背番号ヒストリー(21〜25番)

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背番号「21」

<カープ、背番号21の変遷>

年代 選手名 成績
1950 林 次郎 1試合0勝1敗 防御率20.25
1953 小塚弘司 2試合0勝1敗 防御率31.50
1954-1962 米山光男 586試合1332打数270安打8本塁打74打点 打率.203
1963-1970 竜 憲一 426試合60勝68敗 防御率3.51
1971-1976
1981-1982
佐伯和司 302試合88勝100敗2S 防御率3.62
1977-1980 土居正史 93試合5勝6敗1S 防御率4.91
1983-1987 田中和博 3試合0勝0敗0S 防御率4.50
1988-1993 川島 堅 18試合1勝4敗0S 防御率4.83
1994-1997 山根雅仁 8試合0勝1敗0S 防御率6.14
1998-2001 遠藤竜志 30試合2勝2敗0S 防御率5.04
2002-2004 鶴田 泰 125試合21勝31敗2S 防御率4.17
2005 小林幹英 238試合22勝29敗48S 防御率3.90
2006-2007 ダグラス 26試合11勝8敗0S 防御率3.40
2008-2013 齊藤悠葵 66試合19勝23敗1S 防御率4.46
2014-2015 篠田純平 99試合20勝26敗0S 防御率4.70
2016 中崎翔太 現役

<他球団の主な背番号21>

選手名 球団
野村弘樹 横浜
今井雄太郎 阪急
野田浩司 オリックス
東尾 修 太平洋、西武など
杉浦 忠 南海
西崎幸広 日本ハム
加藤 初 巨人

 背番号「21」・・・カープの過去の歴史を見ていくと、期待の高校生投手に与えているという印象があります。かつてのドラ1である川島投手や山根投手、そして齊藤投手。また、高校生ではありませんが、遠藤投手も逆指名でのカープ入団となった投手です。しかし、最近では目立った活躍をした選手が少ないのが現状となっていました。そのイメージを変えたのが2016年から「21」をつけた中崎投手。チームの守護神として、25年ぶりの優勝の胴上げ投手になる活躍を見せました。それから3年連続で胴上げ投手となった中崎投手。それ以降、なかなか本調子が戻ってこない状況が続いていましたが、長い低迷の末、復活の兆しも見せ始めています。カープの背番号「21」に新しい歴史を築き、今や「21」といえば「中崎投手」のイメージは定着しました。

 プロ全体で見ると、やはり目立つのは200勝投手の西武・東尾投手でしょう。カープも日本シリーズでは苦い思いをした・・・そんな印象があります。また、完全試合を達成した今井雄太郎投手に、プロ野球では1試合最多の奪三振記録19を持っている野田投手ら、パリーグに名投手が多いという感じでしょうか。

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背番号「22」

<カープ、背番号22の変遷>

年代 選手名 成績
1950-1951 石川 清逸 64試合1勝14敗 防御率5.87
1952 塚本 博睦 87試合2824打数712安打17本塁打219打点 打率.252
1953-1958 川本 徳三 160試合19勝36敗 防御率4.16
1959 永井 康雄 1軍出場なし
1960-1966 大石 清 222試合21勝18敗3S 防御率3.44
1967-1973 宮本 洋二郎 93試合5勝6敗1S 防御率4.91
1974-1982 水沼 四郎 1333試合3064打数706安打41本塁打273打点 打率.230
1983-1986 堀場 秀孝 173試合241打数59安打6本塁打35打点 打率.245
1987-1993 足立 亘 38試合4勝11敗2S 防御率4.13
1994 加藤 哲郎 151試合17勝12敗6S 防御率4.60
1995-2008
2010
高橋 建 459試合70勝92敗5S 防御率4.33
2009 フィリップス 74試合264打数70安打15本塁打50打点 打率.265
2011-2017 中村 恭平 97試合2勝11敗0S 防御率4.23
2018-2023 中村 奨成 現役
2024- 高 太一 現役

<他球団の主な背番号22>

選手名 球団
田村 藤夫 日本ハム
里崎 智也 ロッテ
小林 宏 オリックス
佐々木 主浩 大洋、横浜
高津 臣吾 ヤクルト
田淵 幸一 阪神
木戸 克彦 阪神

 カープの歴史上で印象深い「22」といえば、カープが初優勝を達成したときの捕手である水沼選手、そして、やはり長年にわたり中継ぎに先発にとフル回転し、1年間だけではありますが大リーグのマウンドにも上がった「建さん」こと高橋建投手でしょう。

