1度きりの追憶(2010年代)

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岩見優輝投手の1度きりの勝利(2011年)

岩見投手の生涯の1軍成績
試合 投球回 四死球 奪三振 自責点 防御率
2011 8 1 0 0  12.1 13 11 7 5.11
2013 3 0 0 0  3.1 4 4 0 0.00
通算 11 1 0 0 15.2 17 15 7 4.02

 岩見投手が2010年のドラフト3位で指名されたとき、1位で消えてもおかしくないくらい、高校、大学とプロで注目された左腕だっただけに、喜びでいっぱいになった記憶があります。しかし、わずか5年で、しかもルーキーイヤーに転がり込んできたような勝利が最初で最後となってしまうとは…。

 2011年の5月7日、東京ヤクルト戦。序盤からカープ・今村投手、ヤクルト・中澤投手の先発で大荒れに荒れた試合。3回を終わって7−6でカープがリードし、4回から岩見投手がマウンドに上がりました。2塁までランナーを進めてしまいますが、何とかゼロで切り抜けました。そしてチームはその1点を終盤まで守り、8回に2点を追加して、そのまま逃げ切りました。それによって、岩見投手にラッキーな1勝が転がり込んできたのです。

 1軍でのプロ通算成績を見ると、イニング数よりも多い四死球の数…。1イニングに1個以上四死球を出してしまっては、なかなか抑えられるものも抑えられないと言ったところでしょう。それでも防御率4.02なのは、荒れ球で三振を奪えていたからなのかもしれません。

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井生崇光選手の1度きりの本塁打(2011年)

井生選手の生涯の1軍成績
試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 失策 打率
2005 4 3 1 0 0 0 1 1 0 .333
2006 74 138 37 8 0 13 23 1 2 .268
2007 36 53 15 4 0 6 11 0 0 .283
2009 3 2 0 0 0 0 0 0 0 .000
2011 42 82 21 7 1 8 11 0 0 .256
通算 174 46 9 2 1 4 21 17 2 .196

 井生選手…それはまさに「努力の人」でしょう。コツコツとひたすら自分と向き合うその姿は、若手の手本でもありました。2012年のシーズンオフに、静かにユニフォームを脱ぐことになった井生選手。ドラフトで野手を多く指名したことから、自分自身の仕事場はもうなくなった…そう判断しての引退決意だったようです。何とも井生選手らしいものです。

 そんな井生選手はプロ入り13年目のシーズンであった2011年7月15日のナゴヤドームでの中日戦。7番打者としてスタメン出場を果たした井生選手は、レフトスタンドへ豪快なホームランを放ちました。このホームランは井生選手にとって13年目で初めてのことであり、セリーグの野手に限定すれば、もっとも遅いプロ初ホームランだったのです。苦節13年…ついに花が開いた瞬間でもありました。そして、この日がプロ初の猛打賞を記録した日でもありましたが、ともにこれがプロ生活で最初で最後となりました。

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今井啓介投手の1度きりの完封勝利(2012年)

今井投手の生涯の1軍成績
試合 完投 完封 投球回 四死球 奪三振 自責点 防御率
2009 9 1 0 0 3 0 45.2 16 28 19 3.74
2010 11 0 0 0 4 0 37.1 21 24 22 5.30
2011 11 1 0 0 2 0 30.1 10 22 10 2.97
2012 24 4 1 1 8 1 96 35 70 30 2.81
2013 33 2 0 0 2 0 61.1 31 50 22 3.23
2014 11 0 0 0 0 0 17 12 20 12 6.35
2015 11 0 0 0 1 0 18 3 11 6 3.00
2017 4 0 0 0 0 0 5 2 5 3 5.40
通算 114 8 1 1 20 1 310.2 130 230 124 3.59

 投球フォームが黒田博樹投手に似ていたことから「黒田2世」と言われ、毎年のように先発の一角を期待されていた今井投手。しかし、なかなか1軍に定着できない時期が続く中で、12年間に渡ったプロ野球生活の中で唯一の完投が完封勝利となったのが、2012年9月1日の阪神戦でした。今井投手が最も輝いた日、そしてその勢いに乗って、月間3勝をマークしたきっかけとなった試合でもありました。

