助けをしていくことになります。現役時代はあまりデータを重視しなかったという上本選手ですが、もう少し活用すればよかったかも…という思いもあるようで、そういった経験を踏まえながら、ぜひ2軍選手の成長を促し、チームを下からどんどん活性化していくような、活躍を期待しています。
| 1999年1月20日生まれ 埼玉・春日部共栄高〜八戸学院大〜 広島(21−25)〜ヤクルト(25−) 現役ドラフトでヤクルトに移籍。 |
| 年 | 試合 | 勝 | 負 | S | 投球回 | 四死球 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 |
| 2021 | 24 | 4 | 4 | 0 | 53.0 | 27 | 35 | 28 | 4.75 |
| 2022 | 3 | 0 | 1 | 0 | 12.0 | 4 | 8 | 9 | 6.75 |
| 2023 | 48 | 3 | 1 | 0 | 49.2 | 26 | 49 | 15 | 2.72 |
| 2024 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4.1 | 0 | 2 | 5 | 10.38 |
| 2025 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.0 | 0 | 2 | 0 | 0.00 |
| 通算 | 80 | 7 | 6 | 0 | 120.0 | 51 | 96 | 57 | 4.28 |
大道投手がドラフト指名された2020年というのは、新型コロナ禍真っ盛りの頃…ただ、その当時、八戸学院大に在籍していた大道投手は、プロ野球のスカウトから垂涎の的となっていました。本格派右腕で、ストレートの最速は150キロ。その直球はスピードよりも速く感じるほどに伸びがあり、しかもスライダーやカーブ、チェンジアップなどの変化球を操り、スタミナもあるため、先発完投型タイプ…こんな投手がドラフト3位で指名、獲得できたのは、カープにとって大きな収穫でした。
ルーキーイヤーはまだまだ世界が新型コロナウイルスの感染拡大の脅威にさらされていた年。なかなか難しいシーズンではありましたが、その中で大道投手は開幕1軍入りを果たし、シーズン序盤は中継ぎ、その後は先発も挑戦し、トータルで24試合に登板し、4勝をマークしました。
個人的に、大道投手の登板の中で、最も印象深かったのは、ルーキーイヤー、2021年6月11日、交流戦期間中で敵地・京セラドーム大阪でのオリックス戦です。大道投手にとってはプロ初先発、そして相手は今やメジャーで大活躍している山本由伸投手…客観的にみれば、カープにとっては非常に厳しい状況の中で、大道投手はそれまでの中継ぎでの登板でのストレートで押す投球から切り替え、変化球をうまく織り交ぜた投球で5回まで、相手打線をノーヒットに抑える好投を見せ、山本由伸投手と互角の勝負を見せたのです。
しかし、その後は、良い時には7回を無失点に抑える素晴らしいピッチングを見せる反面で、5回持たずに炎上してしまうこともしばしば…なかなか投球内容が安定せず、2軍降格となりました。150キロの台のストレートも、登板を重ねると、その球速が目に見えて落ちてくる…そのあたりには課題があったようです。
そんな大道投手が最も輝いたのは2023年…新井監督1年目のシーズンでした。この年は中継ぎの一角として、シーズンを投げ抜き、自己最多の48試合に登板し、3勝をマークしました。中継ぎとしてついにその素質が花開いた大道投手…その背景には、それまでは150キロ前後だったストレートが、最速で154キロまで計時したこと、さらにはカットボールを習得し、それが試合の中で勝負球として使えるようになったことがありました。
しかし、2024年はその球威も影を潜めてしまい、わずか4試合の登板にとどまると、2025年はシーズン最終盤に1試合だけ登板して、そのままシーズンを終了しました。ただ、わずか1試合ではありますが、その登板で見せたストレートには大道投手らしい伸びを感じさせるものがありました。そこには、まだまだ出来る…というものを感じさせました。
シーズンを終了し、契約更改も大幅なダウンとなり、来季へ向けて…というところで、大道投手にとっては大きな転機がありました。それは現役ドラフト…ヤクルトの指名を受け、移籍することが決まったことです。連絡が来た際には、かなり動揺した様子でしたが、実際にヤクルトの、背番号「46」のユニフォームを着ると、もうスワローズの一員として、「すごくワクワクしています」と意気込みを語りました。
今季最終戦で見せたストレートの球威…環境が変われば、まだまだ出来るはずです。しかも、ヤクルトと言えば、2024年の現役ドラフトで矢崎拓也投手が、カープからヤクルトへ移籍し、新天地で活躍を見せました。そんな実績があることも、大道投手にとっては心強いはずです。さらに言えば、大道投手は埼玉県出身…地元の関東に戻るということも、間違いなくプラス要素でしょう。
