※表示している成績は広島での成績、通算は生涯成績です。
1995年4月24日生まれ 京都国際高〜ソフトバンク(14−18)〜広島(18−24) 2024年オフに戦力外通告。 社会人チーム「サムティ硬式野球部」に選手・コーチとして入団 |
年 | 試合 | 打数 | 安打 | 打点 | 本塁打 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
2018 | 11 | 18 | 5 | 2 | 0 | 3 | 9 | 1 | .278 |
2019 | 64 | 25 | 5 | 2 | 0 | 4 | 10 | 5 | .200 |
2020 | 33 | 16 | 4 | 1 | 0 | 1 | 5 | 5 | .250 |
2021 | 66 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 9 | .000 |
2022 | 44 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | .000 |
2023 | 39 | 14 | 2 | 0 | 0 | 1 | 3 | 1 | .143 |
2024 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
通算 | 259 | 87 | 16 | 5 | 0 | 10 | 34 | 25 | .184 |
※年度別の成績はカープ在籍時のみ ※通算はソフトバンク時代(2017年)も含めての成績 |
カープが球団史上初のリーグ3連覇を目指していた2018年の7月22日…このシーズンの新戦力の補強期限まで、あと10日足らずまで迫っていた中で、当時、カープに在籍していた美間優槻選手との交換トレードでソフトバンクから移籍してきたのが、内外野を守れるユーティリティプレイヤーで俊足が自慢の曽根選手でした。
曽根選手は京都国際高時代、ショートとキャッチャーを守るだけに強肩が魅力で、また俊足と広角に打ち分ける打撃センスの高さも注目され、2013年のドラフト会議で育成ドラフト3位でソフトバンクから指名を受けました。育成4年目の春季キャンプやオープン戦で打撃でアピールし、支配下登録を勝ち取りました。トレードはその翌年に発表されたものでした。
カープに入団し、1軍昇格を果たしたのは8月7日のこと。23日のヤクルト戦で代打で出場すると、ヤクルト・原樹理投手から右中間を破る3塁打を放ちました。支配下登録後、まだ初安打を放っていなかった曽根選手にとって、プロ初安打が3塁打、しかも初打点のおまけも付き、打撃でもインパクトを与えました。
曽根選手といえば印象的なのが、その年の日本シリーズ。相手は曽根選手にとっては古巣のソフトバンク戦で、その第5戦の延長10回表、新井選手の代打として出場し、見事に送りバントを決めたシーンです。日本シリーズという大舞台ということ、相手がつい3ヶ月前まで所属していたチームであること、しかも敵地であること…いろんな思いがあったことでしょう。表情は緊張が伝わってくるほど硬直していました。ちなみに第1戦でも見事送りバントを決めました。
その後も曽根選手は代走要員や守備固めを中心に起用され、2021年には9盗塁を決め、守備でもユーティリティ性を活かして、内野ではセカンド、サード、ショートを、さらに外野もこなしながらも、2021年、2022年と2年連続で守備率10割、つまりノーミスでシーズンを終え、まさに守備固めの鑑と言える成績を残しました。高校時代は捕手もしていたこともあって、コロナ禍の際にはチーム内の感染に備えて、捕手の練習もしたほどで、それはスーパーユーティリティプレイヤーと呼ぶに相応しいほど。
しかし、2024年…2軍で行われる教育リーグに参加した曽根選手は、3月3日の阪神戦で死球を受け、腕の骨である「左尺骨骨折」のため、2日後に手術を行いました。3か月後に2軍に復帰しましたが、打率は.155に沈み、カープ入団後では初めて1軍に上がることなくシーズンを終えました。その後、戦力外通告を受け、トライアウトでは3塁打を放つアピールを見せましたが、NPBからは声はかかりませんでした。
