あなたを忘れない〜2025年度版〜

 ※表示している成績は広島での成績、通算は生涯成績です。

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40 磯村 嘉孝(捕手)

1992年11月1日生まれ
愛知・中京大中京高〜広島(11−25)

2025年オフに戦力外通告を受け、現役引退
試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2012 1 3 1 0 0 0 0 0 .333
2013 4 2 0 0 0 1 1 0 .000
2015 1 0 0 0 0 0 0 0 .000
2016 24 31 5 2 0 1 5 0 .161
2017 21 34 8 3 2 4 8 0 .235
2018 37 79 17 4 1 7 12 0 .215
2019 65 108 30 21 4 5 24 0 .278
2020 31 48 10 1 1 4 8 0 .208
2021 21 35 6 3 0 3 9 0 .171
2022 43 114 27 15 3 9 20 0 .237
2023 25 29 6 4 1 2 10 0 .207
2024 10 9 0 0 0 1 4 0 .000
2025 6 7 0 0 0 0 2 0 .000
通算 289 499 110 53 12 37 103 0 .220

 2010年のドラフト会議でカープが5位指名したのが、当時、愛知・中京大中京高に在籍していた磯村選手でした。同じ年の6位指名で入団したのが中崎翔太投手、そして同じ中京大中京高の1年先輩で、ちょっと先にカープに入団したのが堂林翔太選手です。高校自体は堂林選手とバッテリーを組み、3年生が抜けた後にはチームの主将として、4番を担う中心的存在でもありました。まるで憧れる先輩の後を追うように、カープのユニフォームに袖を通すことになりました。

 2年目となる2012年には、19歳にして1軍昇格を果たし、カープの捕手としては小畑幸司選手以来、19年ぶりとなる、10代でのスタメンマスクをかぶり、プロ初安打も放ちました。高卒2年目にしての1軍デビュー…非常に順調にプロの階段を上がっていると思われましたが、その後、2軍での生活が長くなりました。当時は石原慶幸選手、倉義和選手、そして会沢選手と1軍には捕手が揃っており、さらには白浜裕太選手も控えている状況の中で、1軍の壁は非常に高いものがありました。

 しかし、2016年、倉選手が2軍バッテリーコーチを兼務することになったことで、1軍昇格の扉が徐々に開かれ、自己最多の24試合に出場し、プロ初打点もマークしました。この年、カープは25年ぶりのセリーグ制覇を果たし、磯村選手は日本シリーズの出場資格メンバーにも入りました。しかし、残念ながら、出場機会はないままシリーズは終了しました。

 ところが、この頃から、1軍では第3の捕手としての役割が定着し、けして出場機会は多くはないものの、常にベンチで出場機会のために準備を進めていました。2017年には引退した倉選手がつけていた背番号「40」を継承。なんせ、この「40」という背番号は、カープでは達川光男さんがつけており、捕手の代名詞のような番号。それだけ捕手としての期待度の高さを感じさせました。2019年には、結果的にはキャリアハイとなる65試合に出場。特に、勝負強い打撃が評価され、右の代打の切り札としての起用が急増しました。規定打席には遠く及ばないものの、打率.278、4本塁打、21打点、しかも得点圏打率は驚異の.389をマークし、一気に存在感を高めました。

 ところが、その後は徐々に出場機会を減らしていった磯村選手。その背景には坂倉選手の台頭もありました。坂倉選手がサードを中心に守った2022年には磯村選手の出場機会が増えたのですが、新井監督就任後、坂倉選手が再び捕手中心の起用となると、とたんに出場機会は激減。2024年、2025年と、度重なる故障もあり、数少ない出場機会の中で、2年連続でヒットを放つことが出来ないまま、ドラフト会議終了後、戦力外通告を受けることになりました。