 そして2017年、中村恭平投手がつけていた「22」は、その年にドラフト1位指名をした中村奨成選手がつけることになりました。「22」は投手のイメージが強いのですが、先述の通り、カープにはかつて水沼選手という名捕手がつけていた番号。それを引き継いだ堀場選手以来、32年ぶりに捕手の手に「22」が渡ることになりました。しかし、中村奨選手は伸び悩み、2024年からはドラフト2位ルーキーの左腕・高太一投手が付けることになりました。中村恭平投手以来、7年ぶりに左腕投手の背番号となります。

 プロ野球全体で見れば、佐々木投手や高津投手といった日本球界を代表するストッパーが名を連ねていますが、その一方で田淵選手や田村選手ら、やはり捕手にも多い背番号のようです。そう考えると、カープの水沼選手も捕手、そして中村奨選手に引き継がれ・・・背番号「22」は捕手の番号とも言えるのかもしれませんね。

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背番号「23」

<カープ、背番号23の変遷>

年代 選手名 成績
1950 坂井 豊司 228試合779打数167安打2本塁打62打点 打率.214
1950 黒木 宗行 24試合55打数12安打2本塁打7打点 打率.218
1951 箱田 義勝 2試合0勝0敗0S 防御率12.00
1952 野崎 泰一 186試合32勝56敗 防御率3.99
1953 銭村 健三 10試合8打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1954-1958 松山 f 144試合31勝44敗 防御率3.80
1959-1961 西原 恭治 70試合3勝7敗 防御率3.35
1962-1969 漆畑 勝久 430試合808打数166安打16本塁打67打点 打率.207
1970-1974 上垣内 誠 667試合1429打数328安打24本塁打108打点 打率.233
1975 児玉 好弘 139試合22勝13敗 防御率4.22
1976 柴田 猛 209試合209打数45安打1本塁打24打点 打率.215
1977-1982 山崎 隆造 1531試合4946打数1404安打88本塁打477打点 打率.284
1983 大原 徹也 291試合419打数79安打8本塁打23打点 打率.189
1984-1986 森脇 浩司 843試合1095打数244安打14本塁打75打点 打率.223
1988-1993 植田 幸弘 378試合571打数102安打16本塁打55打点 打率.179
1994-1996 上田 好剛 1軍登板なし
1998-2014 横山 竜士 507試合46勝44敗17S 防御率3.42
2015-2023 薮田 和樹 123試合23勝11敗0S 防御率3.94

<他球団の主な背番号23>

選手名 球団
大塚 明 ロッテ
村松 有人 ダイエー
大塚 光二 西武
小川 博文 オリックス
ローズ 横浜
木俣 達彦 中日
川又 米利 中日
吉田 義男(永久欠番) 阪神

 カープの「23」番。チーム創世記の頃は、毎年どころか、1年の中でも入れ替わったりする流動的な背番号でもありました。なんせ、最初の4年間で5人の選手がつけていたのですから。その後も、10年以上、この背番号をつけていた選手は現れなかったのですが、現在、横山投手が1998年から17年にわたって「23」を守り続けてきました。すっかり横山投手色に染まった「23」ですが、横山投手の引退後は、2015年から、同じくアマチュア時代は故障と戦いながらも、剛速球とフォークが武器の薮田投手が背負うことになりました。2017年には15勝を挙げ、急成長を遂げたものの、その後は長く低迷が続き、2023年限りでチームを去ることに…。その後、2年間は空席状態となっています。

 プロ野球全体で見ると、この「23」という番号が永久欠番になっているのは阪神のみ。選手としても、そして監督しても実績を残した吉田義男さんがつけていた番号となっています。その他で見ると、いぶし銀の選手が多いかなという印象ですね。

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背番号「24」

<カープ、背番号24の変遷>

年代 選手名 成績
1950 箱田 義勝 2試合0勝0敗0S 防御率12.00
1950 梅田 正巳 2試合0勝0敗0S 防御率3.18
1951-1957 磯田 憲一 502試合1210打数268安打2本塁打76打点 打率.221
1958-1960 原田 新吉 368試合699打数137安打8本塁打54打点 打率.196
1961-1963 山本 兵吾 24試合0勝1敗0S 防御率4.02
1964-1966 三浦 和美 24試合32打数4安打0本塁打1打点 打率.125
1967-1972 久保 祥次 709試合1266打数257安打22本塁打94打点 打率.203
1973-1974 J・ヒックス 183試合542打数134安打33本塁打89打点 打率.247
1975-1979 渡辺 弘基 249試合8勝9敗7S 防御率3.51
1980-1998 大野 豊 707試合148勝100敗138S 防御率2.90
2000-2009
2012-2015
河内 貴哉 161試合16勝28敗0S 防御率5.06
2010 E・スタルツ 21試合6勝10敗0S 防御率5.07
2016-2019 横山 弘樹 6試合2勝2敗0S 防御率5.47
2022- 黒原 拓未 下根来