シーズン終盤、代走のプロフェッショナルである羽月選手が離脱した際には、曽根選手の1軍昇格もあるかもと思いました。しかし、声はかからなかった…ただ、羽月選手に代わる存在がいない中で、曽根選手の持ち味は戦力になり得ると思っていただけに、たしかに1軍昇格がないままシーズンを終えただけに、戦力外通告は致し方ないのですが、俊足、ユーティリティ性をを考えると、まだ戦力になれたのではないかと残念な思いもあります。
しかし、兵庫県三木市の「ネスタリゾート神戸」が新たに立ち上げた社会人野球チームの「サムティ硬式野球部」に入団し、選手兼野手コーチとして、新たな野球人生をスタートすることになりました。新天地は新しいチームで、まっさらな状態ですが、選手としてだけでなく、コーチとしても幅広く活躍して、曽根選手カラーも随所に感じさせる選手を育ててほしいですね。
1990年12月3日生まれ アーカンソー大〜メッツ(12−17)〜 ナショナルズ(18)〜ロイヤルズ(19−20)〜ホワイトソックス(21)〜 メッツ(22)〜レッズ(22)〜広島(24) 2023年シーズン中に左肩手術のため自由契約に その後、引退を表明 |
年 | 試合 | 打数 | 安打 | 打点 | 本塁打 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
2024 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 |
通算 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
カープは2023年オフ、ドミニカ共和国のカープアカデミー出身のコルニエル投手以外の4人の外国人選手を自由契約とし、新たに4人の新外国人選手を補強しました。すなわち外国人選手を総入れ替えしたわけで、野手に関しても2年目に打率が低迷したマクブルーム選手、長打力はあっても打率が低かったデビッドソン選手の2人がチームを去り、新たに内野ならどこでも守れるユーティリティ性の高さと、長打も期待できる選手として獲得したのがマット・レイノルズ選手でした。
レイノルズ選手は2012年にニューヨーク・メッツからキャリアが始まり。2016年にメジャーデビューし、初ホームランも放つなど47試合に出場。翌2017年には68試合に出場。2018年はワシントン・ナショナルズ、2019年からはカンザスシティ・ロイヤルズ、2022年にメッツに復帰するも、同年シンシナティ・レッズに移籍し、多くの球団を歩き渡いてきました。
メジャー通算では223試合に出場し、打率.230、出塁率.302、7本塁打、42打点の成績を残しています。キャリアハイは2022年のレッズ時代で、92試合に出場し、244打数60安打3本塁打23打点、打率.246の成績を残しました。2023年は3Aルイビルで115試合に出場して、444打数118安打22本塁打90打点、打率.266、出塁率.352。選球眼がある反面、三振が多い中距離ヒッターというところでしょう。ただ、菊池選手や上本選手に代わる二遊間を守る存在としては、33歳という年齢は気になるところでした。
春季キャンプ中に左肩三角筋炎症により、別メニュー調整を余儀なくされることもありました。思い返せば、この頃から左肩に大きな不安を抱えていたということになります。ただ、3月に入るとともにオープン戦ではスタメンに名を連ねるようになり、さらに一時は瞬間的に打率は3割を超えたときもあり、3月13日の日本ハム戦ではレフトスタンドへ豪快な一発も放ち、期待が高まるとともに、左肩は万全なのだろうと、その不安はどこかへ消えていました。
しかし、その後、オープン戦ではなかなか結果を残せないまま、打率は.154まで低迷。左肩の影響なのかと不安を残すまま、シーズン開幕には6番・サードでスタメン出場。開幕戦では3回の第2打席にセンターへの犠牲フライを放ち、来日初打点を挙げました。まずまずの滑り出しかと思えば、翌日の試合中に左肩痛を発症。選手登録を抹消されました。