 磯村選手と言えば、その「アゴ」が愛すべきキャラクターとなり、本塁打を放った際には、ベンチで見守るナインからアゴタッチで出迎えられる場面もありました。年末年始の広島のローカル番組では、カープファンのアンケート結果の第1位の選手を当てるクイズで、「アゴと言えば?」という問題に、お約束の1位に輝いていたのには笑わせてもらいました。また、1つ先輩の堂林選手とは、中学時代から同じチームに所属し、「絶対に越えられない野球技術、人間性…常に近くですごく素晴らしい存在」と尊敬し、広島ローカルの正月番組でも2人で街ブラをするなど、長い間、野球を通して人生を共にしている息の合った掛け合いがありました。

 戦力外通告を受け、野球は続けず、現役引退を決意したようです。現役時代から社会貢献活動を続けてきた磯村選手は、今後も活動を続けていき、それをカープの選手にも体験してほしいという願いもあるようです。野球をプレーする姿が見られなくなるのは残念ですが、新たなステージでの活躍を祈るばかりです。

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50 中村 健人(外野手)

1997年5月21日生まれ
愛知・中京大中京高〜慶応義塾大〜
トヨタ自動車〜広島(22−25)

2025年オフに戦力外通告を受け、現役引退。
テレビマンを目指す。
試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2022 63 121 29 10 3 8 31 0 .240
2024 12 24 2 2 1 0 8 0 .083
2025 4 6 0 0 0 4 1 1 .000
通算 79 151 31 12 4 12 40 1 .205

 愛知・中京大中京高から慶応義塾大、そして社会人ではトヨタ自動車と、その経歴はまさに野球エリートと呼ぶにふさわしい華麗なものでした。慶応大時代には3年秋の東京6大学リーグ戦で5本塁打を放ち、右の長距離砲として頭角を現すなど、4年間で8本塁打を放ちました。その長打力は社会人に進んでも発揮され、2021年のドラフト3位でカープに入団しました。当時の印象としては、どこか長野久義選手に打撃スタイルが似ているなというものでした。外角球をうまく逆方向へ逆らわずにはじき返すだけでなく、その打球には伸びがあり、引っ張ればレフトスタンドに届くような豪快な放物線を描く…しかも、俊足で守備力も高く、3拍子が揃っている万能型のタイプでした。

 思い返せば、この2021年のドラフトで、カープの最大のテーマは、この年のオフに鈴木誠也選手のメジャー移籍があり、どうしても「ポスト誠也」となる右の長距離砲が必要でした。そもそも、鈴木選手のメジャー志向が強いことは事前から分かっていたはずなのですが、それでもなかなか補強には踏み切らなかった…そこで慌てたように、即戦力の右の長距離砲獲得を目指し、中村健人選手と末包選手という、社会人でも注目の大砲候補を指名したのです。

 そんな中村健選手は1年目から、開幕1軍入りを果たし、5月上旬には5試合連続を安打を、さらには5月15日のヤクルト戦では7番・ライトでスタメン出場を飾り、自身初の猛打賞を記録するだけでなく、ヤクルトの大ベテラン左腕・石川雅規投手から、逆方向のライトスタンド最前列に運ぶプロ初アーチも架けました。逆方向へとぐんぐん伸びる打球…まさに中村健選手らしい、持ち味に満ち溢れた素晴らしい一発で、一時は打率も3割を超えていました。

しかし、なかなか調子を維持するのは難しく、その後は下降気味。それでも、ルーキーイヤーは63試合に出場し、3本塁打を放ちました。それは同期入団の末包選手より1本多いものでした。さらに外野の守備では、あわや失点の危機という状況で、素晴らしいファインプレーを随所で見せました。中村健選手の外野守備で何度となく救われるとともに、ベンチスタートであっても、ベンチから声をとにかく出して、チームを元気づける…その点でも非常に存在感を示しました。

