鯉の4番(第51〜60代)

※打撃成績は4番を打った年のみを表記しています。

▲「鯉の4番」メインに戻る


第51代4番バッター:嶋重宣
(初4番は2004年10月7日。成績は4番を打ったことがあるシーズンのもの)

試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2004 137 561 189 84 32 50 104 6 .337
2005 144 560 161 77 27 58 112 4 .288
2006 128 495 133 69 24 30 102 2 .269
2010 123 343 90 46 14 31 53 0 .262

 赤ゴジラとして一世を風靡した2004年。シーズン終盤にプロ入り後初めての4番に座った嶋選手。その後も2006年のマーティー時代には、開幕から4番に据わる時期もあったほどです。その後は打撃の低迷で4番からは離れますが、2010年には栗原選手の故障でぽっかり空いた4番を埋める働きを見せました。

 しかし、2012年のシーズン開幕を前に、江草投手との交換トレードで、埼玉西武へと移籍してしまいました。かつて4番を打った「赤ゴジラ」がカープを去ってしまったのは寂しい限りです。

▲このページのトップに戻る


第52代4番バッター:栗原健太
(初4番は2006年5月24日。成績は4番を打ったことがあるシーズンのもの)

試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2006 101 373 110 69 20 21 90 2 .295
2008 144 557 185 103 23 54 68 5 .332
2009 140 521 134 79 23 55 82 1 .257
2010 105 386 114 65 15 58 70 3 .295
2011 144 536 157 87 17 52 84 0 .293
2012 21 76 16 5 0 6 15 0 .211

 2011年現在、押しも押されぬカープの4番に座っている栗原選手が初めてカープの4番に座った2006年5月24日の試合では、何と3打数ノーヒット2三振というほろ苦いデビューでした。しかし、新井選手がFAで移籍した2008年以降は、すっかり4番に定着し、カープの歴史上でも名前を残せる4番打者となっています。

 そんな栗原選手は2012年を最後に、1軍の舞台から離れてしまいました。そして2015年に自ら退団の道を…。カープの危機を救った和製大砲が静かにチームを去ったのは寂しい限りです。

▲このページのトップに戻る


第53代4番バッター:森笠 繁
(初4番は2006年9月24日。成績は4番を打ったことがあるシーズンのもの)

試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2006 115 291 85 31 6 20 53 1 .292

 森笠選手にとって、プロ入り初の4番を任されたこの日。この年は新井選手(FAで阪神に移籍)が4番に座ることがほとんどだったにもかかわらず、この日はなんと4番に森笠選手。プロ初の4番となったこの日の森笠選手は打点こそなかったものの、ヒット1本を放ちました。しかし、結果的にはこれが最初で最後の4番でのスタメンとなりました。

▲このページのトップに戻る


第54代4番バッター:スコット・シーボル
(初4番は2009年4月24日。成績は4番を打ったことがあるシーズンのもの)

試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
40 40 127 27 11 4 13 32 1 .213

 来日2年目を迎えたシーボル選手が4番に・・・。1年目こそ、期待すれば打てないものの、期待していないとぽかんと打つ意外性のある打撃をみせていましたが、2年目はますます打撃は低迷してしまいました。それでも4番に使われた時期があるのですから・・・。4月24日からの6試合を任され、最初はヒットが出たものの、徐々に沈黙してしまいました。

▲このページのトップに戻る


第55代4番バッター:ジャスティン・ヒューバー
(初4番は2010年6月12日。成績は4番を打ったことがあるシーズンのもの)

試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2010 80 177 39 17 7 25 42 0 .220

 なぜか監督からの信頼が厚かったヒューバー選手。おそらく自分が推薦し、獲得に至ったからなのでしょう。確かに、パワフルなスイングは他のカープの選手にはなかったもので、下位打線にいれば相手に恐怖は与えるかも・・・といったものでしたが、やはり4番としては脆すぎたように感じます。

 栗原選手の故障により、4番を務めることになったヒューバー選手ですが、やはりその荷は重すぎたかな・・・という印象です。

▲このページのトップに戻る


第56代4番バッター:広瀬 純
(初4番は2010年7月19日。成績は4番を打ったことがあるシーズンのもの)

試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2010 135 482 149 57 12 52 66 3 .309
2013 106 274 74 39 9 51 51 7 .270

