1度きりの追憶(1980年代)


阿部慶二選手の1度きりの本塁打(1984年)

阿部選手の生涯の1軍成績
試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 失策 打率
1984 9 5 1 1 1 1 2 1 0 .200
1986 16 12 1 1 0 2 5 1 0 .083
1988 2 1 0 0 0 0 1 0 0 .000
通算 27 18 2 2 1 3 8 2 0 .111

 阿部慶二選手といえば、最近ではカープのコーチを務めていたというイメージが強いかと思います。大阪・PL学園高時代には右のスラッガーとして活躍した阿部選手は、静岡の社会人チームであるヤマハ発動機を経て、カープに入団します。そして、1984年8月8日の巨人戦。巨人・槙原投手からライトスタンドへ運んだソロホームラン。これは阿部選手の初打席であり、それがいきなりの初本塁打となりました。

 しかし、これが最初で最後のホームランとなりました。しかも2本目のヒットは翌年に放ち、プロではその2本のヒットを放ったのみとなりました。それでも、引退後はコーチなどを務め、2013年終了時点ではカープのフロント入りをしています。


川島堅投手の1度きりの勝利投手(1989年)

川島投手の生涯の1軍成績
試合 投球回 四死球 奪三振 自責点 防御率
1988 5 0 1 0 19.2 11 14 8 3.66
1989 10 1 2 0 33.2 10 27 15 4.01
1991 1 0 1 0 4.2 1 2 7 13.50
1994 2 0 0 0 1.2 1 1 2 10.80
通算 18 1 4 0 59.2 23 27 32 4.83

 1988年のドラフト会議で東京・東亜学園高からドラフト1位で指名し、3球団の競合の末に獲得した川島投手。この投手の右腕にかかる期待は、ファンの間では非常に大きなものになっていました。しかし、プロの世界では右ひじの故障もあり、なかなか思うようにはいかなかった…そんなプロ野球生活だったかもしれません。

 2年目のシーズンとなった1989j年、阪神戦に先発した川島投手は、阪神打線を5安打に抑え、プロでは2度目の完投を達成するとともに、プロ初勝利を達成しました。高卒2年目にして完投勝利…それゆえにファンの期待はどんどん高まったのですが、その後、2軍の試合中に右ひじを痛め、それを機に、登板機会も激減し、1994年賀最後のマウンドとなりました。正直、1989年の初勝利のときは、将来のカープのエースと思ったりもしましたが、故障によってプロ人生を閉じてしまうことになりました。今では、東京都内で整骨院を開業しているそうです。