所属球団では戦力上、なかなか活躍の場が得られない選手を救済するためにスタートしたのが現役ドラフト。その目的を考えると、大道投手はたしかに素晴らしいストレートを持っていますが、カープに在籍するより、ヤクルトの方が必要とされる場面は増えるはず。もともと極めて素質の高い選手であり、頑丈でもあるだけに、新天地でさらに大きな花を咲かせ、カープにとってはかなり手ごわい投手になるかもしれません。それもまた現役ドラフトの意義…ぜひ、新天地で力強いストレートを投げ込む姿を見せ、さらにもう一花咲かせてほしいと思います。
| 1997年4月17日生まれ 茨城・常総学院高〜法政大〜広島(20−25) 2025年オフに戦力外通告 海外で現役続行を目指す |
| 年 | 試合 | 打数 | 安打 | 打点 | 本塁打 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
| 2020 | 13 | 43 | 11 | 3 | 0 | 4 | 7 | 3 | .256 |
| 2021 | 43 | 148 | 43 | 14 | 4 | 9 | 42 | 6 | .291 |
| 2022 | 45 | 88 | 18 | 6 | 1 | 9 | 23 | 0 | .205 |
| 2024 | 41 | 66 | 16 | 8 | 3 | 6 | 22 | 3 | .242 |
| 通算 | 142 | 345 | 88 | 31 | 8 | 28 | 94 | 12 | .255 |
茨城・常総学院高から法政大を経て、カープに入団するという、アマチュア野球界では超エリートコースをたどってきた宇草選手。大学時代は50m5秒8という抜群の俊足と、長身ですらっとした体型ながら、鋭いスイングで打球をスタンドまで運んでいくパンチ力が大きな魅力でした。大学4年間で7本塁打を放ち、特に4年春には外野手としてベストナインにも選ばれました。
2019年のドラフト2位でカープに入団した宇草選手。守備ではやや肩が弱く、しかもコントロールも今一つ…そんな不安はありながらも、俊足と打撃では十分に1軍で通用するものがあるという期待がありました。ただ、ルーキーイヤーは新型コロナウイルス感染拡大が全世界的に懸念されており、プロ野球も開幕が3か月近く遅れ、開催試合数も減り、さらには無観客試合も多く組まれるほど…。そんな状況の中でのプロ生活のスタートとなりました。
しかし、宇草選手はウエスタンリーグでサイクル安打を達成するなど、2軍では印象深い打撃を見せ、10月上旬に1軍初昇格を果たすと、打撃と俊足をいかんなく発揮。死球により右腓骨の骨折というアクシデントがあるまでの約2週間の間に、13試合に出場し、プロ初打点、初盗塁もマークし、今後へ期待が膨らむ内容を見せました。
2021年には、なんとあのマー君こと田中将大投手(当時楽天)からプロ初本塁打を放ちました。出場試合数を一気に伸ばし、4本塁打で打率も.291と、打撃面で進化を見せました。しかし、その一方で、やはり守備面には不安があり、しかも調子がいい時は素晴らしいのですが、調子を落とすと、低迷をなかなか抜け出せない…そんな調子の波の激しさも大きな課題となっていました。その当時から、いわゆる「走り打ち」と呼ばれる、スイングしながら1塁方向へ体勢が傾き走り出してしまいそうなフォームになる…そこが打撃の調子が不安定になってしまう要因ともされていました。
プロ3年目の2022年にはプロ初のサヨナラアーチを放ち、その月の「スカパー!サヨナラ賞」を受賞したものの、このサヨナラアーチをきっかけに、一気に調子を崩してしまい、その後、2軍に降格…。本来であれば、サヨナラ本塁打という大きな仕事をやってのけ、一気にスタメン、レギュラーへと成長してほしいところだったのですが、結果はまったくの逆になってしまった…これだけのインパクトある活躍を見せた直後だっただけに、ここでさらなるアピールが出来ず、尻つぼみになってしまったことで、1軍が遠いものになってしまったのかもしれません。
2023年はいよいよプロ入り後初の1軍出場なし。2軍でも打率.210に低迷してしまいました。外野はレギュラー争いが激しいポジションであり、打力が求められる中で、本来は自慢の打撃で、2軍でも結果が残せなくなってしまった…この1年間は宇草選手のプロ野球人生を考えると、非常にもったいない1年だったといえるかもしれません。
ただ、そんな宇草選手も2024年、2軍でも開幕から絶好調をキープし、1軍に昇格すると、4月20日からわずか1週間で、3本塁打を放つという、猛烈なアピールを見せたのです。外野のレギュラー争いでは最後方にいた宇草選手が、一気にライバルをまくった瞬間でした。すべて内角高めの球に対して、見事な反応でライトスタンドに運ぶという、パワーヒッターらしいホームランを連発したのです。