 カープは初回にエルドレッド選手のタイムリーで1点を先制します。先発・今井投手は幾度となくピンチを迎えましたが、ここ一番で投球が冴え渡りました。ピンチで主軸に回ることも多々ありましたが、それでも辛抱強く、投げ込みました。初回の1点のみの援護の中で、しかも甲子園球場という敵地のマウンドで、9回のマウンドにも上がった今井投手。1死から2塁打を浴びましたが、金本選手をライトフライに、そしてブラゼル選手を三振に抑え、ついに完封勝利を成し遂げたのです。最後まで投げ抜きました。それがこれからの投手生活へ向けて、大きな飛躍のきっかけとなれば…と思っていましたが、これが最初で最後の完封勝利となったのです。

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野村祐輔投手の1度きりのホームラン(2013年)

野村祐輔投手の打撃成績
打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 犠打 打率
2012 42 4 2 0 4 19 0 6 .095
2013 40 6 8 1 2 18 0 10 .150
2014 30 7 4 0 1 15 0 3 .233
2015 22 0 0 0 1 12 0 4 .000
2016 43 7 3 0 2 15 0 9 .163
2017 41 5 2 0 2 18 0 9 .122
2018 39 4 1 0 2 18 0 5 .103
2019 24 1 1 0 1 10 0 7 .042
2020 20 2 0 0 3 11 0 2 .100
2021 7 0 0 0 1 3 0 2 .000
2022 11 1 2 0 0 4 0 1 .091
2023 8 1 0 0 1 3 0 1 .125
2024 2 0 0 0 0 2 0 0 .000
通算 329 38 23 1 20 148 0 59 .116

 野村祐輔投手にとって2013年は2年目のシーズンであり、ルーキーイヤーに続いて、この年の先発ローテーションの一角を担っていました。そんな中で、9月12日の神宮球場でのヤクルト戦は自身初の2ケタ勝利を目指した登板でもありました。

 初回から乱打戦の様相を呈し、2回を終わって4ー2と、カープが2点をリードした3回表は、相手のエラーなどで2アウト1・2塁とチャンスを作り、打席には野村投手が入りました。「まあ、アウトでも次の回は1番打者からだし…」という場面での打席で、野村投手はヤクルト先発・徳山武揚投手の初球をうまくコンタクトすると、打球はぐんぐんと伸びて、なんとカープファンの待つレフトスタンドへ!プロ初本塁打は驚きの3ランとなりました。

 結果的に12ー6の乱打戦となりましたが、野村投手の3ランは試合の流れとしては勝利を一気に引き寄せる価値あるものとなりました。そして、野村投手はこの試合で6回まで投げて、4失点を喫しましたが、自身の3ランにも助けられて自身初の2ケタ勝利達成となりました。そして、この3ランは野村投手にとって、プロとして最初で最後の一発となりました。明治大出身の野村投手にとっては思い出深い神宮球場で初の2ケタ勝利、そしてプロで唯一の本塁打…縁のある球場で、インパクトある活躍を見せました。

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白浜裕太選手の1度きりのホームラン(2014年)

白浜選手の生涯の1軍成績
試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2011 7 13 1 1 0 0 4 0 .077
2012 35 61 10 5 0 6 19 0 .164
2013 7 4 0 0 0 0 1 0 .000
2014 30 62 10 1 1 5 17 0 .161
2015 1 0 0 0 0 0 0 0 -
2016 1 0 0 0 0 0 0 0 -
2017 3 5 2 0 0 0 2 1 .400
2020 2 1 0 0 0 0 0 0 .000
2022 4 4 0 0 0 0 1 0 .000
通算 90 150 23 7 1 11 44 1 .153