しばらく音沙汰なしの状況が続きましたが、5月にはまもなくフリー打撃が再開でき、5月末には2軍で復帰できるという情報もありましたが、実際に5月が終わっても、ウエスタンリーグの試合で名前を見ることはなく…。どうやら復帰は6月中旬にずれ込みそうだという報道はあれど、その頃になっても、やはり名前はなく…。
6月26日、レイノルズ選手本人がSNSで肩の手術をしたことが、その2日後、カープが契約を解除したことが発表されました。どうやらシーズン中は左肩の完治が見込めないようで、やむなく契約解除。ウエーバーにかけられましたが、獲得を希望する球団はなく、そのまま自由契約となりました。ただ、球団側としても、獲得しようとした時点でこのことは確認できなかったのでしょうか
そして10月に入り、現役を引退することをレイノルズ選手自身が公表しました。よほど左肩の状態が良くなく、これ以上の現役続行は難しいと判断したのでしょう。カープでは1軍でわずか2試合、2軍では出場すらなく、開幕から3ヶ月で退団。もし、故障なく、日本の野球に馴染んできたらどうなっていただろう…と、オープン戦での本塁打を思うと、もしかしたら活躍できていたかもしれないとも思ってみたり…。いずれにいても、残念な結果に終わりました。
1994年9月29日生まれ オクラホマ州立大〜カブス傘下(16−19)〜ブルージェイズ(20−23)〜 パイレーツ(23)〜広島(24) シーズン終了後に来季契約更新を行わず、退団。 |
年 | 試合 | 勝 | 負 | S | 投球回 | 四死球 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 |
2024 | 5 | 0 | 3 | 0 | 22 | 12 | 18 | 18 | 7.36 |
通算 | 5 | 0 | 3 | 0 | 22 | 12 | 18 | 18 | 7.36 |
2023年オフ、カープはドミニカアカデミー出身のコルニエル投手を除く4人の外国人選手を自由契約とし、新たに4人の外国人選手を獲得しました。その中の1人が先発候補として期待されたハッチ投手でした。
2016年のドラフトでオクラホマ州立大からシカゴ・カブスに入団したハッチ投手は、ブルージェイズ時代の2020年7月にメジャーデビューを先発で飾り、8月には中継ぎでメジャー初勝利を手にしました。この年、メジャーで17試合に登板し、3勝を挙げました。来日直前の2023年は主に中継ぎで18試合に登板し、防御率は4.08、3Aでも主に中継ぎで31試合に登板し、4勝2敗、防御率4.63の成績を残しました。
そんなハッチ投手はストレートが平均でも150キロを超え、最速は157キロ。ツーシーム、スライダー、チェンジアップ、カットボールが持ち球ですが、特にスライダーは決め球としているほど、主となる変化球でした。ただ、実際にはパワーピッチャーで、ストレートで押しながら、持ち球の中でも限られた球種の中で緩急をつける…メジャーやマイナーでの起用がそうであったように、中継ぎタイプのような印象を受けました。
しかし、球団としては先発候補として獲得した右腕。新井監督も期待度が高かったのか、春季キャンプでは紅白戦やオープン戦で先発し、2イニング程度を2試合投げただけで、早々に先発ローテーション入りを決めてしまうほど。アドゥワ投手や玉村投手らが先発で何度か結果を残しても、先発ローテーション入りが確定されない中で、なぜハッチ投手はすぐに確定したのか…先発として長いイニングで結果を残したわけではない中で、不可解な判断に何となく嫌な予感がしていました。
4月6日の中日戦で来日初先発も5回3失点。先発として最低限の結果とは言え、8安打を浴び、内容としては今ひとつでした。それでも次の4月12日の巨人戦は6回2失点と好投しました。しかし、先制点をもらった直後に2ランを浴びたこと…打線の援護があった試合でも、リードをすぐに失ってしまう傾向があり、それは7月26日のヤクルト戦が最たる例で、この日は得点力不足に悩む打線が2回に9点もの強力援護をしてくれたのですが、ハッチ投手は4回6失点…
2度目の2軍降格後、8月10日のウエスタンリーグでのソフトバンク戦で、塁審の判定に対して暴言を吐き、退場処分を受け、制裁金5万円を科せられると、9月11日のくふうハヤテ戦でも同じように暴言行為で退場処分に…制裁金10万円を科されました。