しかし、その好調ぶりは長くは続かず、しかもシーズン中盤には腰痛のため、7月4日に2軍降格。これより先、もう宇草選手を1軍で見ることがなくなるとは、思いもよりませんでした。昨季、2025年…1軍昇格もなく、2軍でも打率は.243と今一つ。2軍でも出場機会は限られる中で、結果を残すことは出来ず、そのまま戦力外通告を受けることになりました。
その後、トライアウトを受験したものの、結果は7打数ノーヒット。まるで良いところを見せることが出来ないまま、当然のように、オファーはなく…。ただ、そのトライアウトの結果には悔しさが残り、海外でやりたいという気持ちが高ぶってきたそうです。調子がいい時の宇草選手の打撃は素晴らしい…海外で野球を続けていきたいという思い、それが実現し、新たなステージに進むことが出来ることを願っています。
| 1992年11月1日生まれ 愛知・中京大中京高〜広島(11−25) 2025年オフに戦力外通告を受け、現役引退 その後、2軍マネージャ・広報担当として球団スタッフに |
| 年 | 試合 | 打数 | 安打 | 打点 | 本塁打 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
| 2012 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .333 |
| 2013 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | .000 |
| 2015 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
| 2016 | 24 | 31 | 5 | 2 | 0 | 1 | 5 | 0 | .161 |
| 2017 | 21 | 34 | 8 | 3 | 2 | 4 | 8 | 0 | .235 |
| 2018 | 37 | 79 | 17 | 4 | 1 | 7 | 12 | 0 | .215 |
| 2019 | 65 | 108 | 30 | 21 | 4 | 5 | 24 | 0 | .278 |
| 2020 | 31 | 48 | 10 | 1 | 1 | 4 | 8 | 0 | .208 |
| 2021 | 21 | 35 | 6 | 3 | 0 | 3 | 9 | 0 | .171 |
| 2022 | 43 | 114 | 27 | 15 | 3 | 9 | 20 | 0 | .237 |
| 2023 | 25 | 29 | 6 | 4 | 1 | 2 | 10 | 0 | .207 |
| 2024 | 10 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | .000 |
| 2025 | 6 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 |
| 通算 | 289 | 499 | 110 | 53 | 12 | 37 | 103 | 0 | .220 |
2010年のドラフト会議でカープが5位指名したのが、当時、愛知・中京大中京高に在籍していた磯村選手でした。同じ年の6位指名で入団したのが中崎翔太投手、そして同じ中京大中京高の1年先輩で、ちょっと先にカープに入団したのが堂林翔太選手です。高校自体は堂林選手とバッテリーを組み、3年生が抜けた後にはチームの主将として、4番を担う中心的存在でもありました。まるで憧れる先輩の後を追うように、カープのユニフォームに袖を通すことになりました。
2年目となる2012年には、19歳にして1軍昇格を果たし、カープの捕手としては小畑幸司選手以来、19年ぶりとなる、10代でのスタメンマスクをかぶり、プロ初安打も放ちました。高卒2年目にしての1軍デビュー…非常に順調にプロの階段を上がっていると思われましたが、その後、2軍での生活が長くなりました。当時は石原慶幸選手、倉義和選手、そして会沢選手と1軍には捕手が揃っており、さらには白浜裕太選手も控えている状況の中で、1軍の壁は非常に高いものがありました。
しかし、2016年、倉選手が2軍バッテリーコーチを兼務することになったことで、1軍昇格の扉が徐々に開かれ、自己最多の24試合に出場し、プロ初打点もマークしました。この年、カープは25年ぶりのセリーグ制覇を果たし、磯村選手は日本シリーズの出場資格メンバーにも入りました。しかし、残念ながら、出場機会はないままシリーズは終了しました。