 カープ一筋19年…球団の歴代の捕手で石原慶幸選手と並ぶ最長在籍期間となった白浜選手。下積み期間も長く、プロ通算90試合の出場にとどまり、プロ野球人生の後半は2軍での生活がほとんどでした。それでも若手にアドバイスを送ったり、チームの捕手の頭数か足りなくなるというピンチの時には1軍で、出場機会はわずかながら、頼もしく、そして貴重な存在となっていました。

 そんな白浜選手はプロ通算で174度立った打席で1度だけホームランを放ちました。プロ11年目、2014年5月25日、マツダスタジアムで行われた西武との交流戦でした。この日、9番・キャッチャーでスタメン出場を果たした白浜選手は、7回裏の第3打席、西武・岡本洋介投手のカーブを見事に捉え、レフトスタンドに運ぶ一発。これがプロ初アーチとなり、また僅差の展開の中で、貴重な追加点となる一発でもありました。

 白浜選手は広島・広陵高時代に高校通算28本塁打と、強肩強打の捕手として注目され、ドラフト1位でカープに入団しました。しかし、打撃ではなかなか壁を乗り越えられず、プロで放ったホームランは、この1本のみ。最初で最後のホームランとなりましたが、苦節11年目にして「あの白浜選手がついに打った」というインパクトの強いホームランでもありました。

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土生翔平選手の1度きりのヒット(2016年)

土生選手の生涯の1軍成績
試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2016 5 8 1 0 0 1 1 0 .125
2017 5 1 0 0 0 0 0 0 .000
通算 10 9 1 0 0 1 1 0 .111

 大学時代はヒットを量産し、一時は多くの球団から注目され、上位指名候補となっていた土生選手。地元・尾道出身で、広陵高校を卒業。ドラフトでは4位以下の指名の場合は断りを入れようと思っていたにもかかわらず、カープの指名とあっては、憧れの方が勝りました。

 そんな土生選手はプロから5年目にようやく1軍初昇格を果たしました。早稲田大から即戦力として期待されながら、そこに行き着くまでには時間がかかりました。2016年の6月3日、福岡ソフトバンク・東浜投手から放ったライト前へのヒット…これがプロ5年目にして嬉しいプロ初安打となりました。そのバットコントロールは巧みなもので、ようやくスタートラインに立った…と思ったのですが、まさかこれが最初で最後のヒットとなるとは。四球も1つ、三振も1つ。ついでに言えば犠打も1つ。プロで1度きりの記録がたくさんある土生選手。短い1軍生活でも、いくつかの「最初で最後」の記録を残したのも特徴です。

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船越涼太選手の1度きりの打席&ヒット(2016年)

船越選手の生涯の1軍成績
試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2016 1 1 1 0 0 0 0 0 1.000
2018 1 0 0 0 0 0 0 0 -
通算 2 1 1 0 0 0 0 0 1.000

 船越選手といえば、カープに入団した2016年の春季キャンプ。キャンプインして間もない頃に行われた紅白戦だったか、シート打撃だったか…とにかく実戦練習で左中間スタンドに豪快なアーチを架け、「2016年のカープ1号」という記事になっていたことを思い出します。社会人になってから本格的に捕手に転向し、打力のある捕手という前評判通りの打撃でした。

 しかし、その直後に右肩痛を発症して離脱。1軍昇格を果たしたのは、シーズン中盤のオールスター戦直前のことで、しばらく先発での登板機会のない投手に代わっての昇格、なかば「1軍体験」のようなものでした。

 2016年7月12日、マツダスタジアムでの巨人戦の7回裏。代打でプロ入り初出場を果たし、左腕の戸根千明投手からセンター前にきれいに弾き返すヒットを放ちました。プロ初打席、めったにないアピールチャンスで結果を残しました。ただ、あくまでも「1軍体験」。オールスター戦が終われば2軍に降格となり、その年は1軍でのチャンスもなく、2年後の2018年には捕手での途中出場が1試合ありましたが、打席に立つことはなく…。結局、プロ初安打がそのまま現役での最後の安打であり、最初で最後の1軍での打席となりました。