日本の野球になかなか馴染めず、またなかなか結果が残せず、フラストレーションがたまっていたのでしょうか。退場処分が続いてしまったことは、ハッチ投手自身の評価を大きく下げたことにつながったのかもしれません。ただ、今でも思うのは、本当にハッチ投手は先発タイプだったのか、早々に開幕ローテーション入りを決めた判断は適切だったのか…球団が求めた役割にハッチ投手をむりやり当てはめてしまったことで、本来のパフォーマンスを活かせなかったのではないかと感じずにはいられません。
その後、韓国プロ野球・斗山ベアーズとの契約が交わされましたが、メディカルテストで基準を満たさず、契約解除となっています。
1992年10月17日生まれ 島根・江の川高(石見智翠館高)〜日本大〜 巨人(15−22)〜広島(23−24) シーズン終了後に戦力外通告。社会人・日本新薬へ |
年 | 試合 | 勝 | 負 | S | 投球回 | 四死球 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 |
2023 | 24 | 1 | 0 | 0 | 21.1 | 22 | 11 | 11 | 4.64 |
通算 | 182 | 6 | 2 | 3 | 180.1 | 111 | 152 | 81 | 4.04 |
※年度別の成績はカープ在籍時のみ ※通算は巨人時代(2015〜2022年)も含めての成績 |
2022年の12月、NPBでは初めての試みとなる現役ドラフトが行われました。所属する球団ではなかなか出番に恵まれない選手にチャンスを与えるべく、移籍を活性化しようというのが狙いで、12球団合同のトレード会議とも言えるでしょう。第1回とあって、注目度が高い反面で、実際に現役ドラフトを行う側からすれば、手探りな部分も多々あったことでしょう。
そんな第1回の現役ドラフトでカープが指名したのが、当時巨人に在籍していた戸根千明投手でした。戸根投手は島根・石見智翠館高から日本大に進み、2014年のドラフト2位で巨人に入団した左腕ですが、当時、カープも戸根投手のドラフトでの指名を狙っていたようで、現役ドラフトを経てカープに移籍することに、球団側も縁を感じるところがあったようです。
戸根投手は巨人時代、1年目から2年連続で中継ぎで40試合以上に登板し、また一時期、故障などの影響で、1軍のマウンドから遠ざかっていた2020年には打者にも挑戦し、いわゆる二刀流を目指したことも。ただ、2022年には9試合の登板にとどまり、現役ドラフトでの移籍となりました。当時のカープからすれば、左のサイドハンドという、稀有な持ち味のある投手であるだけに、中継ぎの一角として期待が高まりました。
変則的なフォームから繰り出す勢いのあるストレートなどをアピールし、移籍1年目から開幕1軍入りを果たすと、7試合連続で無失点に抑える安定したピッチングを見せました。しかも、4月15日のヤクルト戦では中継ぎで1イニングをピシャリと抑えて、移籍後初勝利と、新天地で上々のスタートを切りました。
しかし、その好調ぶりは長くは続きませんでした。5月中旬には1軍登録を抹消され、その後は2度の登録と抹消を繰り返しました。その背景には扁桃炎や内臓疾患などの体調不良に悩まされたことがあったようです。新天地での環境の変化に身体がなかなか対応できなかったのでしょうか。それでも移籍1年目は24試合に登板し、5つのホールドもマークし、カープでの初勝利も手にして、まずまずのシーズンとなりました。
ところが移籍2年目の2024年は、開幕2軍スタートでウエスタンリーグでも序盤はまずまずのピッチングを見せてはいたものの、調子の波が激しく、またなかなか体調も整わなかったようで、16試合の登板で防御率は10.43…これでは1軍のマウンドは見えてこない中で、シーズンを終え、戦力外通告を受ける結果となりました。
その後、トライアウトも受験した戸根投手は、2025年の年明け間もない1月6日、社会人野球の日本新薬に入社することが発表され、野球選手として現役を続行することになりました。戸根投手にとっては初めての社会人野球となりますが、新たな環境で、プロ野球選手だった意地を見せてほしいと思います。