ところが、この頃から、1軍では第3の捕手としての役割が定着し、けして出場機会は多くはないものの、常にベンチで出場機会のために準備を進めていました。2017年には引退した倉選手がつけていた背番号「40」を継承。なんせ、この「40」という背番号は、カープでは達川光男さんがつけており、捕手の代名詞のような番号。それだけ捕手としての期待度の高さを感じさせました。2019年には、結果的にはキャリアハイとなる65試合に出場。特に、勝負強い打撃が評価され、右の代打の切り札としての起用が急増しました。規定打席には遠く及ばないものの、打率.278、4本塁打、21打点、しかも得点圏打率は驚異の.389をマークし、一気に存在感を高めました。
ところが、その後は徐々に出場機会を減らしていった磯村選手。その背景には坂倉選手の台頭もありました。坂倉選手がサードを中心に守った2022年には磯村選手の出場機会が増えたのですが、新井監督就任後、坂倉選手が再び捕手中心の起用となると、とたんに出場機会は激減。2024年、2025年と、度重なる故障もあり、数少ない出場機会の中で、2年連続でヒットを放つことが出来ないまま、ドラフト会議終了後、戦力外通告を受けることになりました。
磯村選手と言えば、その「アゴ」が愛すべきキャラクターとなり、本塁打を放った際には、ベンチで見守るナインからアゴタッチで出迎えられる場面もありました。年末年始の広島のローカル番組では、カープファンのアンケート結果の第1位の選手を当てるクイズで、「アゴと言えば?」という問題に、お約束の1位に輝いていたのには笑わせてもらいました。また、1つ先輩の堂林選手とは、中学時代から同じチームに所属し、「絶対に越えられない野球技術、人間性…常に近くですごく素晴らしい存在」と尊敬し、広島ローカルの正月番組でも2人で街ブラをするなど、長い間、野球を通して人生を共にしている息の合った掛け合いがありました。
戦力外通告を受け、野球は続けず、現役引退を決意したようです。現役時代から社会貢献活動を続けてきた磯村選手は、今後も活動を続けていき、それをカープの選手にも体験してほしいという願いもあるようです。その一方で、球団本部ファーム管理部ファーム管理課課長(2軍マネージャ・広報担当)という役職で球団スタッフに就任することになりました。カープに残り、球団スタッフとしてカープを裏から支えるとともに、ファームをどんどん活性化させる活躍を期待しています。
| 1996年1月18日生まれ セナペック高〜カープアカデミー(11)〜ブルワーズ(16−18)〜 ホワイトソックス(19−24)〜広島(25) 契約更新せず、退団 |
| 年 | 試合 | 勝 | 負 | S | 投球回 | 四死球 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 |
| 2025 | 6 | 1 | 1 | 0 | 26.2 | 17 | 20 | 11 | 3.71 |
| 通算 | 6 | 1 | 1 | 0 | 26.2 | 17 | 20 | 11 | 3.71 |
2024年のシーズンオフ、カープはファビアン選手、モンテロ選手といったドミニカ共和国出身の野手を次々と獲得しましたが、先発陣の補強として、こちらもドミニカ共和国出身のドミンゲス投手を獲得しました。しかも、ドミンゲス投手は2011年ごろにカープアカデミーの練習生として短い期間ではありますが、在籍していたこともあり、カープの環境になじみやすいという大きなメリットもあったのでしょう。
そんなドミンゲス投手は2016年に米大リーグ・ブリュワーズとマイナー契約を結び、2018年のシーズン中にホワイトソックスへ移籍。2022年には初めてメジャー昇格を果たすものの、デビューを果たすことが出来ないまま、マイナーに降格となりました。カープに入団する直前の2024年には、3Aで主に先発として27試合に登板し7勝5敗ながらも、防御率4.84、2Aでも1試合に登板していました。
最速157キロのストレートに加え、チェンジアップ、ツーシーム、シンカー、スライダーといった多彩な変化球を持っている…そう聞けば、日本向きなのではないかとも思うのですが、マイナーでの成績を見ると、どうもコントロールには課題があるようでした。しかも、最も気がかりだったのが、メジャーの経験がないこと。近年は日本の野球のレベルが上がっていることで、多少でもメジャーの経験がなければ、日本で活躍するのが難しくなるケースが多々見受けられます。主に3A、2Aが中心だったドミンゲス投手が、果たして日本で通用するのだろうか…という一抹の不安はありました。
4月8日の中日戦で1軍デビューを飾ったドミンゲス投手は、中日打線を6回まで1安打に抑える好投を見せました。ただ、唯一の失点は、3つの四球を与え、自分自身でピンチを招き、ショートゴロの間の1点…6回まで5つの四球を与え、変化球も高めにすっぽ抜けることが多く、初対戦で、しかも荒れ球だったことが功を奏しての好投だったようにも感じました。