 プロ通算2試合、1打数1安打、打率1.00。これが船越選手の生涯打率となりました。打てる捕手の期待も高かったのですが、その後に入団した高校生への期待が上回り、若手の波に飲み込まれたという印象で、残念な結果となりました。

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白浜裕太選手の1度きりの盗塁(2017年)

白浜選手の生涯の1軍成績
試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2011 7 13 1 1 0 0 4 0 .077
2012 35 61 10 5 0 6 19 0 .164
2013 7 4 0 0 0 0 1 0 .000
2014 30 62 10 1 1 5 17 0 .161
2015 1 0 0 0 0 0 0 0 -
2016 1 0 0 0 0 0 0 0 -
2017 3 5 2 0 0 0 2 1 .400
2020 2 1 0 0 0 0 0 0 .000
2022 4 4 0 0 0 0 1 0 .000
通算 90 150 23 7 0 11 44 1 .153

 カープ一筋19年というのは、球団の歴代の捕手で石原慶幸選手と並ぶ最長在籍期間。しかし、プロ通算の出場試合数はわずかに90試合。それでも現役選手として19年間プレーしてきたのは、捕手という特殊なポジションであったこと、2軍でも真摯に野球に向き合い、練習に励み、若手にアドバイスを送るコーチのような役割も担い…そんな存在が貴重だったことが挙げられるのでしょう。

 そんな白浜選手はプロ14年目の2017年8月3日の阪神戦。この試合は延長にもつれ込む展開となり、11回裏、2アウト2塁のチャンスで、代打として白浜選手が出場しました。この場面で、三遊間をしぶとく破るレフト前ヒット。残念ながら、相手の外野が前進守備を敷いていたため、サヨナラタイムリーとはなりませんでしたが、代打としての役割を十分に果たしました。

 2アウト1・3塁という場面で、白浜選手が2塁へ盗塁。確かに、相手からすれば、ダブルスチールもあり得る上に、1点入ればサヨナラという場面で、状況的に2塁にランナーが進んでも、大勢に影響がない状況。むしろ、2塁へ送球することで、エラーが誘発される可能性もあるため、相手も白浜選手の盗塁に関してはスルーという感じでした。しかし、これが白浜選手にとってプロ初盗塁となり、プロ野球人生の中で、最初で最後の盗塁となりました。

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庄司隼人選手の1度きりのヒット(2017年)

庄司選手の生涯の1軍成績
試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2014 1 1 0 0 0 0 0 0 .000
2016 3 2 0 0 0 0 1 0 .000
2017 6 3 1 0 0 1 1 0 .333
2018 12 14 0 0 0 1 2 0 .000
通算 22 20 1 0 0 2 4 0 .050

 プロの世界に入り、内野手に専念した庄司選手。2014年にプロ初の1軍昇格を果たしました。守備力、走力、打撃…2軍ではまずまずの成績を残しながら、なかなか1軍からお呼びがかかる機会に恵まれなかったのは、すべてが及第点で、どこか突出して目立つものがなかったからかもしれません。

 ただ、2017年のシーズンに関して言えば、打席での粘りは素晴らしいものがりました。相手投手に対して10球以上粘った打席もあり、これだけ粘れるのなら、代打や上位打線で起用しても面白いのではないか…とも思いましたが、庄司選手が守る二遊間は「タナキク」の存在で、あまりに壁が厚いものでした。

 そんな庄司選手はプロ通算20打数1安打。プロで唯一放ったヒットは、2017年のシーズンも終わろうかという10月1日の横浜DeNA戦。代打で出場し、横浜DeNA・井納投手から放ったライト前へのしっかりと芯でとらえた当たり。庄司選手はプロ初スタメン出場を飾っても、その試合が雨で中止になったりと、思うようにはいかないことも多々ありました。しかし、たった1本ではあったかもしれませんが、庄司選手にとってはプロでの足跡を残した大きな1本ではなかったでしょうか。

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藤井晧哉投手の1度きりの勝利(2018年)