 この調子で、1軍に定着してくれるのではないかと思われましたが、2年目にスランプに陥り、2軍でも打率2割を超えるのがやっと…結果が残せないまま、1軍に昇格することもなくシーズンを終えました。社会人からプロ入りして2年目…1年目で残したまずまずの結果から、飛躍のチャンスを逃す形になりました。振り返れば、この1年の停滞が大きかったように思います。2024年に2年ぶりの1軍昇格を果たした中村健選手は、カープが大の苦手にしている阪神・大竹耕太郎選手から、2年ぶりとなるアーチをレフトスタンドに架けました。しかし、1軍昇格のチャンスも打率1割を切る状況の中で、定着することは出来ず。

 そして2025年は、2軍で長打力を発揮するなど、2割台後半の打率をマークし、7月中旬には1軍でもチャンスを与えられましたが、2つの四球を選び、粘りの打席を見せることはあっても、ヒットを放つというアピールが出来ず、2週間で降格となりました。そして、その後、2軍では結果を残しても、昇格することがないまま、シーズンを終え、戦力外通告を受けました。

 守備力は素晴らしい選手だったと思います。今季のオープン戦でもレフトスタンドへのホームラン性の当たりを見事にキャッチするというスーパーファインプレーも見せました。もし、1軍でレギュラーとして出場すれば、ゴールデングラブ賞も受賞できるのではないかというほどの実力でしたし、将来はチームリーダーになれるほど、チームをまとめる能力があったと思います。しかし、最も期待される打撃で結果が残せなかった…2年目の低迷が尾を引いてしまったのかもしれません。

 トライアウトにも参加した中村健選手でしたが、打撃でアピールできず、結局、どこからもオファーがないまま、現役引退という運びになりました。そして、引退後…中村健選手は「人を笑わせるのが好きですし、エンタメも大好き。そういうところで仕事が出来たら…」という思いを口にし、「テレビの制作とか。キー局、準キー局全部聞いて回ろうかなと。テレビをつくってみたい」と今後の夢を語りました。チームでもトップクラスの「声だし」で盛り上げた中村健選手。

 ルーキーイヤーには、チームが下り坂にある中で、1軍昇格を果たしたことがありましたが、声出しで盛り上げてくれるからというのが理由でないかと思ったときもあったほどです。それだけ、場を盛り上げるのが得意で、テレビマンには向いているのではないでしょうか。なんとなく、昭和のプロデューサーのように、セーターを肩から掛ける姿が似合うような気もします。自分の次なる夢ぜひ叶えて、「えっ、あの人気番組、『ケンティー中村』が作ってるの!?」と、あっと言わせるような活躍を楽しみにしています。

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69 山足 達也(内野手)

1993年10月26日生まれ
大阪桐蔭高〜立命館大〜ホンダ鈴鹿〜
オリックス(18−24)〜広島(25)

2025年オフに戦力外通告を受け、現役引退
試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2025 11 14 1 1 0 2 0 0 .111
通算 294 343 66 24 4 30 64 10 .192
※年度別の成績はカープ在籍時のみ
※通算はオリックス時代(2018〜2024年)も含めての成績

 2024年12月、当時3年目を迎えた現役ドラフトが行われました。当初、カープはこの現役ドラフトで投手がほしかったようですが、このドラフトの指名順の兼ね合いもあって、1位で指名したのが当時オリックスに在籍していた山足選手でした。7年目のシーズンを終了した内野のユーティリティープレイヤーの指名は意外であるような気もしましたが、同じくユーティリティープレイヤーの上本崇司選手の年齢も上がっていく中で、上本選手よりも3つ年下の山足選手…レギュラーは難しくとも、試合終盤の守備固めとしてもベンチに置いておきたいタイプの選手だけに、十分にチームにフィットできる戦力だと感じました。

 そんな山足選手は大阪府枚方市出身。大阪桐蔭高から立命館大に進学。その後、Honda鈴鹿ではショートのレギュラーとして活躍し、2017年のドラフト8位でオリックスに入団しました。オリックスではルーキーイヤーから、いきなり開幕スタメンを勝ち取りました。けして出場機会は多くはないものの、プロ入り後はショートに限らず、内野の様々なポジションを守るユーティリティープレイヤーとして、スーパーサブ的な戦力となりました。2021年にはオリックスが25年ぶりにパリーグを制覇し、さらには日本シリーズにも出場しましたが、第6戦では代走として初出場を飾りました。さらに翌2022年、7月31日のロッテ戦で自身のセンター前ヒットからの逆転劇、さらにはセカンドゴロからの判断の良いサードへの送球で、3塁を狙うランナーを刺す大活躍で、「時代は山足」というキャッチフレーズを生み出すほど、印象深い活躍を見せました。