それでも1週間後、再び中日戦のマウンドに上がったドミンゲス投手は5回までを1失点に抑え、来日初勝利を手にしました。その後も先発を重ねるのですが、長く投げられても5回まで…そのピッチングは、球威のあるストレートで押し、変化球でタイミングを外すというもので、ストレートが高めに抜けることが多くなると、どうしてもコントロールに苦しみ、しかも球数が増えてしまうことが目立ちました。
5月22日のヤクルト戦で中継ぎ登板をし、その翌日には奥様の出産立ち合いのために一時帰国。再来日後に登板した6月19日の交流戦でのソフトバンク戦では5回までに8安打を浴び、6点を失い、来日初黒星を喫しました。結果的には、これが日本での、1軍での最後のマウンドとなってしまいました。
ウエスタンリーグでも先発でなかなか結果を残せなかったドミンゲス投手は、8月中旬からは中継ぎでの登板が続きました。1回をピシャリと抑えることも多かったのですが、それは本来、球団が期待した先発としての姿ではありませんでした。やはり先発をするには、コントロールがばらつきすぎて、ストレートの球威頼みなところがあった…それは先発タイプではなく、むしろ中継ぎタイプだったのでしょう。1イニングなら抑えられても、長いイニングを投げるには難しいところがあったと思います。
近年、ドミンゲス投手以外にも、先発候補で獲得した外国人投手を見ると、ストレートの球威で押していくスタイルが多く、長いイニングをこなせない、どちらかといえば中継ぎタイプが多いように思います。そういった投手は、日本ではコントロールに苦しむ、せいぜい5回までしか投げられない…そんな傾向も強い印象を受けます。それゆえに、ドミンゲス投手の投球を見たとき、「これは先発では難しいかも…」と感じました。
20代の中盤ならば、日本の野球に慣れ、成長してくれるのではないかという期待感もあるのですが、30歳を手前にして、しかも先発では難しいとなると、やはり2年目の契約は難しいものがありました。1年限りでカープを退団することになったのは残念ですが、先発として期待する新外国人投手の見極めというのは、しかもマイナー中心で選ぶとなるとなかなか難しいものがあることも実感させられます。
| 1997年5月21日生まれ 愛知・中京大中京高〜慶応義塾大〜 トヨタ自動車〜広島(22−25) 2025年オフに戦力外通告を受け、現役引退。 テレビマンを目指す。 |
| 年 | 試合 | 打数 | 安打 | 打点 | 本塁打 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
| 2022 | 63 | 121 | 29 | 10 | 3 | 8 | 31 | 0 | .240 |
| 2024 | 12 | 24 | 2 | 2 | 1 | 0 | 8 | 0 | .083 |
| 2025 | 4 | 6 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 1 | .000 |
| 通算 | 79 | 151 | 31 | 12 | 4 | 12 | 40 | 1 | .205 |
愛知・中京大中京高から慶応義塾大、そして社会人ではトヨタ自動車と、その経歴はまさに野球エリートと呼ぶにふさわしい華麗なものでした。慶応大時代には3年秋の東京6大学リーグ戦で5本塁打を放ち、右の長距離砲として頭角を現すなど、4年間で8本塁打を放ちました。その長打力は社会人に進んでも発揮され、2021年のドラフト3位でカープに入団しました。当時の印象としては、どこか長野久義選手に打撃スタイルが似ているなというものでした。外角球をうまく逆方向へ逆らわずにはじき返すだけでなく、その打球には伸びがあり、引っ張ればレフトスタンドに届くような豪快な放物線を描く…しかも、俊足で守備力も高く、3拍子が揃っている万能型のタイプでした。
思い返せば、この2021年のドラフトで、カープの最大のテーマは、この年のオフに鈴木誠也選手のメジャー移籍があり、どうしても「ポスト誠也」となる右の長距離砲が必要でした。そもそも、鈴木選手のメジャー志向が強いことは事前から分かっていたはずなのですが、それでもなかなか補強には踏み切らなかった…そこで慌てたように、即戦力の右の長距離砲獲得を目指し、中村健人選手と末包選手という、社会人でも注目の大砲候補を指名したのです。
そんな中村健選手は1年目から、開幕1軍入りを果たし、5月上旬には5試合連続を安打を、さらには5月15日のヤクルト戦では7番・ライトでスタメン出場を飾り、自身初の猛打賞を記録するだけでなく、ヤクルトの大ベテラン左腕・石川雅規投手から、逆方向のライトスタンド最前列に運ぶプロ初アーチも架けました。逆方向へとぐんぐん伸びる打球…まさに中村健選手らしい、持ち味に満ち溢れた素晴らしい一発で、一時は打率も3割を超えていました。
