歴代タイトルホルダー
(首位打者)
1962年:森永勝治(勝也)
| 試合 |
打数 |
安打 |
打点 |
本塁打 |
四死球 |
三振 |
盗塁 |
打率 |
| 130 |
476 |
146 |
55 |
11 |
51 |
48 |
10 |
.307 |
カープが球団創設後、初めて首位打者のタイトルを獲得したのが、後に監督も務めた森永勝治(後に森永勝也に変更)選手でした。そして、非常に興味深いことに、森永選手の打率は.307。これはプロ野球が2リーグ化した1950年以降では、両リーグでいまだに破られていない最低打率での首位打者となっています。この年は防御率ランキングに1点台が5人、チーム防御率もカープを除いた5球団がすべて2点台と、投手が突出していた年。だからこそ、低打率での首位打者が誕生したのかもしれませんね。
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1975年:山本浩二
| 試合 |
打数 |
安打 |
打点 |
本塁打 |
四死球 |
三振 |
盗塁 |
打率 |
| 130 |
451 |
144 |
84 |
30 |
69 |
39 |
24 |
.319 |
1975年のカープ、球団初のセリーグ制覇を成し遂げたこの年は、「4番・山本浩二」が定着した年でもありました。当時29歳だった山本耕史選手は、チームの打線の軸となり、自身初の30本塁打を放ちました。そして打率争いもシーズン終盤までもつれ込みながら、首位打者という自身初タイトルも獲得したのです。この年、打率.319、30本塁打、24盗塁…あと少しで「トリプルスリー」という好成績をマーク。「ミスター赤ヘル」と呼ばれるきっかけとなった1年でもありました。
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1978年:水谷実雄
| 試合 |
打数 |
安打 |
打点 |
本塁打 |
四死球 |
三振 |
盗塁 |
打率 |
| 119 |
402 |
140 |
75 |
25 |
36 |
48 |
2 |
.348 |
1975年のカープ、球団初のセリーグ制覇を成し遂げた試合で、ウィニングボールをキャッチしたのが、当時レフトを守っていた水谷選手でした。そんなチーム初優勝に大きく貢献した水谷選手は、1976年から打率3割台をマークし、1978年のシーズンは自己最高の打率.348を記録しました。そして、この成績が自身初タイトルである「首位打者」につながったのです。2019年現在ではありますが、カープの選手では球団史上シーズン最高打率となっています。
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1987年:正田耕三
| 試合 |
打数 |
安打 |
打点 |
本塁打 |
四死球 |
三振 |
盗塁 |
打率 |
| 123 |
393 |
131 |
26 |
0 |
35 |
35 |
30 |
.333 |
スイッチヒッターとなったのはプロ入り後のこと。プロのスピードについていけず、当時の古葉竹識監督の助言からスイッチヒッターに転向しました。それからわずか2年…スイッチヒッターは通常の打者の2倍、バットを振り込まなくてはならないという過酷な練習が実を結び、この年に「2番セカンド・正田」が定着しました。最後の最後で決めたバントヒットで、打率を.333とし、巨人・篠塚利夫(現・篠塚和典)選手と並んでの、初の首位打者のタイトル獲得となりました。
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1988年:正田耕三
| 試合 |
打数 |
安打 |
打点 |
本塁打 |
四死球 |
三振 |
盗塁 |
打率 |
| 104 |
394 |
134 |
23 |
3 |
33 |
37 |
16 |
.340 |
1988年の正田選手は開幕前から「外傷性肩峰下滑液包炎」と呼ばれる肩の痛みによって、一時は戦線を離脱するという時期もありました。この年の試合数は130試合行われましたが、正田選手が出場したのは104試合。それでも復帰後、ヒットを積み重ね、何とか規定打席もクリアし、2年連続となる首位打者を獲得しました。前年とは異なり、この年は単独での首位打者獲得となりました。
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2004年:嶋重宣
| 試合 |
打数 |
安打 |
打点 |
本塁打 |
四死球 |
三振 |
盗塁 |
打率 |
| 137 |
561 |
189 |
84 |
32 |
50 |
104 |
6 |
.337 |
突然の開花でした。外野手のレギュラー争いが激しく、なかなか割って入ることが出来なかった嶋選手が、2004年につかんだ絶好のチャンス…それはカープの4番を務めていた金本知憲選手のFA移籍でした。ライバルの離脱も重なり、めぐってきたチャンスで、開幕後から4割を超える打率を残し、強打の2番に定着しました。背番号が55だったこともあり、「赤ゴジラ」の異名をとり、一気にブレイクし、首位打者だけでなく、最多安打のタイトルも獲得した飛躍の1年となりました。
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2019年:鈴木誠也
| 試合 |
打数 |
安打 |
打点 |
本塁打 |
四死球 |
三振 |
盗塁 |
打率 |
| 140 |
499 |
167 |
87 |
28 |
110 |
81 |
25 |
.335 |
この年、首位打者のタイトルを獲得した鈴木誠也選手にとって、最高出塁率とともに、自身初のタイトルとなりました。右打者であり、しかもこの年は自分自身の前後を打つ打者がなかなか固定されず、相手のマークも厳しくなる中でも、打率.335のハイアベレージを残したのですから、「すごい」というしかありません。この年の打率ランキングでは2位の中日・ビシエド選手が打率.315でした。2位に大差をつけての堂々たる首位打者となりました。
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2021年:鈴木誠也
| 試合 |
打数 |
安打 |
打点 |
本塁打 |
四死球 |
三振 |
盗塁 |
打率 |
| 132 |
435 |
138 |
88 |
38 |
98 |
88 |
9 |
.317 |
鈴木選手にとって、この年のシーズン前半は打撃フォーム改良がなかなか上手くいかず、さらには新型コロナウイルス感染もあり、チャンスになかなか打てない苦しい状況が続きました。しかし、シーズン後半に入ると、自身初となる7・8月のセリーグ月間MVPを受賞すると、9月には6試合連続本塁打などの活躍で2ヶ月連続のMVP。シーズンの最後まで坂倉将吾選手と、同じチーム内での首位打者争いを演じ、見事2年ぶり2回目の首位打者のタイトル獲得となりました。カープで2度の首位打者を獲得したのは、1988年の正田耕三さん以来、2人目。それとともに、最高出塁率のタイトルも獲得し、メジャー挑戦へ弾みをつけたシーズンでした。
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2025年:小園海斗
| 試合 |
打数 |
安打 |
打点 |
本塁打 |
四死球 |
三振 |
盗塁 |
打率 |
| 138 |
521 |
161 |
47 |
3 |
47 |
47 |
12 |
.309 |
開幕直後は絶好調で、4月中旬には一時、打率が4割を超える時期もあったほど。このままの勢いで、首位打者に向けて突っ走るかと思いきや、なかなか思うようにはいかず、5月は月間打率.185と極度の不振に陥り、打順も3番から下位打線に回ったり、さらにはスタメンから外されることも。しかし、交流戦に入る頃から、再び調子を上げ、6月の月間打率は.352をマーク。その後、セリーグは首位打者ですら打率2割台という状況が続く中で、9月に入り、一気に固め打ちを見せ、打率3割台に乗せると、2位以下を突き放し、最後は1962年、カープの
森永勝治選手が打ち立てた首位打者の最低打率.307を何とか上回る.309で初の首位打者を獲得しました。
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