背番号ヒストリー(51〜60番)

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背番号「51」

<カープ、背番号51の変遷(選手のみ)>

年代 選手名 成績
1956-1957 井石 広一 3試合2打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1958 坂平 竜男 1軍出場なし
1962-1965 原田 喜臣 2試合0勝0敗 防御率0.00
1966-1968 川内 雄富 71試合79打数12安打2本塁打4打点 打率.152
1969-1972 西本 明和 32試合6勝3敗 防御率4.32 ※投手成績のみ・野手転向
1974 衛藤 雅登 1軍出場なし
1975-1982 中川 惣一 1軍出場なし
1983-1988 太田 龍生 1軍出場なし
1989 江藤 智 1834試合5819打数1559安打364本塁打1020打点 打率.268
1990-1991 前田 智徳 2188試合7008打数2119安打295本塁打1112打点 打率.302
1992-1995 杉田 勇 3試合1打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1996-1999 伊与田一範 60試合73打数14安打4本塁打7打点 打率.192
2000-2012 末永 真史 236試合433打数116安打7本塁打40打点 打率.268
2013-2018 鈴木 誠也 現役
2019- 小園 海斗 現役

 かつて背番号「51」といえば、その背番号の大きさから、2軍の選手が、将来若い背番号を背負うための踏み台にしていたような番号でした。実際、カープでも江藤選手や前田智選手が背番号「51」をきっかけにして、若い背番号へとステップアップしていきました。

 しかし、今や背番号「51」といえば、イチロー選手がつけている背番号というイメージがすっかり定着したおかげもあって、俊足巧打の選手がつける番号となりました。ちなみに、イチロー選手が背番号「51」をつけるようになったのは、当時「51」をつけていた前田智選手への憧れもあって…というのは有名な話です。

 末永選手は故障を抜きにすれば、まさにこのタイプ。13年間、背番号「51」をつけました。そしてその後は、イチロー選手と同じ鈴木姓の鈴木誠也選手がつけていました。そして、その鈴木選手は「51」の数字に相応しく、2016年に大ブレイクを果たし、その活躍ぶりを評した「神ってる」という言葉が流行語大賞を受賞するほどに。2019年からは背番号「1」を受け継ぐことになり、2022年からはメジャーに旅立っていきました。現在、「51」は4球団競合の末にドラフト1位指名した小園選手が背負っています。

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背番号「52」

<カープ、背番号52の変遷(選手のみ)>

年代 選手名 成績
1956 玉山 旭憲 1軍出場なし
1957 坂平 竜男 1軍出場なし
1963-1964 藤本 典征 1軍出場なし
1965 青木 勝男 10試合13打数2安打0本塁打0打点 打率.154
1968 吉田 勝彦 1軍出場なし
1969-1974 石川 政雄 34試合40打数7安打0本塁打0打点 打率.175
1975-1977 佐藤 玖光 46試合0勝3敗 防御率4.97
1978 松下 建夫 1軍出場なし
1979-1980 伊藤 嘉彦 1軍出場なし
1981-1984 松林 和雄 38試合43打数7安打2本塁打5打点 打率.163
1985-1993 石橋 文雄 43試合38打数7安打0本塁打0打点 打率.184
1994-2000 玉木 朋孝 120試合98打数22安打0本塁打6打点 打率.224
2000-2006 玉山 健太 7試合1勝0敗 防御率5.49
2007-2008 大須賀 允 34試合27打数5安打1本塁打3打点 打率.185
2009 比嘉 寿光 8試合16打数3安打1本塁打2打点 打率.188
2010-2019 庄司 隼人 12試合14打数1安打0本塁打0打点 打率.050
2020-2021 鈴木 寛人 1軍出場なし
2022- 末包 昇大 現役

 カープの歴代背番号「52」は、なぜか「玉」がつく選手が目立ちますね。大きな背番号だけに、ころころと入れ代わりが激しいのは特徴ですが、その中で「玉」がつく選手だけで、実に合計で15年もつけているのですから。それはたまたまなのでしょうか…「玉」だけに。

 松林選手や石橋選手は、「52」を付けた後に、それぞれ「15」と「9」をつけました。今後への期待も含めて、若い背番号へと変更になったのでしょう。2019年まで「52」をつけていた庄司選手は、この背番号では最長となる10年間にわたってつけていました。そんな「52」ですが、2022年からはドラフト6位で大阪ガスからカープに入団した末包選手がつけることになりました。3年ぶりに野手の手に戻ることになります。末包選手は見るからにパワーがありそうな、カープには珍しい大柄で堂々とした体格の選手。カープ期待の右のスラッガーであり、2年目には11本塁打を放ち、その素質の開花が期待されます。