しかし、なかなか調子を維持するのは難しく、その後は下降気味。それでも、ルーキーイヤーは63試合に出場し、3本塁打を放ちました。それは同期入団の末包選手より1本多いものでした。さらに外野の守備では、あわや失点の危機という状況で、素晴らしいファインプレーを随所で見せました。中村健選手の外野守備で何度となく救われるとともに、ベンチスタートであっても、ベンチから声をとにかく出して、チームを元気づける…その点でも非常に存在感を示しました。
この調子で、1軍に定着してくれるのではないかと思われましたが、2年目にスランプに陥り、2軍でも打率2割を超えるのがやっと…結果が残せないまま、1軍に昇格することもなくシーズンを終えました。社会人からプロ入りして2年目…1年目で残したまずまずの結果から、飛躍のチャンスを逃す形になりました。振り返れば、この1年の停滞が大きかったように思います。2024年に2年ぶりの1軍昇格を果たした中村健選手は、カープが大の苦手にしている阪神・大竹耕太郎選手から、2年ぶりとなるアーチをレフトスタンドに架けました。しかし、1軍昇格のチャンスも打率1割を切る状況の中で、定着することは出来ず。
そして2025年は、2軍で長打力を発揮するなど、2割台後半の打率をマークし、7月中旬には1軍でもチャンスを与えられましたが、2つの四球を選び、粘りの打席を見せることはあっても、ヒットを放つというアピールが出来ず、2週間で降格となりました。そして、その後、2軍では結果を残しても、昇格することがないまま、シーズンを終え、戦力外通告を受けました。
守備力は素晴らしい選手だったと思います。今季のオープン戦でもレフトスタンドへのホームラン性の当たりを見事にキャッチするというスーパーファインプレーも見せました。もし、1軍でレギュラーとして出場すれば、ゴールデングラブ賞も受賞できるのではないかというほどの実力でしたし、将来はチームリーダーになれるほど、チームをまとめる能力があったと思います。しかし、最も期待される打撃で結果が残せなかった…2年目の低迷が尾を引いてしまったのかもしれません。
トライアウトにも参加した中村健選手でしたが、打撃でアピールできず、結局、どこからもオファーがないまま、現役引退という運びになりました。そして、引退後…中村健選手は「人を笑わせるのが好きですし、エンタメも大好き。そういうところで仕事が出来たら…」という思いを口にし、「テレビの制作とか。キー局、準キー局全部聞いて回ろうかなと。テレビをつくってみたい」と今後の夢を語りました。チームでもトップクラスの「声だし」で盛り上げた中村健選手。
ルーキーイヤーには、チームが下り坂にある中で、1軍昇格を果たしたことがありましたが、声出しで盛り上げてくれるからというのが理由でないかと思ったときもあったほどです。それだけ、場を盛り上げるのが得意で、テレビマンには向いているのではないでしょうか。なんとなく、昭和のプロデューサーのように、セーターを肩から掛ける姿が似合うような気もします。自分の次なる夢ぜひ叶えて、「えっ、あの人気番組、『ケンティー中村』が作ってるの!?」と、あっと言わせるような活躍を楽しみにしています。
| 1993年10月26日生まれ 大阪桐蔭高〜立命館大〜ホンダ鈴鹿〜 オリックス(18−24)〜広島(25) 2025年オフに戦力外通告を受け、現役引退 |
| 年 | 試合 | 打数 | 安打 | 打点 | 本塁打 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
| 2025 | 11 | 14 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | .111 |
| 通算 | 294 | 343 | 66 | 24 | 4 | 30 | 64 | 10 | .192 |
| ※年度別の成績はカープ在籍時のみ ※通算はオリックス時代(2018〜2024年)も含めての成績 |
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2024年12月、当時3年目を迎えた現役ドラフトが行われました。当初、カープはこの現役ドラフトで投手がほしかったようですが、このドラフトの指名順の兼ね合いもあって、1位で指名したのが当時オリックスに在籍していた山足選手でした。7年目のシーズンを終了した内野のユーティリティープレイヤーの指名は意外であるような気もしましたが、同じくユーティリティープレイヤーの上本崇司選手の年齢も上がっていく中で、上本選手よりも3つ年下の山足選手…レギュラーは難しくとも、試合終盤の守備固めとしてもベンチに置いておきたいタイプの選手だけに、十分にチームにフィットできる戦力だと感じました。