 2010年に1度だけ4番に座った広瀬選手。しかし、2013年には外国人選手が故障で離脱するなどの中で、16打席連続出塁と言う日本記録を樹立するなど、4番打者としてのその窮地を救う打撃を見せました。

 しかし、外国人選手が戻ってくるや否や、すぐに4番を外されるどころか、スタメンすらも外されてしまう状況。この起用法には今でも疑問を感じずにはいられません。故障選手離脱の間、4番を最高の形で守り続けたのが広瀬選手だったのです。

▲このページのトップに戻る


第57代4番バッター:チャッド・トレーシー
(初4番は2011年4月12日。成績は4番を打ったことがあるシーズンのもの)

試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2011 40 149 35 19 1 13 34 0 .235

 2011年シーズンの4番として抜擢されたのが、この年の新外国人選手であるチャッド・トレーシー選手でした。シーズン開幕当初こそ、日本野球への迷いも感じられ、なかなか本領を発揮できなかったものの、試合を重ねるに従い、打率も3割チックまで上昇するとともに、打点も積み重ねていきました。

 ところが、交流戦が始まると打率も急降下。それとともに、股関節痛が悪化したことで、米国へ帰国したままの状態が続いています。2011年のカープの4番は、米国へ帰国後、その年限りで自由契約となりました。

▲このページのトップに戻る


第58代4番バッター:岩本貴裕
(初4番は2011年4月28日。成績は4番を打ったことがあるシーズンのもの)

試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2011 60 179 40 15 3 8 43 0 .223
2012 71 239 64 27 6 2 43 1 .268
2013 82 145 37 24 5 5 33 0 .255
2014 39 52 10 10 2 2 10 0 .192

 プロ初の4番は2011年4月27日の阪神戦でした。スタメンの発表が行われ、初の4番に座ることが決定。しかし、その試合は開始前からの雨の影響で土壇場で中止が決定し、幻の4番となってしまいました。しかし、翌日の試合で初の4番を務めた岩本選手。初回のチャンスでいきなりタイムリーを放つ活躍を見せ、チームは見事に勝利することができました。
 2012年のシーズンには4番として、チームの借金11からの5割復活劇の立役者となりました。2014年まで、年に数回4番に座ることはありましたが、その後は4番の機会からも遠ざかっています。

▲このページのトップに戻る


第59代4番バッター:ニック・スタビノア
(初4番は2012年4月24日。成績は4番を打ったことがあるシーズンのもの)

試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2012 52 181 43 24 9 23 42 1 .238
2013 14 39 6 3 1 1 14 0 .154

 2012年に入団した期待の右の長距離砲・ニック選手。開幕直後は3番を打ったり、5番を打ったりと、4番・栗原選手の前後を固める役目でしたが、栗原選手離脱後に4番に座りました。1試合3本塁打という規格外のパワーを見せた試合もありましたが、試合中の走塁の際に右足を痛めて、無念の戦線離脱となってしまいました。
 2013年も1度だけ4番に座りましたが、それは長距離砲好きの当時の野村監督の疑問符が付く采配のため。打撃を見る限りでは、やはり足の故障の影響が尾を引き、もはや1軍にいられる状況ではなかったように感じます。

▲このページのトップに戻る


第60代4番バッター:ブラッド・エルドレッド
(初4番は2012年8月1日。成績は4番を打ったことがあるシーズンのもの)

試合 打数 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁 打率
2012 65 225 59 35 11 23 67 0 .262
2013 66 235 58 32 13 24 73 3 .247
2014 118 454 118 104 37 48 169 2 .260
2015 79 264 60 54 19 32 91 1 .227
2016 95 316 93 53 21 35 86 1 .294

 2012年のシーズン途中、栗原選手が抜け、新助っ人のニック選手が抜け…と、次々と4番が故障で戦線離脱する中で、4番に座ったのはシーズン途中で急きょ獲得することになったエルドレッド選手でした。何だか、獲得した当初から早く1軍で使いたくて仕方がない、周囲の状況次第では早く4番で使いたい…そんな雰囲気ばかりが漂っていました。初来日、日本プロ野球も初めてという中で、持ち前の長打力も発揮したものの、もろさも目立った内容の4番でした。
 しかし、2014年には本塁打王。しかも104打点を挙げる活躍。日本野球にも慣れてきて、カープの助っ人史上屈指の長距離砲の仲間入りを果たしました。

▲このページのトップに戻る