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背番号「53」

<カープ、背番号53の変遷(選手のみ)>

年代 選手名 成績
1956-1957 福本 卓二 1軍出場なし
1960 斎藤 達雄 98試合117打数18安打2本塁打14打点 打率.154
1962-1965 坪井 猛 3試合0勝0敗0S 防御率7.36
1968-1972 河井 昭司 6試合6打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1973-1974 高橋 里志 309試合61勝61敗4S 防御率4.44
1975-1976 衛藤 雅登 1軍出場なし
1977 石川 政雄 34試合40打数7安打0本塁打0打点 打率.175
1978-1979 川中 圭三 1軍出場なし
1980-1984 井上 卓也 1試合0勝0敗0S 防御率0.00
1985-1989 熊澤 秀浩 1軍出場なし
1990-1002 秋村 謙宏 173試合9勝11敗3S 防御率4.37
1994-1996 福地 和広(寿樹) 526試合2201打数602安打20本塁打165打点 打率.274
1997 横山 竜士 507試合46勝44敗17S 防御率3.42
1998-2011 林 昌樹 276試合7勝10敗1S 防御率4.14
2012-2020 戸田 隆矢 95試合11勝7敗1S 防御率3.94
2021- 小林 樹斗 現役

 背番号「53」は、投手、野手と入り混じっていて、あまり規則性がないように感じられます。しかし、最近では林昌樹投手が実に14年間もの長きに渡って、背番号「53」をつけていたというイメージが強いため、投手の印象が強い番号といえるかもしれません。

 その他で見れば、やはり途中から背番号が変わった選手が多いのが特徴です。福地選手は入団当初は「53」でしたが、後に「44」に変更となりました。また、横山投手は入団当初「66」でしたが、その後「53」をつけ、さらに現在の「23」へと変化しています。やはり大きな数字の背番号だけに、移動が激しいのが特徴です。

 2012年から9年間にわたって背負っていた戸田投手はトミー・ジョン手術によるリハビリのため、育成契約となりました。代わって、2021年からは右の本格派である小林樹斗投手がつけることになりました。高卒ながら1年目から1軍での登板も経験し、さらなる飛躍が期待されます。

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背番号「54」

<カープ、背番号54の変遷(選手のみ)>

年代 選手名 成績
1963-1964 沢野 肇 1軍出場なし
1968-1971 西山 敏明 6試合5打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1975-1983 中尾 明生 740試合369打数82安打7本塁打43打点 打率.222
1984-1988 阿部 慶二 27試合18打数2安打1本塁打2打点 打率.111
1989-1996 千代丸 亮彦 14試合16打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1997-1999 河野 昌人 110試合7勝16敗10S 防御率5.82
2000-2006 苫米地 鉄人 44試合7勝6敗0S 防御率4.76
2010-2011 宮ア 充登 43試合4勝11敗 防御率5.64
2012-2015 武内 久士 11試合0勝1敗0S 防御率5.47
2016-2019 船越 涼太 2試合1打数1安打0本塁打0打点 打率1.00
2020- 韮澤 雄也 現役

 カープの背番号「54」は、かつては野手、現在では投手が中心となっています。特に最近では、宮崎投手は背番号「16」から「54」に、武内投手は背番号「12」から「54」となっており、若い背番号の投手が、なかなか結果が残せずに、背番号変更によって大きな番号になった…そんなケースが続いています。正念場に追い込まれた投手の背番号と言うイメージが定着しつつあります。

 しかし、かつては河野投手が中継ぎとして結果を残し、背番号が「12」に変わったと言うケースもあります。また苫米地投手も高卒1年目から1軍デビューするなどの活躍を見せました。変動が多い背番号、それが「54」のようです。2020年からは前年のドラフト4位・韮澤雄也選手が背負うことになりました。卓越した打撃センスを持つ選手であり、徐々に1軍での出場機会も増え、頭角を現しつつあります。