藤井晧投手の生涯の1軍成績
試合 投球回 四死球 奪三振 自責点 防御率
2017 2 0 0 0 1.2 0 1 0 0.00
2018 8 1 0 0 14.2 8 21 10 6.14
2019 4 0 0 0 6.1 9 8 10 14.21
通算 14 1 0 0 22.2 16 30 20 7.94

 2014年のドラフト4位でおかやま山陽高からカープに入団した藤井皓投手。しかし、高校時代に見せた150キロに届くストレートも、特に2年目から3年目にかけて、思うように球威が上がらず、2軍でも結果が残せない苦しい日々が続きました。

 3年目の後半あたりから本来のストレートを取り戻し、初の1軍も経験し、ようやくステップアップし始めた期待の右腕は、4年目となった2018年5月25日に1軍昇格を果たし、この年4試合目の登板となったのが6月6日、交流戦での北海道日本ハム戦でした。2−3と、カープ1点ビハインドの状態で迎えた9回表、これ以上リードを広げられたくない局面で、5番手としてマウンドに上がりました。

 藤井皓投手は相手の下位打線に対して2つの三振を奪うなど、3人をピシャリと抑える完璧なピッチングを見せ、マウンドを下りました。その直後のカープの攻撃で打線は相手のエラーなどでチャンスを作り、野間選手のセンターへのサヨナラ打で見事な逆転勝利を飾りました!これによって、藤井晧投手にとって、プロ入り4年目にして嬉しいプロ初勝利が転がり込んできました。ただ、それ以降は伸び悩んだ藤井皓投手は、2020年限りで戦力外通告を受けました。結果的にこの日のプロ初勝利が藤井皓投手にとって最初で最後の勝利となったのです。

 しかし、ストーリーはこれだけで終わりではありませんでした。独立リーグを経て、2022年にソフトバンクに入団。150キロを超える剛速球と、魔球のフォークで55試合に登板し、4年ぶりの勝利を含む5勝をマーク。ソフトバンク投手陣に欠かせない存在となりました。新天地でついに大きな花を咲かせたのです。つまり、先述の勝利は「カープでの1度きりの勝利」となったのです。

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高橋大樹選手の1度きりの本塁打(2019年)

高橋大選手の生涯の1軍成績
試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2014 2 6 0 0 0 0 3 0 .000
2018 6 15 5 0 0 1 4 0 .333
2019 27 43 12 3 1 4 11 0 .279
2020 14 15 3 0 0 1 5 0 .200
通算 49 79 20 3 1 6 23 0 .253

 2019年6月28日、この日の横浜DeNA戦で1番・レフトでスタメン出場した高橋大樹選手。田中広輔選手が1番打者として復帰するのではないかとされていた中で、相手の先発が左腕の今永昇太投手ということもあり、驚きの1番抜てきとなりました。プロ7年目、少しずつ1軍でアピール出来るようになってきた中で初の1番打者としてのスタメンとなったのです。

 第1打席こそサードゴロに終わりましたが、3回表の第2打席。簡単に2ストライクと追い込まれながらも、4球目。内角高めのストレートを完璧に捕らえた打球はライナーで、ぐんぐんと伸びていき、カープファンで真っ赤に染まったレフトスタンドへ!!豪快な一発でした。ライナーでスタンドまで運ぶのですから、天性のホームランアーチストにしか出来ない芸当です。やはりパワーのある打者だと改めて感じた一発でした。

 しかし、外野の層は厚く、いくらアピールしても出場機会はなかなか与えられず…やはり7年目でのプロ初アーチはあまりに遅かったのでしょうか。2021年のオフに戦力外通告を受けてしまい、チームを去ることになりました。期待された右のスラッガーが放った唯一の本塁打となりました。ただ、当時はセリーグで防御率トップ、横浜DeNAのエース左腕からの一発だっただけに、印象深い本塁打であったことは間違いありません。

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高橋樹也投手の1度きりのセーブ(2018年)

高橋樹投手の生涯の1軍成績
試合 投球回 四死球 奪三振 自責点 防御率
2017 10 0 2 0 14 6 9 10 6.43
2018 9 0 0 1 21.1 8 17 14 5.91
2020 18 0 0 0 18.2 9 15 17 8.20
2021 27 0 0 0 26.1 11 16 4 1.37
通算 64 0 2 1 80.1 34 57 45 5.04