1993年10月18日生まれ 大阪商業大高〜大阪商業大〜広島(16−24) シーズン終了後に戦力外通告。社会人・明治安田へ |
年 | 試合 | 勝 | 負 | S | 投球回 | 四死球 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 |
2016 | 18 | 4 | 3 | 0 | 89.1 | 25 | 60 | 30 | 3.02 |
2017 | 24 | 12 | 5 | 0 | 141.2 | 67 | 109 | 63 | 4.00 |
2018 | 26 | 8 | 7 | 0 | 138.0 | 66 | 114 | 78 | 5.09 |
2019 | 3 | 0 | 2 | 0 | 7.0 | 11 | 4 | 11 | 14.14 |
通算 | 71 | 24 | 17 | 0 | 376 | 169 | 287 | 82 | 4.36 |
岡田投手といえば…2015年のドラフト1位でカープに入団し、ルーキーイヤーから1軍で先発としての登板も重ね、それまで24年間優勝から遠ざかっていたカープが優勝すると、日本シリーズの先発マウンドにも上がり、さらに連覇、3連覇も経験するという、当時は勝ち運のある投手だなという印象がありましたが、その後は非常に苦しく、山あり谷ありのプロ野球人生となりました。
そんな岡田投手が野球を始めたのは中学生になってからと、スタートは遅かったのですが、大阪・大商大高時代に投手に転向すると、ストレートが140キロを計時するようになりました。大商大に進学し、3年まではなかなかリーグ戦の登板機会には恵まれなかったものの、4年の春から急成長を遂げ、この1年間の春・秋のリーグ戦で驚異の12勝負けなしという無双状態で、一気にプロからの注目を集め、カープの1位指名に至りました。
2015年のオフに、当時のカープの絶対的エースであったマエケンこと、前田健太投手がメジャー移籍したことで出来た大きすぎる戦力の穴を少しでも埋めてほしい…即戦力の期待を受けて入団した岡田投手は1年目から開幕ローテーションに入り、なかなか勝ち星に恵まれない登板が続く中、6月25日、9試合目の登板でようやくプロ初勝利を手にし、このシーズンは4勝をマークしました。
そして、このルーキーイヤーのハイライトといえば、何と言っても、カープでは25年ぶりの出場となった日本シリーズ第4戦の先発マウンドに上がったことでしょう。敵地・札幌ドームながら、岡田投手は再三のピンチをしのぐ粘りのピッチングで6回までを1失点に抑える好投を見せました。日本シリーズという大舞台での好投…岡田投手のメンタルの強さを感じさせるマウンドとなりました。ちなみにカープでルーキーが日本シリーズの先発を任されたのは1986年、西武との日本シリーズ第3戦に登板した長冨浩志投手以来でした。
翌2017年には打線の援護に恵まれた登板が多く、また好投を見せていても、急に人が変わったように1イニングだけ、ストライクがまともに入らず大炎上してしまう登板もあったりで、防御率は4点ちょうど、規定投球回数にもわずかに届かなかったにもかかわらず、自己最多の12勝を挙げ、リーグ連覇にも貢献。2018年は防御率5点台ながら8勝をマークしましたが、どこか年数を重ねるたびに成績が下がっていました。
そして、2019年4月11日のヤクルト戦。開幕ローテーションに入った岡田投手にとって、このシーズン2試合目の登板でしたが、初回から3つの四球を与えるなど2失点、2回もバントの構えをしている投手にも四球を与えるなど、いきなり4連続四球で押し出し…とにかくストライクがまったく入らず、投げるボールはまるで磁石で反発しているかのようにゾーンを外れていき、ここで降板。翌日には2軍降格となりました。
8月にようやく再昇格を果たしましたが、中継ぎで登板した14日の巨人戦でも四球2つに長打も浴び、1アウトを奪ったのみで、満塁のピンチを残して降板…2軍降格となりました。ただ、このとき、まさかこの登板が岡田投手にとってプロ野球の1軍でのラストマウンドになるとは思いもよりませんでした。