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背番号「55」

<カープ、背番号55の変遷(選手のみ)>

年代 選手名 成績
1963 原 勇治 1軍出場なし
1964-1965 羽里 功 76試合1勝6敗0S 防御率3.55
1968 片岡一美 1軍出場なし
1969-1974 白石静生 394試合93勝111敗0S 防御率3.81
1976 入江道生 1試合1打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1977-1980 小林一史 1軍出場なし
1981 高木宏彰(真一) 5試合0勝0敗0S 防御率7.71
1982-1983 平川雅敏 1軍出場なし
1984-1987 紀藤真琴 474試合78勝73敗16S 防御率4.07
1988-1989 松林和雄 38試合43打数7安打2本塁打6打点 打率.163
1990 M・ヤング 69試合222打数52安打11本塁打35打点 打率.234
1990-1993 仁平 馨 246試合245打数63安打5本塁打30打点 打率.257
1994-1996 田中由基 41試合4勝6敗0S 防御率6.07
1997-2001 福良 徹 1軍出場なし
2002-2003 筒井正也 1軍出場なし
2004-2012 嶋 重宣 1034試合3116打数868安打126本塁打421打点 打率.279
2012-2018 B・エルドレッド 577試合1918打数496安打133本塁打370打点 打率.259
2019- 松山 竜平 現役

 今ではすっかり「55」は、プロ野球全体で長距離砲のイメージが定着しましたが、カープの歴史を振り返ると、最初に「55」を印象付けたのは白石投手と言うことになるのでしょう。2年連続で2ケタ勝利を挙げた実績もある投手です。

 しかし、最も長く「55」をつけたのは嶋選手。実に9年間にわたって、この背番号をつけました。入団当初は「34」をつけ、野手転向後に「00」。でも、本人は「00」には違和感があったといいます。そして「55」に変更した2004年、嶋選手は「赤ゴジラ」の異名を取り、首位打者にも輝きました。

 その後、2012年からはカープ史上最長在籍年数、今まで、カープに在籍して多くの外国人選手の、誰1人として経験のない7年目のシーズンを迎える外国人選手となったエルドレッド選手がつけ、2019年からはそんなエルドレッド選手を尊敬していた松山選手がつけることになりました。今でも左の代打の切り札としても、困ったときの4番としても活躍を続けています。

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背番号「56」

<カープ、背番号56の変遷(選手のみ)>

年代 選手名 成績
1963 桜井忠之 1軍出場なし
1964 天本 光 1試合1打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1969 有田哲三 17試合1勝0敗0S 防御率5.88
1970-1971 滝浪隆雄 1軍出場なし
1972-1973 山形和幸 1軍出場なし
1976 石淵国博 1軍出場なし
1977 内田照文 5試合0勝0敗0S 防御率15.88
1978-1981 佐々木伸 1軍出場なし
1982 高木宣宏 97試合16勝18敗0S 防御率3.85
1983-1986 田中健二 3試合0勝0敗0S 防御率4.50
1989-1992 森重泰浩 1軍出場なし
1994-1997 井上浩司 2試合2打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1998-2000 青木智史 1軍出場なし
2001-2005 田村彰啓 1軍出場なし
2006 飯田宏行 1軍出場なし
2007-2010 中谷 翼 4試合7打数1安打0本塁打1打点 打率.143
2011-2015 中ア翔太 現役
2016-2018 辻 空 1軍出場なし
2019-2022 中神拓都 1軍出場なし
2023- 久保 修 1軍出場なし

 カープの過去の背番号「56」を見ていると、「1軍出場なし」という言葉が非常に目立つような印象を受けます。プロ野球選手を夢にて入団しながら、1軍で出場することなく、そのままプロの世界を去ってしまった選手が多いこと。この番号はそんな運命にあるのかもしれません。

 2011年から5年間は背番号「56」は中崎投手が背負っていました。しかし、守護神としてチームに欠かせない戦力となった中崎投手は2016年から背番号は「21」へ昇格しました。そして、2023年からはこの年のルーキー・久保選手がつけることになりました。走攻守3拍子揃った右打者である久保選手…背番号「56」の選手の1軍出場は2015年の中崎投手が最後…それだけに、久保選手にはカープの1軍では久々となる「56」の姿を見せてほしいものです。