 岩手・花巻東高時代時代から、実戦的な技巧派左腕として注目される存在だった高橋樹投手。プロ2年目の2017年に1軍初昇格を果たし、10試合に登板。そして2018年、3年目のシーズンも夏場を迎えた8月5日の横浜DeNAとの試合。高橋樹投手にとっては、この日が2試合目の登板となりましたが、それがプロ初セーブを挙げる試合となったのです。

 この試合、当時の守護神・中崎投手が9回に同点に追い付かれ、延長戦にもつれ込む展開となりました。その直後の延長10回にカープが勝ち越しに成功。しかし、先発が早々に降板し、投手を次々に繰り出し、守護神が打たれてしまうという状況の中で、ブルペンに残っていたのは高橋樹投手と左腕の飯田哲矢投手の2人。ともに1軍での実績はまだ少ない投手…このどちらかを、勝利のかかったマウンドに送らなくてはなりませんでした。

 そこで当時の緒方監督が選んだのが、高橋樹投手でした。それは、技術うんぬんよりも、マウンド度胸があるからという理由。延長戦で勝ち越しに成功し、そのまま逃げ切り勝利を掴めるかどうかという緊迫した展開…もはやこの状況でも動じることなく投げられる投手という観点から、高橋樹投手を選択しました。

 しかし、いきなり味方のエラーで出塁を許すという、味方からの洗礼を受ける状況。しかし、マウンド上では表情を特段変えることなく、強気の雰囲気。いきなりのピンチを迎えながらも、この場面を、何とかゼロでしのぎ、チームを勝利に結びつけました。そしてこれが、嬉しいプロ初セーブをマークしました。ただ、そもそも守護神ではなく、試合展開上でセーブにつながった登板であったこと、そして2022年のシーズンオフに戦力外通告を受けたことで、高橋樹投手にとって、これが最初で最後のセーブとなりました。

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菊池保則投手の1度きりのセーブ(2020年)

菊池保投手の広島在籍時の1軍成績
(通算のみ楽天時代も含む)
試合 投球回 四死球 奪三振 自責点 防御率
2019 58 1 3 0 61.0 23 43 19 2.80
2020 44 1 0 1 42.0 22 53 21 4.50
2021 33 2 1 0 31.2 16 25 6 1.71
2022 8 0 0 0 8.0 5 6 5 5.63
通算 212 16 19 1 412.2 203 331 178 3.88

 新型コロナウイルスの影響により、プロ野球の開幕が約3ヶ月遅れとなった2020年のシーズン。カープは守護神に新外国人選手のスコット投手を選びましたが、開幕から炎上続き。開幕から11試合目にスコット投手がサヨナラ満塁弾を浴びたことをきっかけに、その座を下ろされ、早くも守護神不在という、いきなり極めて厳しい状況となりました。

 暫定守護神に選ばれたのが菊池保投手でした。守護神タイプの投手ではないのですが、不用意な四球を出さず、安定した投球を続けていたことが選定の理由だったようです。しかし、菊池保投手にとって、守護神の重圧は日頃中継ぎで登板しているときとはまるで違っていたようです。

 7月8日のDeNA戦。3点リードの9回表のマウンドを任されましたが、際どいコースを攻めるも、わずかにストライクが決まらず、いきなり連続四球。一発が出れば、たちまち同点になるという状況の中で、菊池涼選手のファインプレーもあり、何とか無失点で切り抜けました。「菊池」のピンチを「菊池」が救った…3点リードを奪いながら、薄氷を踏むようなヒヤヒヤの勝利でした。これが菊池保投手にとって、楽天時代から含めてプロ13年目にしてプロ初セーブとなりました。しかし、あくまでも守護神は暫定的なもので、ほどなく通常の中継ぎの役割に戻ったことで、菊池保投手のプロ野球人生で最初で最後、唯一のセーブとなりました。

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