あなたを忘れない〜2019年度版〜

 ※表示している成績は広島での成績、通算は生涯成績です。

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10 岩本貴裕(外野手)

1986年4月18日生まれ
広島商高〜亜細亜大〜広島(09−19)

2019年シーズン終了後に戦力外通告。引退へ。
試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2009 14 33 5 1 0 0 12 0 .152
2010 61 212 55 36 14 6 57 0 .259
2011 60 179 40 15 3 8 43 0 .223
2012 71 239 64 27 6 2 43 1 .268
2013 82 145 37 24 5 5 33 0 .255
2014 39 52 10 10 2 2 10 0 .192
2015 7 10 3 0 0 0 1 0 .300
2016 27 21 7 5 0 1 8 0 .333
2017 33 48 18 13 1 1 15 0 .375
2018 10 7 1 0 0 1 2 0 .143
2019 1 1 0 0 0 0 1 0 .000
通算 405 947 240 131 31 26 225 1 .253

 カープの野手は全体的に俊足巧打タイプが多いのですが、岩本選手はどっしりした体格で、いかにもパワーがありそうな雰囲気を醸し出していた数少ないタイプの打者だったと思います。それでいて屈託のない笑顔…広島出身で「がんちゃん」のニックネームで親しまれたのも、愛されキャラだったからなのでしょう。

 地元・広島出身で、広島商高時代にはエースで4番の二刀流選手。高校通算52本塁打をマークし、当時からプロに注目されていました。亜細亜大に進学し、3年以降は本職の外野手だけでなく、投手としてもマウンドに上がることもあり、二刀流を継続していました。最速146キロ左腕としても注目される存在でした。

 2008年のドラフト1位でカープに入団することになった岩本選手。幼少期から大のカープファンで旧広島市民球場にも何度も足を運び、憧れのカープでプレーできる喜びはひとしおだったそうです。そして、ルーキーイヤーがマツダスタジアム開場の年と重なることもあって、レフト方向へも伸びる当たりが打てる岩本選手に合わせて、レフトフェンスも当初の予定より低くしたとか。

 近い将来の4番候補として期待された岩本選手。2年目にはシーズン14本塁打を放ち、順調にカープの主砲として育っていたのですが、膝の故障などの影響もあってか、その後は4番で起用される試合もありましたが、なかなか定着せず、思うような成績が収められないシーズンが続きました。左打者で一発もある…ファーストと外野が守れるとして、松山選手とタイプがかぶる中で、その松山選手が1軍には欠かせない戦力として成長していく中で、岩本選手は徐々に1軍の舞台から遠ざかっていきました。

それでも2016年、2017年と、一時期ではありましたが、主に左の代打として活躍し、ナゴヤドームのバックスクリーンへ一発を放ったことも。2017年には胴上げやビールかけも体験し、復活の兆しを見せていましたが…。

2018年は1軍昇格を果たし、ヒットで出塁しても、張り切りすぎたのか走塁ミスで2軍降格。2019年はわずか1試合の出場にとどまり、シーズン終了後に戦力外通告を受けました。しかし、その表情はいつもの屈託のない岩本選手らしい笑顔。悔いなく、そしてカープの選手でいられたことの幸せを感じながら、引退となりました。

打席に立てば、どこか一発、スタンドに放り込みそうな雰囲気がある、カープには貴重な存在だっただけに、左の代打の切り札として起用しても、まだまだ出来るのではないかと思っていただけに残念です。ただ、本人は悔いがないようで、それが一番であり、次の人生への弾みとしてほしいですね。

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52 庄司隼人(内野手)

1991年6月21日生まれ
静岡・常葉橘高〜広島(10−19)

2019年シーズン終了後に戦力外通告。引退へ。
試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2014 1 1 0 0 0 0 0 0 .000
2016 3 2 0 0 0 0 1 0 .000
2017 6 3 1 0 0 1 1 0 .333
2018 12 14 0 0 0 1 2 0 .000
通算 22 20 1 0 0 2 4 0 .050

 庄司選手が2009年のドラフト会議で4位指名を受け、指名あいさつや仮契約交渉を行ったとき、「登録名を『隼人』にしてほしい」と頼んだそうです。しかし、球団の返事は「前例がない。1軍で活躍したら考える」というものでした。いつか『隼人』でプレーするときがくれば…と思っていましたが、前例を作れないまま、10年というプロ野球人生にピリオドを打つことになりました。

 中学時代に軟式野球の投手として、すでに144キロのストレートを投げていたという庄司選手。静岡・常葉橘高でもエースとして、そのストレートは150キロ目前まで迫り、後に福岡ソフトバンクに入団する大分・明豊高の今宮健太選手と双璧を成す存在でもありました。