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背番号「57」

<カープ、背番号57の変遷(選手のみ)>

年代 選手名 成績
1963 天本 光 1試合0打数0安打0本塁打0打点 打率-
1969-1972 鳥谷 元 1軍出場なし
1973-1974 木本茂美 15試合20打数3安打1本塁打2打点 打率.150
1976-1977 稲生高善 1軍出場なし
1978-1979 大野 豊 707試合148勝100敗138S 防御率2.90
1980-1987 森 厚三 78試合5勝2敗4S 防御率4.24
1988-1991 北原喜久男 1軍出場なし
1992 片平哲也 28試合44打数15安打1本塁打11打点 打率.341
1993-1995 L・メディーナ 144試合496打数130安打18本塁打82打点 打率.262
1997 上田好剛 1軍出場なし
1998-2000 岩崎智史 1軍出場なし
2001-2008 甲斐雅人 13試合26打数3安打0本塁打0打点 打率.115
2009 S・シーボル 150試合527打数19安打19本塁打64打点 打率.258
2010-2011 川口盛外 1軍出場なし
2012-2014 K・ミコライオ 214試合11勝11敗73S 防御率2.42
2015 N・シアーホルツ 65試合232打数58安打10本塁打30打点 打率.250
2016-2018 仲尾次オスカル 25試合2勝0敗0S 防御率6.29
2019-2022 田中法彦 2試合0勝0敗0S 防御率0.00
2023- 持丸泰輝 現役

 背番号「57」…あの「24」のイメージが強い大野投手が、ルーキーイヤーから2年間に渡りつけていた背番号でもあります。その後、どちらかといえば助っ人がよく身に付ける背番号、そんなイメージが強いのではないでしょうか。メディーナ選手、シーボル選手、そしてミコライオ投手、シアーホルツ選手…世代は違えど、まずまずの活躍を見せています。

 もっとも長く「57」をつけていたのが森投手と甲斐選手。甲斐選手に関しては、右の長距離砲としての期待も高かったのですが、故障も多く、持ち味を発揮できないのが残念でした。大野投手以来、「57」からスタートする大物選手…現れないのでしょうか。そんな期待を込めて、2019年からはこの番号を、スカウト絶賛の田中法彦投手がつけることになり、2年目にはファームセーブ王となりましたが、残念ながら4年で退団。2023年からは背番号「95」から出世を遂げた持丸泰輝選手が付けることになりました。

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背番号「58」

<カープ、背番号58の変遷(選手のみ)>

年代 選手名 成績
1963 城野勝博 83試合4勝12敗0S 防御率3.76
1969-1970 山口喜司 1軍出場なし
1972-1974 内田照文 5試合0勝0敗0S 防御率15.88
1976-1977 長島吉邦 9試合0勝1敗0S 防御率4.00
1978-1982 沢幡誠士 1軍出場なし
1983-1984 伊藤博之 1軍出場なし
1985-1990 中村基昭 1軍出場なし
1991-1997 松本 隆 9試合6打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1998-1999 橋本 啓 1軍出場なし
2000-2002 長崎 元 1軍出場なし
2003 兵動秀治 46試合37打数4安打0本塁打2打点 打率.108
2004 M・ワトソン 19試合0勝2敗0S 防御率3.74
2005-2010 小島紳二郎 11試合0勝2敗0S 防御率6.25
2011-2012 D・サファテ 427試合27勝234S 防御率1.55
2013 M・ソコロビッチ 11試合0勝2敗0S 防御率0.79
2014 Z・フィリップス 9試合1勝0敗0S 防御率3.27
2015 M・ザガースキー 51試合3勝1敗0S 防御率4.15
2016-2018 J・ジャクソン 175試合10勝8敗2S 防御率2.10
2019 K・レグナルト 52試合6勝3敗0S 防御率3.34
2020 DJ・ジョンソン 30試合1勝0敗0S 防御率3.81
2020-2023 藤井 黎來 現役
2024- 仲田 侑仁 現役

 背番号「58」の歴史を振り返ってみると、大変申し訳ないのですが、あまり1軍で大成した選手が少ないという印象があります。最近では兵動選手が「58」をつけていましたが、彼自身、当初は「4」をつけており、なかなか結果が残せない状況の中で、「58」という大きな数字へと変わりました。

 そんな「58」ですが、最近は助っ人専用の番号になったような感じすらあります。2004年に途中加入したワトソン投手が「58」の最初の助っ人ではありましたが、2011年からはカープの守護神を務めたサファテ投手がつけ、カープの歴史では初めて1軍に定着した「58」番といえるでしょう。その後、カープにとって「58」は、外国人投手の背番号というイメージがすっかり定着しました。その中でジャクソン投手は25年ぶりの優勝にも大きく貢献するなど、在籍3年間はすべてチームの優勝に絡む活躍を見せました。