その後、2021年のオフにはトミージョン手術を行い、長期のリハビリを経て、2023年に実戦に復帰するも、オフには育成契約。2024年はウエスタンリーグで開幕から15試合、中継ぎで防御率ゼロを継続し、ストレートも150キロ台を計時し、支配下再昇格を果たしましたが、その後は調子を崩し、結局1軍復活のマウンドに上がれないまま、戦力外通告を受けることになりました。
糸を引くような豪快なストレートは今でも目に焼き付いています。ただ、あまりに軌道がきれいすぎて、はじき返されてしまうこともしばしば…。しかし、トライアウトでは全球ストレート勝負をしたように、岡田投手にとっては自慢のストレートだったのだと思います。そして、2025年の元日に、社会人野球の明治安田生命と契約を結んだことが発表されました。新たなスタートとなりますが、新天地で岡田投手の躍動感あふれるストレートでどんどん打者を抑える姿を見せてほしいですね。
1995年8月13日生まれ ヒューストン大〜フィリーズ傘下(17−19)〜 マリナーズ傘下(19−23)〜広島(24) 2023年シーズン中に左肩故障のため自由契約に |
年 | 試合 | 打数 | 安打 | 打点 | 本塁打 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
2024 | 12 | 30 | 4 | 5 | 1 | 1 | 9 | 0 | .133 |
通算 | 12 | 30 | 4 | 5 | 1 | 1 | 9 | 0 | .133 |
カープは2023年オフ、外国人選手の補強として、ドミニカ共和国のカープアカデミー出身のコルニエル投手以外の4人の外国人選手を全員入れ替えるという大胆な策に打って出ました。その中で、開幕4番も務めながら打撃不振に苦しんだマクブルーム選手、チームトップの19本塁打とパワーはあっても打率が低かったデビッドソン選手の2人がチームを去ることになり、右の長距離砲として期待され、新たにチームに加わることになったのがシャイナー選手でした。
シャイナー選手は2017年のMLBドラフトでフィリーズから指名されたことで、プロとしてのキャリアをスタートしました。一時はメキシコリーグでもプレーしましたが、2023年はマリナーズ傘下の3Aタコマでプレーし124試合に出場、三振が目立つものの、30本塁打105打点という好成績を残しました。しかし、メジャーの経験はありませんでした。ただ、パワーは魅力で、デビッドソン選手の後釜としての期待はありました。
春季キャンプからパワーのある打撃とサードでの堅実な守備を見せていましたが、紅白戦などの実戦では捉えたような当たりはあるものの、スタンドにはなかなか届かない…オープン戦に入っても、長打を打ちたいと引っ張りの意識が強すぎるのか、なかなか打球は上がらず、サードゴロやショートゴロばかりで、初安打が出るまで20打席を要しました。
結局、オープン戦では期待された本塁打はなく、打率も.111と低空飛行が続く中で、そのままシーズンが開幕。開幕すれば変わってくると、新井監督は期待感を膨らませる中で、開幕戦ではDeNAのエース・東克樹投手からレフト線へ2塁打を放ち、来日初安打!幸先の良いスタートを切ったのですが、翌日、ファーストの守備の際に負傷し、「右手中指のPIP関節剥離骨折」と診断…ウエスタンリーグに復帰するまでに約1ヶ月を要しました。
2軍に復帰したシャイナー選手ですが、なかなか日本の野球に適応できず、打率は1割台前半の低空飛行。5月19日のソフトバンクとの2軍戦で来日初アーチを放つも、なかなか調子は上向かず…。6月に入り、ようやくヒットが出てくるようになり、打率も1割台後半を推移するようになりました。
カープの1軍は末包選手の離脱により長打力が不足する中で、7月10日、ついにシャイナー選手を1軍に昇格させました。2軍からの推薦もなく、新井監督の独断で決めた異例の昇格には、新井監督のワラにもすがる思いがあったのでしょう。そして、7月17日のDeNA戦で、来日初安打を放った東投手からバックスクリーン左への劇的な勝ち越し3ランを放ちました。カープにとって天敵で、なかなか得点が奪えなかった中での来日初アーチは値千金の一打でした。
