赤い闘志燃やせ!
野村選手引退試合特設ギャラリー


 2005年10月12日。17年間背負ってきた背番号7、野村選手の引退試合。その試合の様子を写真でまとめてみました。写真を提供していただいた広島市のペンネーム・つもさん、ありがとうございました!

 私自身は大阪に住んでいるので、実際にこの様子を見たのはケーブルテレビでの生放送でした。そんな中、スタンドで観戦していらっしゃった広島市のペンネーム・つもさんがそのときの模様を写真で送ってくださいました!まずはライトスタンドの様子から。真っ赤ですね!!とにかくすごい光景です。こんな光景は、1991年のリーグ優勝のときですら見たことがありません。ましてやこの試合は、最下位が決まった消化試合で、しかも観客の比較的少ない横浜戦。これぞ、広島市民球場の底力!!でも、これはライトスタンドなんですが・・・
 実はレフトスタンドまで真っ赤っか!!この引退試合となるつい1ヶ月前までは「広島市民球場を阪神の黄色に乗っ取られた」という感想が多かったはず。でも、この野村選手が打席に立ったときの真っ赤に染まったそのスタンドは、広島の底力を痛感させてくれるものでした。ライトだけじゃなくとも、レフトスタンドの様子まで、しかもバックネット映像で送ってくださるとは、広島市在住のつもさんは素晴らしい!!
 試合は残念ながら4対2で敗れてしまいましたが、これまで1点を取ることさえ苦労していた横浜・三浦投手から緒方選手、そして倉選手の本塁打で同点に追いついた執念。これが山本監督がチームに育ててきた「粘り」だったのでしょうね。試合終了後に行われた野村選手の胴上げ後、その野村選手がホームベース上までチームメートを率いて撮影されたのがこのカット。赤の軍団は一つにまとまっています。この集団力・・・この力があれば、山本監督の教えでもある「粘り」も個々人ではなく、チーム全体の粘りにもつながるのではないでしょうか。
 試合後に行われた引退セレモニー中でのひとコマ。このシーンに、スタンドのファンの方々だけでなく、ラジオや地元テレビ局、そして地方のケーブルテレビ局で観戦しながら涙ぐんでいた方々も多かったはず。そんな私自身も大泣きでした!こう見ると、山本監督は野村選手の入団時から手塩にかけて育ててきた選手。それだけに思い入れも強かったことでしょう。すっかり父親の姿になっていた山本監督。そんな監督の後姿の優しさが監督としては裏目に出たのかもしれませんね・・・。
 最後に上記の写真がライトだけでなくレフトも真っ赤に染めた「野村シート」だそうです。私が小学校の高学年の頃に入団してきた野村選手。私の子供時代は住まいも広島市民球場の近くで、高橋慶彦選手が活躍してた頃だけに、野村選手の出現は何とも不思議な感じでした。そんな野村選手が引退とは・・・。後継者に不安を残しながらの引退・・・それは前回、千葉ロッテに高橋慶彦選手がトレードされたときのそれとはまったく違う大きな不安です。でも、シュートのレギュラーを勝ち取りつつある山崎選手を始め、スイッチで新境地を開いてほしい東出選手、そして故障からの復帰を願う岡上選手・・・そんな若手選手に期待したいところであり、そういった選手も赤い闘志を受け継いでほしいところですね。

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