 そして2019年からは左腕のレグナルト投手が、2020年からはDJジョンソン投手が背負いましたが、DJジョンソン投手はシーズン途中に東北楽天へ金銭トレードで移籍したため、代わって、育成選手から支配下登録された藤井黎來投手がつけてました、実に10年ぶりのことです。2024年からは、藤井投手が育成契約になったことで、この番号をこの年のルーキー・仲田侑仁選手が付けることになりました。背番号「58」を野手が付けるのは、2003年の兵動選手以来、実に21年ぶりで、右の長距離砲として期待されまる。

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背番号「59」

<カープ、背番号59の変遷(選手のみ)>

年代 選手名 成績
1972 T・ゴンザレス 31試合74打数22安打0本塁打4打点 打率.297
1973-1974 木山英求 10試合3打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1976 西本充志(明和) 152試合249打数45安打3本塁打20打点 打率.181
1977 根建 忍 1軍出場なし
1978-1979 菊地敏郎 1軍出場なし
1980-1988 滝口光則 3試合0勝0敗0S 防御率12.00
1989-1991 松本和弘 1軍出場なし
1992-1995 伊藤 真 1試合0勝0敗0S 防御率0.00
1997-1999 ペルドモ 71試合63打数10安打1本塁打4打点 打率.159
47試合3勝4敗0S 防御率4.25
2000-2001 佐藤裕幸 37試合26打数2安打0本塁打1打点 打率.077
2002-2012 山本芳彦 79試合107打数27安打0本塁打4打点 打率.252
2013-2018 美間優槻 46試合61打数7安打1本塁打2打点 打率.115
2018 曽根海成 現役
2019 菊池保則 212試合16勝19敗1S 防御率3.88
2020- 大盛 穂 現役

 背番号「59」…やはりかなり大きな背番号であるだけに、なかなか1軍で主力選手となった選手が少ないようです。主に、投手よりも野手のイメージが強い番号ですが、カープから近鉄、巨人、そしてまたカープに復帰した佐藤選手は2軍ではべらぼうに打っていたにもかかわらず、1軍ではわずか2安打に終わってしまいました。また、一番長い期間「59」をつけていた山本芳選手ですが、あわやホームランという当たりは放ったのですが、今ひとつ花が開きませんでした。

 そして2013年からは「59」の持ち主が12年ぶりに変わりました。ドラフト5位ではありますが、打撃に自信の美間選手。2018年のシーズンでは開幕1軍入りを果たし、1軍での機会を増やしてきた矢先に福岡ソフトバンクへトレード。入れ替わりでカープに入団した曽根選手がつけ、そして2019年からは同じくトレードで東北楽天から獲得した菊池保則投手が背負うことになりました。このところ入れ代わりが激しい番号で、2020年からは育成から支配下登録された大盛選手がつけることに。カープでの「育成の星」として活躍が期待されます。

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背番号「60」

<カープ、背番号60の変遷(選手のみ)>

年代 選手名 成績
1977 大野 豊 707試合148勝100敗138S 防御率2.90
1978 稲生 高善 1軍出場なし
1979〜1982 今井 譲二 263試合27打数5安打0本塁打4打点 打率.185
1984〜1985 石本 龍臣 1軍出場なし
1986〜1988 北崎 純一 1軍出場なし
1990〜1992 山口 晋 1軍出場なし
1993〜1994 多田 昌弘 1軍出場なし
1995〜2002 田村 恵 62試合80打数16安打0本塁打1打点 打率.200
2003〜2004 西川 慎一 202試合4勝5敗0S 防御率3.91
2006〜2007 斉藤 悠葵 66試合19勝23敗0S 防御率4.46
2008〜2017 安部 友裕 700試合1680打数443安打25本塁打160打点 打率.264
2018〜2021 永井 敦士 1軍出場なし
2022〜 田村 俊介 現役

 背番号「24」のイメージの強い大野豊投手は2年目のシーズンに「57」から「60」に変更になったことがありました。わずか1年の間だけに、もしご存知の方…かなりのカープ通ですね。そして意外にも、カープの選手で「60」のユニフォームに初めて袖を通したのが大野投手だったんですね。

 その後、もっとも長く「60」をつけたのは、入団投手から10年にわたってつけた安部選手。2018年、今までの活躍と成長が認められ、ついに背番号「6」へと一躍、ステップアップしました。これで、斎藤悠葵投手に続いて、2代連続で、背番号「60」はステップアップの背番号となりました。2022年からはこの年のドラフト4位ルーキー・田村選手がつけることになりました。高校時代は二刀流で注目された田村選手は、プロでは野手一本勝負。鋭いスイングと高いバッティングセンスが持ち味で、将来のクリーンアップ候補として期待されます。

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