しかし、それ以降は15打席ノーヒット。来日初本塁打はきっかけにはならず、しかも7月31日、打席でのスイングの際に、今度は「左手関節尺側根伸筋腱鞘炎TFCC損傷」でまたも離脱…。同時にカープに入団したレイノルズ選手に続き、シャイナー選手もシーズン中の復帰が見込めず、契約解除という形で退団となりました。
日本で放ったヒットは本塁打を含めてわずか4本。しかも、そのうち3本がDeNA・東投手から…しかし、3度目の対戦では、やはり相手もセリーグを代表する左腕だけに、しっかり対策を練ってきた中で、シャイナー選手はまったく相手にならず、しかも故障離脱。日本の野球に適応できなかったというより、むしろそのレベルに達していなかったのかもしれません。退団時はまだ29歳…新天地での活躍を願うばかりです。
1995年6月23日生まれ ファウストヒメネスサンティアゴ高〜 カープアカデミー〜広島(20−24) シーズン終了後に翌年の契約を結ばないことを通告 |
年 | 試合 | 勝 | 負 | S | 投球回 | 四死球 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 |
2021 | 50 | 1 | 2 | 0 | 61.1 | 31 | 79 | 26 | 3.82 |
2022 | 12 | 0 | 0 | 0 | 15.1 | 5 | 19 | 6 | 3.52 |
2023 | 8 | 1 | 4 | 0 | 42.1 | 20 | 23 | 24 | 5.10 |
2024 | 16 | 0 | 0 | 0 | 17 | 7 | 14 | 5 | 2.65 |
通算 | 86 | 2 | 6 | 0 | 136 | 63 | 135 | 61 | 4.04 |
2019年にドミニカ共和国のカープアカデミーに所属することになったコルニエル投手。キャンプに練習生として参加する中で、193センチの長身から繰り出される150キロ台後半の威力あるストレートが注目され、世界中が新型コロナウイルス感染拡大の渦中にある2020年9月…この年の新戦力の獲得期限直前となる9月29日に6年契約で育成契約を結びました。新型コロナウイルスの影響で新外国人選手の獲得が不透明となる中で、少しでも有望な選手を育てたいという思いもあったのでしょう。
育成選手となった翌日から早速、ウエスタンリーグの試合に登板し、いきなり最速156キロのストレートを中心に2回を無失点に抑える好投で勝利投手となりました。その後、フェニックスリーグでは先発として起用され、それまでの粗削りというイメージを覆すような実戦的なピッチングで、3度の先発すべてでQSを達成し、計20イニングを2失点に抑えたのです。
日本で急成長を見せたコルニエル投手は2021年のシーズン開幕前に支配下登録を手にしました。そして、来日初の開幕1軍入りも果たし、デビュー戦は開幕2カード目の4月1日の阪神戦の9回で、1イニングを2奪三振、無失点の好投。その後も中継ぎとして登板を重ねました。
コルニエル投手といえば、何と言っても豪快なストレート!5月2日の甲子園球場での阪神戦で球団最速となる161キロを計時しました。その後も球団最速記録を更新し、いよいよ6月20日の東京ドームでのDeNA戦で、当時日本ハムに在籍していたあの大谷翔平投手がマークした165キロに並ぶ日本記録タイとなるストレートを投げ込んだのです。その2ヶ月後に記録は塗り替えられましたが、コルニエル投手が投げ込んだストレートに球場はどよめきに包まれました。ただ、これだけ160キロ台を投げ込んでいるのに、マツダスタジアムではマークできなかったのは不思議ですが…
2021年は50試合に登板したコルニエル投手も、翌年には12試合の登板にとどまり、2023年には先発に転向しました。この年の4月21日のDeNA戦で来日初先発のマウンドに上がり、8回途中1失点の好投ながら、打線の援護がなく負け投手に。先発転向したばかりにもかかわらず、3試合連続でQSを達成しました。しかし、先発初勝利は6月8日の日本ハム戦まで掴むことができず…しかも、これが最初で最後の先発勝利となりました。