<他球団の主な背番号24>

選手名 球団
稲尾 和久 西鉄
桧山 進次郎 阪神
中畑 清 巨人
遠藤 一彦 大洋
岡本 伊三美 南海

 カープの「24」といえば、もはや1980年に大野豊投手がつけるようになってからは、左腕エースというイメージがすっかり定着しました。現に、それまでの背番号「24」は野手ともつかず、投手とも付かない背番号でしたが、1975年以降はすべて投手の背番号となっています。それどころか、背番号「24」に返り咲いた河内投手も左腕。その後、右腕の横山投手がつけた時期もありましたが、2022年からは3年ぶりに「24」が復活するとともに、左腕ルーキー・黒原拓未投手がつけることになりました。左腕が「24」を付けるのは実に12年ぶりであり、3年目の2024年に中継ぎとして一気に台頭してきました。速球でねじ込める貴重な左腕です。

 球界全体で見ると、やはり投手のものともいえず、かといって野手のものともいえない番号となっています。しかし、埼玉西武はかつての「神様、仏様、稲尾様」とまで言われた稲尾投手がつけていた背番号「24」を永久欠番としました。球界では初めてとなる「24」の永久欠番です。

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背番号「25」

<カープ、背番号25の変遷>

年代 選手名 成績
1950 長谷部 稔 64試合80打数13安打0本塁打3打点 打率.163
1950〜51 市田 夏生 13試合 1勝2敗 防御率8.56
1952 松山 昇 144試合 31勝44敗 防御率3.80
1953〜1954 銭村 健四 375試合1339打数319安打11本塁打91打点 打率.237
1955 門田 良三 1試合2打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1955〜1957 片田 謙二 31試合 3勝7敗 防御率3.57
1958 棟居 進 53試合68打数16安打0本塁打6打点 打率.235
1959 神垣 雅詔 8試合 3勝7敗 防御率3.97
1960〜1967 阿南 潤一(準郎) 1415試合3426打数746安打34本塁打254打点 打率.218
1968〜1971 井上 弘昭 1531試合4081打数1058安打155本塁打517打点 打率.259
1973 西本 明和 152試合249打数45安打3本塁打20打点 打率.181
1974〜1987 木下 富雄 1364試合2430打数583安打48本塁打221打点 打率.240
1988 定岡 徹久 44試合28打数3安打0本塁打2打点 打率.107
1989〜1990 益田 尚哉 2試合0打数0安打0本塁打0打点 打率-
1991〜1995 山田 和利 366試合865打数227安打22本塁打102打点 打率.262
1996〜1998 高山 健一 91試合5161打数34安打2本塁打10打点 打率.211
1999〜2007
2016-2018
新井 貴浩 2383試合7934打数2203安打319本塁打1303打点 打率.278
2008 シーボル 150試合527打数136安打19本塁打64打点 打率.258
2009-2012 石井 琢朗 2412試合8635打数2432安打102本塁打670打点 打率.282
2013-2015 高橋 大樹 49試合79打数20安打1本塁打3打点 打率.253

<他球団の主な背番号25>

選手名 球団
新井 潔 中日
畠山 準 横浜
山本 和行 阪神
小川 皓市(浩一) 日本ハム
山内 和宏 南海
平沼 定晴 ロッテ
高井 保弘 阪急

 背番号「25」といえば、カープでは投手よりも野手に多い背番号といえるでしょう。その中でも過去を紐解くと目立つのが、ヒゲがトレードマークだった木下選手ではないでしょうか。2軍でも監督を務め、現在は広島市内で焼き鳥屋も経営しているそうです。大リーグまで見渡してみると、1シーズン70本塁打を放ったマーク・マグワイヤ選手(米大リーグ・カージナルス)が背番号「25」をつけていただけに、右の長距離砲のイメージのある番号といえるかもしれませんね。

 カープの背番号「25」といえば、過去にも木下富雄さんや石井琢朗さんなど、様々な名選手がつけてきましたが、何といっても、1999年から9年間、そして2016年から3年間と2期にわたって背負った新井貴浩さんでしょう。ドラフト6位でカープに入団し、2000本安打も達成し、2016年には4番打者として、そしてベテランとしてチームを引っ張り、リーグ優勝に導きました。年齢を問わず、誰からも「新井さん」と呼ばれた、ファンに愛された名選手でした。

 引退後は空席になっていた背番号「25」ですが、なんと2023年からは監督としてチームに復帰した「新井さん」が、引き続き、この番号を背負っています。監督1年目から、チームを5年ぶりのAクラス、2位に導き、2年目も9月に歴史的な大失速はりましたが、それまでは首位に立っていました。うまく世代交代を進め、名将となれば、「25」の永久欠番化もあるかもしれません。

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