 そしてカープに入団。投手としても注目された庄司選手でしたが、上背が175センチと、投手としては物足りなかった点、そして打撃センスの評価も高かったこともあり、内野手として育成されることになりましたが、プロ入り4年目くらいまでは、打撃ではまずまずの結果を残しても、主にセカンドの守備には大きな課題が山積していました。

 プロの世界で活躍するには、首脳陣に「こんな場面で使いたい」と、起用のイメージが湧くように、何かに秀でていることも条件でしょう。ただ、庄司選手にはそれがなかった…野球選手としての素質は素晴らしいのですが、打撃、守備、走塁とどれを取っても平均点。首脳陣もどう起用したらいいのかイメージが湧きにくかったのではないでしょうか。

 ただ2017年、1軍での打席で、必死にボールに食らい付き、ピッチャーに10球以上投げさせるという素晴らしい粘りを見せたことがありました。ウエスタンリーグでも.407の出塁率をマークしました。球数を投げさせるしぶとさ…これこそが庄司選手の持ち味だと感じました。これなら上位打線で起用も考えられるのではと思いました。しかし、翌2018年は淡泊に終わる打席が目立ち、「あのときの粘りはどこに…」というまま、1軍では自己最多の12試合に出場しましたが、14打数ノーヒットに終わり、2019年オフ、10年目のシーズンが終わり、ドラフト会議も終わった直後に戦力外通告を受けました。二遊間での著しい若手の成長にはじき出された格好でした。

 2017年、ライトへ放ったヒット。これが庄司選手のプロでの唯一のヒットでした。プロ初スタメンは試合前からの雨で流れてしまいました。2018年にプロ初スタメンを飾りましたが、ヒットは打てませんでした。なんか思うようにはいかないことばかりでしたが、10年間のプロ野球人生にピリオドを打ち、次なるステージではぜひ「これ」という持ち味を発揮して、充実した第2の人生になるよう願っています。

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54 船越涼太(捕手)

1993年11月26日生まれ
千葉・市立柏高〜王子〜広島(16−19)

2019年シーズン終了後に戦力外通告。引退へ。
試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2016 1 1 1 0 0 0 0 0 1.000
2018 1 0 0 0 0 0 0 0 -
通算 2 1 1 0 0 0 0 0 1.000

 2015年のドラフト会議で、社会人・王子から立て続けに選手が指名されました。そのときの4位指名が船越選手であり、5位はその後、類い稀な打撃センスでレギュラーをつかむことになる西川龍馬選手でした。

船越選手といえば、入団当初は「イケメン」として話題になりましたが、捕手でありながら、打撃では比較的スラッとした体型とは裏腹に、長打力が魅力でした。2016年、ルーキーイヤーの春季キャンプ、まだスタートしたばかりの第1クール、シート打撃か何かで、左中間スタンドに豪快な一発を放ち、「今季のチーム第1号」と記事にもなったほど。パワーがプロの世界で開花し、「打てる捕手」への期待感は一層高まったものです。

 しかし、その直後に右肩に痛みが…。好スタートを切ったかと思いきや、まさかのアクシデントで出遅れを余儀なくされましたが、それでも2軍でまずまずの結果を残し、この年の7月12日の巨人戦で代打で出場し、いきなりプロ初打席できれいにセンターへはじき返すプロ初安打を放ちました。ただ、オールスター前で、登板予定のない投手との入れ替わりでの昇格で、テストの要素が強かったこともあり、ほどなく2軍降格となりました。

 ただ、その当時はまさかこのヒットが、船越選手のプロ野球人生で唯一のヒットになろうとは…思いもよりませんでした。

 故障とも戦いながら、さらにはその後に入団してくる坂倉選手や中村奨選手といった才能あふれる高校生捕手の波に押されて、2軍での出番も目減りしていきました。一時は出場機会を増やすために、どこでも守れるようにと外野だけでなく、セカンド、ショートの練習をしたことも。ショートは高校時代に経験はあるようですが、がむしゃらにユーティリティプレイヤーを目指した時期もありました。

 2019年、ついに船越選手は開幕一軍入りを果たしました。しかし、開幕直後ということもあり、ひとまず2軍隊機となった先発投手との入れ替えの必要もあり、出場機会がないまま、わずか1週間、4月4日に選手登録抹消となりました。この年、ウエスタンリーグでも打率は.189、わずか35試合の出場にとどまりました。

捕手を始めたのは社会人になってから…それだけ捕手としての潜在能力もあったはずで、とにかく勉強熱心だったとも評価されていましたが、「打てる捕手」が狙える若手の台頭の前に、自慢の打撃でも結果が残せなくなり、わずか4年で戦力外通告、そして引退となりました。強肩強打で、いきなりプロ初打席で初安打…期待は高かっただけに、こんなに早く引退とは残念です。

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