背番号ヒストリー(1〜5番)

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背番号「1」

<カープ、背番号1の変遷>

年代 選手名 成績
1950〜1953 白石勝巳 1651試合6151打数1574安打84本塁打571打点 打率.256
1953 野崎泰一 186試合32勝56敗 防御率3.99
1954〜1958 金山次郎 1366試合5265打数1281安打45本塁打338打点 打率.243
1959〜1969 古葉毅(竹識) 1501試合5427打数1369安打44本塁打334打点 打率.252
1970〜1974 渋谷通 305試合523打数122安打14本塁打49打点 打率.233
1975〜1978 大下剛史 1310試合4742打数1233安打50本塁打322打点 打率.260
1979〜1982 大久保美智男 6試合0勝0敗0S 防御率3.60
1983〜1993 山崎隆造 1531試合4946打数1404安打88本塁打477打点 打率.284
1994〜2013 前田智徳 2188試合7008打数2119安打295本塁打1112打点 打率.302
2019〜2021 鈴木誠也 902試合2976打数937安打182本塁打562打点 打率.315
(★メジャー移籍のため、現役)

<他球団の主な背番号1>

選手名 球団
王貞治 巨人(永久欠番)
高木守道 中日
若松勉 ヤクルト
山下大輔 大洋
秋山幸二 西武、福岡ダイエー
SHINJO 阪神、北海道日本ハム
愛甲猛 ロッテ
福良淳一 阪急、オリックス
鈴木啓示 近鉄(永久欠番)

 高校野球に限らず、草野球や少年野球では、背番号「1」といえば、ピッチャーのポジションナンバーというイメージがありますが、プロ野球では野手の主力選手が付ける番号という印象がありますね。実際に広島でも9人中7人が野手となっています。そしてその顔ぶれも広島を代表するメンバーですね。古葉前監督をはじめ、山崎現2軍コーチ、そして侍・前田選手。大物選手がずらりと並んでいますが、やはり前田選手…その卓越した打撃センスとともに、しっかりと自分の仕事を、静かに成し遂げるその姿。そして、2013年、ついに引退…。

 しばらく休ませてあげてほしい…そんな前田選手の意向もあり、しばらく空席が続いていた背番号「1」は、2019年、もはやこの選手以外に適任はいないだろうという、若き4番・鈴木誠也選手に受け継がれることになりました。実に6年ぶり、背番号「1」が復活しました。そして、いきなりの首位打者&最高出塁率のタイトルを獲得。その後もチームの中心選手として、打線の軸を担い、「1」という番号はすっかり誠也カラーに染まったのですが、2021年オフ、ポスティングシステム利用によるメジャー移籍を表明し、シカゴ・カブスへの入団が決まりました。鈴木選手の「1」はわずか3年間…再び空席となっており、その数字を受け継ぐ候補はまだ見当たらないのが現状です。

 一方、プロ全体でも王・福岡ソフトバンク監督が巨人の永久欠番となっていることは有名ですが、近鉄が存在していた時代は鈴木啓示投手が永久欠番となっていました。上記の選手以外にもプロ野球を代表する選手が名を連ねている・・・それが背番号「1」の特徴だといえるでしょう。背番号「1」に名選手あり、といった感じですね。

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背番号「2」

<カープ、背番号2の変遷>

年代 選手名 成績
1950〜1951 坂田清春 318試合949打数227安打3本塁打85打点 打率.239
1952〜1954 藤原鉄之助 852試合2432打数534安打7本塁打212打点 打率.220
1955〜1957 小谷信雄 101試合198打数38安打2本塁打12打点 打率.192
1958 新田幸男 出場なし
1959 山口慶一 146試合191打数35安打2本塁打17打点 打率.183
1960〜1974 宮川孝雄 889試合968打数267安打11本塁打149打点 打率.276
1975〜1977 苑田聡彦 814試合1711打数403安打23本塁打115打点 打率.236
1978〜1989 高橋慶彦 1722試合6510打数1826安打163本塁打604打点 打率.280
1991〜1995 瀬戸輝信 537試合1125打数274安打10本塁打91打点 打率.244
1996〜1997 ロペス 709試合2624打数795安打129本塁打510打点 打率.303
1999 ディアス 430試合1448打数404安打65本塁打220打点 打率.279
2000〜2015 東出輝裕 1492試合5094打数1366安打12本塁打262打点 打率.268
2016〜 田中広輔 現役

<他球団の主な背番号2>

選手名 球団
荒木雅博 中日
飯田哲也 ヤクルト
波留敏夫 大洋・横浜
元木大介 巨人
平尾博司(博嗣) 阪神
城島健司 福岡ダイエー(ソフトバンク)
山崎裕之 西武・ロッテ
小笠原道大 日本ハム
栗橋茂 近鉄