 しかし、その後は守備固めを中心とした起用になっていましたが、打席に立つ機会は年々減少していました。そこで、2024年オフの現役ドラフトで、カープが1位指名をし、移籍することになったのです。

 移籍1年目となった2025年、オープン戦では内野ならどこでも守れる堅実な守備力と、しぶとい打撃で結果を残し、開幕1軍入りを果たしました。シーズンが始まると、オープン戦のように出場機会は得られず、4月は7試合の出場で、打席に立ったのはわずか3度にとどまりました。

そんな中、山足選手がカープで最も目立った瞬間…それは5月4日の中日戦で、7番・サードとして移籍後初のスタメン出場を飾った試合でした。4回裏の第2打席は1アウト1・3塁というチャンスの場面で回り、中日先発・岡田俊哉投手から三遊間を破るレフト前への同点タイムリーを放ちました。打線はその後も得点を重ね、このイニングだけで7得点を奪うというビッグイニングとなりました。この日、山足選手は初めてヒーローインタビューを受けました。山足選手がカープの選手として輝いた瞬間だったのですが、このレフトへのタイムリーが山足選手にとって、カープで唯一の安打、そして打点…それとともに、プロ野球人生で最後のヒットになるとは思いませんでした。これからカープの一員として、さらに存在感を出してくれるのでは…と期待していました。

 結局、その後、5月19日に1軍登録を抹消され、シーズン終了まで2軍暮らしとなりました。このとき、代わりに1軍に昇格したのが、同じユーティリティープレイヤーですが、3つ年上の上本選手でした。世代交代に逆行する流れ…このとき、何となくですが、山足選手がいくら結果を残そうとも、もう1軍から呼ばれることはないのではないか…そんな予感がしました。そして、その予感は当たってしまいました。

 シーズンが終わり、ドラフト会議終了後、第2次戦力外通告期間に入り、球団から戦力外の通告を受けることになりました。第1次ではなく、第2次の期間での通告。上本選手が第1次期間中に戦力外通告を受け、内野のユーティリティープレイヤーとして、山足選手は戦力として考えられる状況になったわけです。しかし、第2次での戦力外…もしかしたら、ドラフトの指名選手次第では来季も引き続き、カープに在籍することになったのかもしれませんね。

 11月12日、合同トライアウトに参加し、1本、ヒットを放ちました。しかし、山足選手はトライアウト終了後、実は戦力外通告を受けた翌日には現役引退を決意していたそうです。それでもトライアウトを受けたのは、間違いなく打席に立つ姿を家族に見せることが出来るから…日々、いつ出場するか分からない状況の中で戦ってきた山足選手らしい考えがあったようです。そして、家族が見守る中で、センター前にヒットを放つことも出来ました。山足選手は「何とかへばりついて8年出来たことを誇りに思う。やりきったという思いが強い」と語りました。ドラフトでは8位という超下位指名、しかも社会人からの入団とあって、いつ終わりを告げられてもおかしくない状況の中で、オリックスではリーグ3連覇を体感することもでき、日本シリーズと最高の舞台にも立つことが出来ました。カープではわずか1年間の在籍となり、1軍から声がかからない状況が続きましたが、それでも2着目のユニフォームも着れた…

 「やりきった」という思いでプロ野球選手として終わることが出来たこと…それはひとえに山足選手の日々の努力のたまものであり、素晴らしいことだと思います。満足して次のステップに進める…きっと、山足選手の第2の人生は明るいものになることでしょう。これからも新天地での活躍を祈っています。

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