そんな山足選手は大阪府枚方市出身。大阪桐蔭高から立命館大に進学。その後、Honda鈴鹿ではショートのレギュラーとして活躍し、2017年のドラフト8位でオリックスに入団しました。オリックスではルーキーイヤーから、いきなり開幕スタメンを勝ち取りました。けして出場機会は多くはないものの、プロ入り後はショートに限らず、内野の様々なポジションを守るユーティリティープレイヤーとして、スーパーサブ的な戦力となりました。2021年にはオリックスが25年ぶりにパリーグを制覇し、さらには日本シリーズにも出場しましたが、第6戦では代走として初出場を飾りました。さらに翌2022年、7月31日のロッテ戦で自身のセンター前ヒットからの逆転劇、さらにはセカンドゴロからの判断の良いサードへの送球で、3塁を狙うランナーを刺す大活躍で、「時代は山足」というキャッチフレーズを生み出すほど、印象深い活躍を見せました。
しかし、その後は守備固めを中心とした起用になっていましたが、打席に立つ機会は年々減少していました。そこで、2024年オフの現役ドラフトで、カープが1位指名をし、移籍することになったのです。
移籍1年目となった2025年、オープン戦では内野ならどこでも守れる堅実な守備力と、しぶとい打撃で結果を残し、開幕1軍入りを果たしました。シーズンが始まると、オープン戦のように出場機会は得られず、4月は7試合の出場で、打席に立ったのはわずか3度にとどまりました。
そんな中、山足選手がカープで最も目立った瞬間…それは5月4日の中日戦で、7番・サードとして移籍後初のスタメン出場を飾った試合でした。4回裏の第2打席は1アウト1・3塁というチャンスの場面で回り、中日先発・岡田俊哉投手から三遊間を破るレフト前への同点タイムリーを放ちました。打線はその後も得点を重ね、このイニングだけで7得点を奪うというビッグイニングとなりました。この日、山足選手は初めてヒーローインタビューを受けました。山足選手がカープの選手として輝いた瞬間だったのですが、このレフトへのタイムリーが山足選手にとって、カープで唯一の安打、そして打点…それとともに、プロ野球人生で最後のヒットになるとは思いませんでした。これからカープの一員として、さらに存在感を出してくれるのでは…と期待していました。
結局、その後、5月19日に1軍登録を抹消され、シーズン終了まで2軍暮らしとなりました。このとき、代わりに1軍に昇格したのが、同じユーティリティープレイヤーですが、3つ年上の上本選手でした。世代交代に逆行する流れ…このとき、何となくですが、山足選手がいくら結果を残そうとも、もう1軍から呼ばれることはないのではないか…そんな予感がしました。そして、その予感は当たってしまいました。
シーズンが終わり、ドラフト会議終了後、第2次戦力外通告期間に入り、球団から戦力外の通告を受けることになりました。第1次ではなく、第2次の期間での通告。上本選手が第1次期間中に戦力外通告を受け、内野のユーティリティープレイヤーとして、山足選手は戦力として考えられる状況になったわけです。しかし、第2次での戦力外…もしかしたら、ドラフトの指名選手次第では来季も引き続き、カープに在籍することになったのかもしれませんね。
11月12日、合同トライアウトに参加し、1本、ヒットを放ちました。しかし、山足選手はトライアウト終了後、実は戦力外通告を受けた翌日には現役引退を決意していたそうです。それでもトライアウトを受けたのは、間違いなく打席に立つ姿を家族に見せることが出来るから…日々、いつ出場するか分からない状況の中で戦ってきた山足選手らしい考えがあったようです。そして、家族が見守る中で、センター前にヒットを放つことも出来ました。山足選手は「何とかへばりついて8年出来たことを誇りに思う。やりきったという思いが強い」と語りました。ドラフトでは8位という超下位指名、しかも社会人からの入団とあって、いつ終わりを告げられてもおかしくない状況の中で、オリックスではリーグ3連覇を体感することもでき、日本シリーズと最高の舞台にも立つことが出来ました。カープではわずか1年間の在籍となり、1軍から声がかからない状況が続きましたが、それでも2着目のユニフォームも着れた…
「やりきった」という思いでプロ野球選手として終わることが出来たこと…それはひとえに山足選手の日々の努力のたまものであり、素晴らしいことだと思います。満足して次のステップに進める…きっと、山足選手の第2の人生は明るいものになることでしょう。これからも新天地での活躍を祈っています。
| 2003年1月16日生まれ 智弁和歌山高〜広島(21−25)〜四国ILplus・徳島(26−) シーズン終了後、戦力外通告。 四国アイランドリーグplus・徳島に特別合格選手として入団 |