 背番号「2」といえば、高校野球や少年野球では捕手のポジションナンバーでもあります。そんなイメージもあってか、カープで背番号「2」をつけた選手の中には、瀬戸選手をはじめ、チーム創成期には捕手が多かったようです。

 しかし、それ以降は内野手が主につける場合が多く、記憶に残る選手としては長きに渡って広島の遊撃手を務め、広島の4度の優勝にも貢献した高橋慶彦選手や、現役時代は代打の切り札として、そして引退後は前田選手や緒方選手、北別府投手ら主力選手を発掘した敏腕スカウトとして活躍している宮川孝雄選手(現、村上孝雄氏)がいます。特に宮川選手は15年にわたって背番号「2」をつけていました。

 2000年からは16年にわたって背番号「2」をつけてきた東出選手。宮川選手に並ぶ背番号「2」の長期政権でしたが、惜しくも2015年に現役引退となりました。そして2016年からは田中広輔選手が背番号「2」を引き継ぎ、その1年目はリードオフマンとして、打線を活気付け、チーム優勝へ大きく貢献し、2017年には盗塁王やベストナインを獲得。さらにリーグ3連覇にも貢献し、「2」は田中広輔選手のイメージが定着しました。ただ、リーグ3連覇以降、長きにわたる不振に苦しんでいましたが、2023年には復活を兆しを見せた田中選手…まだまだ背番号「2」で活躍する姿を見せてくれそうです。

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背番号「3」

<カープ、背番号3の変遷>

年代 選手名 成績
1950〜1951 辻井弘 909試合3191打数837安打29本塁打321打点 打率.262
1952〜1954 大沢伸夫 1461試合5316打数1439安打46本塁打669打点 打率.271
1955〜1964 平山智 996試合3102打数711安打45本塁打251打点 打率.229
1965〜1969 寺岡孝 332試合656打数138安打18本塁打73打点 打率.210
1970〜1972 早瀬方禧 753試合1834打数454安打49本塁打209打点 打率.248
1970〜1972 マクガイア 207試合728打数193安打11本塁打68打点 打率.265
1975〜1987 衣笠祥雄 2677試合9404打数2543安打504本塁打1448打点 打率.270

<他球団の主な背番号3>

選手名 球団
長嶋茂雄 巨人
立浪和義 中日
高木豊 大洋・横浜
ラミレス ヤクルト
八木裕 阪神
松中信彦 福岡ダイエー(ソフトバンク)
マルカーノ 阪急(オリックス)
羽田耕一 近鉄
白井一幸 日本ハム
榎本喜八 ロッテ

 広島で背番号「3」といえば、やはり衣笠選手でしょう。山本浩二さんのつけていた背番号「8」とともに、広島に3つある永久欠番の一つとなっています。衣笠選手といえば「鉄人」の別称があるように、1970年10月19日から引退した1987年10月22日まで続いた、当時は世界記録だった2215連続試合出場を果たし、プロ野球界では現在、王貞治さん(現・ソフトバンク監督)とともに2人しかいない国民栄誉賞受賞者です。その他にも日系2世で入団した「フィーバー平山」こと平山智選手や戦前戦後の1リーグ時代から活躍し、広島で3年間の現役生活を過ごした大沢伸夫さんなど、名だたる選手が背番号「3」をつけました。

 またプロ野球界で見ても、一線級の選手が多いこの背番号は、長嶋茂雄さんが巨人の永久欠番になっているのを筆頭に、チームの主力選手やリーダー格の選手がつけることが多いようですね。

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背番号「4」

<カープ、背番号4の変遷>

年代 選手名 成績
1950 山口政信 512試合1660打数402安打11本塁打206打点 打率.242
1953 菊池博仁 1試合0打数0安打0本塁打0打点 打率-
1954 杉浦竜太郎 登板なし
1955 三村勇夫 901試合3008打数712安打61本塁打306打点 打率.237
1956 小野 拓 出場なし
1957 藤村隆男 出場なし
1958〜1965 小坂佳隆 764試合2482打数593安打25本塁打208打点 打率.2369
1966〜1969 佐野真樹夫 162試合306打数59安打3本塁打17打点 打率.193
1970〜1982 水谷実雄 1729試合5349打数1522安打244本塁打809打点 打率.285
1983〜1984 アイルランド 204試合642打数161安打18本塁打67打点 打率.275
1985〜1998 正田耕三 1565試合5392打数1546安打44本塁打391打点 打率.287
1999〜2002 兵動秀治 46試合37打数4安打0本塁打2打点 打率.108
2003〜2004 シーツ 682試合2694打数778安打95本塁打374打点 打率.289
2005〜2009 尾形佳紀 147試合477打数127安打12本塁打42打点 打率.266
2010〜2020 小窪哲也 705試合1484打数385安打18本塁打153打点 打率.259
2025〜 矢野雅哉 現役