先発に転向したにも関わらず、好投が報われない登板が続いてしまった…ここで、もう少し早い段階で先発初勝利を手にしていれば、状況は変わっていたかもしれません。2024年は中継ぎに戻り、16試合に登板しましたが、シーズンオフに翌年の新戦力として同じドミニカ共和国出身のドミンゲス投手を獲得した報道と同じタイミングで、来季の契約を結ばないことが発表されました。近年の伸び悩み、そして自分より若い新外国人投手の獲得…そういった点が、6年契約4年目での退団となったのかもしれません。しかし、最速165キロの球速は球史に、そしてカープの歴史に名を残すものになったのは間違いありません。
2003年8月14日生まれ 和歌山・田辺高〜広島(22−24) シーズン終了後に戦力外通告。現役引退し、教師を目指す。 |
年 | 試合 | 勝 | 負 | S | 投球回 | 四死球 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 |
2022 | 4 | 1 | 0 | 0 | 4 | 4 | 3 | 2 | 4.50 |
2023 | 24 | 1 | 1 | 1 | 23 | 24 | 24 | 10 | 3.91 |
2024 | 9 | 1 | 0 | 0 | 8.2 | 13 | 6 | 11 | 11.42 |
通算 | 37 | 3 | 1 | 1 | 35.2 | 41 | 33 | 23 | 5.80 |
★上記は2軍成績 |
2021年、近畿地区が担当の鞘師スカウトは、和歌山県下で注目していたある投手を視察するために、和歌山に足を運んでいたそうです。その日はお目当ての投手が在籍する高校以外にも試合が組まれており、鞘師スカウトはたまたまその試合を見ていたところ、まったく別の投手のピッチングに目が釘付けになったと言います。
その投手こそ、当時の田辺高校のエース・新家颯投手でした。田辺高校は2024年に21世紀枠で実に76年ぶりにセンバツ出場を決めましたが、当時は春夏1度ずつ、甲子園に出場したのみで、新家投手は無名に近い存在でした。当時、ストレートは最速141キロとけして速くはないのですが、鞘師スカウトは新家投手が投げ込む「見たことがない軌道」というタテに割れるような独特な変化を見せるスライダーに魅了されたようです。
1年目は身体づくりが中心でしたが、それでもウエスタンリーグで4試合を投げ、2軍ながら初勝利も挙げ、またフェニックスリーグでも6イニングで9奪三振をマーク。プロの世界でも独特のスライダーで空振りが奪えることは証明しましたが、例えば、フェニックスリーグで13個の四死球を与えており、コントロールが大きな課題でした。
2年目はウエスタンリーグでも24試合に登板し、登板機会を一気に増やしたものの、計23イニングを投げて、24奪三振をマークする一方で、四死球も24…コントロールが改善しない中で、それまでのオーバースローは球がブレるために、かつて投げていたコントロールが制御しやすいサイド気味のフォームにも再挑戦し、状況によって投げ分ける、まるで千手観音のようなピッチングスタイルに挑戦しました。
育成選手にとっては勝負の年となる3年目の2024年。身体つきは大きくなり、球速も最速で144キロまで伸びてきましたが、ウエスタンリーグでの登板機会は激減し、計8.2イニングで被安打はわずか5ですが、いかんせん15個の四死球を与えてしまっては、なかなか結果は残せません。
オーバースロー、サイドスローを織り交ぜるピッチングで、一気に支配下登録も狙えるきっかけを掴めるかと思われる時期もありました。しかし、サイドスローに挑戦した理由がコントロールの改善でありながら、それが出来なかった…シーズン終了後に無念の戦力外通告を受けることとなりました。
その後、トライアウトを受験しましたが、オファーはなかったようで、現役引退を決めました。そして、新家投手はかつてからの夢だった中学、高校の学校の先生を実現するために、まずは大学への進学を目指すことにしたそうです。大学を卒業してからになるため、まだまだ時間はかかると思いますが、新しい夢をぜひ実現させてほしいですね。