| 年 | 試合 | 勝 | 負 | S | 投球回 | 四死球 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 |
| 2021 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3.2 | 2 | 6 | 4 | 9.82 |
| 2022 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 9.00 |
| 通算 | 2 | 0 | 0 | 0 | 4.2 | 3 | 6 | 5 | 9.64 |
かつて、高校野球において、先発投手というのは最後まで投げ切るといった先発完投がごく一般的でしたが、近年は球数制限もあり、先発、中継ぎという役割分担も一般的なものになりつつあります。その中で小林投手は、名門・智弁和歌山高時代、主にリリーフとしての登板が中心であり、最速152キロのストレートを中心に、剛速球と変化球で相手打者をねじ込む投球が魅力で、2020年のドラフト4位でカープが指名、入団となりました。
当時、小林投手は将来の目標として、「火の玉ストレート」で名をはせた藤川球児投手(現阪神監督)を挙げており、伸びのあるストレートはまさに、その素質を十分に感じさせるものでした。ただ、ルーキーイヤーから、2軍での起用を見ていると、小林投手を先発として育てたいというのが球団の思いだったのでしょう。たしかに、ストレートの球威は一級品ですが、カットボール、カーブ、スライダー、チェンジアップ、スプリットなど、高校時代は中継ぎでの登板が中心であったにもかかわらず、変化球の球種が多い点で、先発の方が面白いのではないかという判断だったのかもしれません。
ルーキーイヤーからウエスタンリーグで先発のマウンドにも上がっていた小林投手は、9月29日のオリックス戦でなんと「完投負け」とはなったものの、8回を2失点で投げ抜いたのです。それもあってか、1年目から1軍昇格を果たし、11月1日、この年の最終戦で先発のマウンドに上がり、その後日本一となるヤクルトの強力打線を相手に、最速152キロのストレートを投げ込み、村上宗隆選手や山田哲人選手といった主力からも三振を奪う投球を見せました。4回途中4失点という結果ながら、2年目への期待は大きく膨らみました。
この頃、カープでは高校からプロの世界に飛び込んできた若手が、2年目に1軍で頭角を現してくるというケースが続いていました。例えば、アドゥワ投手、そして遠藤投手に玉村投手…小林投手もこの流れに乗って、2年目は一気に1軍で戦力として台頭してくるのではないか、そんな流れも期待感の増幅を後押しするかのようでした。
しかし、小林投手を苦しめたのは度重なる疲労骨折でした。
2年目(2022年)の6月、ウエスタンリーグでの登板中に右ひじを疲労骨折し、そのままシーズンを終えることになり、2軍での復帰は5月までずれ込みました。3年目、持ち前のストレートの球威はやや下がったように感じました。それでもウエスタンリーグで防御率2点台…復活を感じさせる内容でした。
ところが、その年の秋季キャンプ中に再び右ひじの疲労骨折が再発し、今度は骨移植手術を受けることになりました。2024年の8月に実戦に復帰しましたが、なかなか本来の投球ができないまま、戦力外通告に…。その後、育成選手として再契約を結びましたが、ウエスタンリーグで27試合に登板し、復活の兆しを感じさせる投球を見せるときもありながら、防御率は4点台後半。これにより、再び戦力外通告を受けることになりました。
その後、トライアウトを受験した小林投手は、守備側のエラーはありましたが、3人を相手にノーヒットに抑え、ストレートは最速145キロを計時しました。ウエスタンリーグでも140キロ台後半を計時することもあり、徐々に復調を感じさせていただけに、まだまだ出来るのではないか…と思うほどでした。
年が明け、2026年になり、1月12日、四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスに特別合格選手として入団が発表されました。独立リーグではありますが、野球を続けることが出来るわけです。過去には、現在ソフトバンクで活躍中で、ついには1億円プレイヤーまで上り詰めた藤井晧哉投手も、カープを戦力外となり、四国アイランドリーグに在籍し、そこから現在の地位にまで上り詰めたこともあり、小林投手にも大きなチャンスがあるはずです。
カープでは度重なる疲労骨折に悩まされた小林投手。その点では先述の藤井投手とは大きく異なる部分かもしれませんが、本来の球威を取り戻せば、そもそも多彩な変化球と制球力の高さも持ち合わせているだけに、十分に復活、そしてNPBに返り咲ける可能性はあると思います。独立リーグの中でも、とりわけ育成力の高さに定評がある徳島で、素質を開花し、再びNPBに戻ってこれる日が来ることを願っています。