<他球団の主な背番号4>

選手名 球団
黒沢俊夫 巨人(永久欠番)
川藤幸三 阪神
笘篠誠治 西武
五十嵐信一 日本ハム
ディアズ ロッテ
高須洋介 楽天
マルカーノ 阪急
大石大二郎 近鉄

 背番号「4」といえば、やはりいぶし銀というイメージがあります。そしてカープの背番号「4」といえば・・・というと、やはり、そのご意見も水谷選手という方もいれば、正田選手という方もいるでしょうし、年代によって変わるでしょう。しかし、共通して言えるのは、やはりいぶし銀であるということです。

 2010年からは小窪選手が背番号4を継承しましたが、やはり右打ちを得意とするいぶし銀のイメージがあります。2016年以降、そのしぶとさが打席で感じされないのは寂しいものの、2016年から2年間は選手会長としてチームの連覇に貢献しました。しかし、2020年のオフ、コーチへの転身を打診されながら、現役にこだわり、自ら自由契約の道を選び、チームを去り、一時は独立リーグやロッテでプレーしましたが、2022年からコーチとしてカープに復帰しています。その後、4年間にわたって、空席が続いていましたが、2025年からは、前年、ショートでゴールデングラブ賞を受賞する活躍を見せた矢野雅哉選手が、背番号を「61」から「4」に変更することになりました。卓越した守備力を誇るいぶし銀…背番号「4」が似合う選手になることでしょう。

 他球団を見ると、巨人の背番号4が永久欠番ではありますが、その他でも前オリックス監督の大石選手が近鉄時代につけていた背番号が4。やはり4にはいぶし銀が良く似合うように思います。高校野球ではセカンドがつけるこの番号。セカンドは小回りが利いて守備が上手い・・・やっぱりいぶし銀のイメージなんでしょうか。

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背番号「5」

<カープ、背番号5の変遷>

年代 選手名 成績
1950 田中成豪 533試合1665打数410安打12本塁打149打点 打率.246
1951 井上嘉弘 82試合189打数31安打2本塁打14打点 打率.150
1952 斎藤宗美 出場なし
1953 木村 勉 1219試合4233打数1118安打9本塁打332打点 打率.264
1954 宮崎仁郎 1601試合1964打数488安打17本塁打173打点 打率.248
1955〜1969 藤井 弘 1504試合4343打数1035安打177本塁打603打点 打率.238
1970〜1974 国貞泰汎 1252試合3743打数977安打57本塁打347打点 打率.261
1975〜1976 シェーン 239試合791打数233安打33本塁打118打点 打率.295
1977〜1979 ギャレット 384試合1302打数338安打102本塁打247打点 打率.260
1980 デュプリー 127試合459打数122安打10本塁打40打点 打率.266
1981〜1982 ガードナー 218試合716打数195安打30本塁打105打点 打率.272
1983〜1987 定岡徹久 44試合28打数3安打0本塁打2打点 打率.107
1988 ジョンソン 142試合360打数110安打9本塁打38打点 打率.306
1989 高代延博 917試合3011打数772安打57本塁打346打点 打率.256
1990 水上善雄 1546試合4145打数1011安打105本塁打450打点 打率.244
1991 バークレオ 225試合656打数157安打55本塁打211打点 打率.239
1992〜2004 町田公二郎 955試合1946打数489安打85本塁打272打点 打率.251
2005〜2015 栗原健太 1026試合3695打数1082安打153本塁打586打点 打率.293
2016 H・ルナ 413試合1535打数474安打39本塁打218打点 打率.309
2017 R・ペーニャ 22試合37打数8安打9本塁打2打点 打率.216
2019〜2022 長野久義 現役
2023 西川龍馬 現役
2025〜 小園海斗 現役

<他球団の主な背番号5>

選手名 球団
弓岡敬二郎 阪急
リー ロッテ
井出竜也 日本ハム
辻 発彦 西武
藤本博史 南海、ダイエー
岡崎 郁 巨人
仁村 徹 中日
角 富士夫 ヤクルト
新庄剛志 阪神
石井琢朗 横浜

 カープで背番号「5」といえば、振り返ってみると、確かに藤井弘選手や町田公二郎選手、栗原健太選手など、長年にわたって「5」を背負っていた選手はいるのですが、全体的に見て、主力選手が付けがちな1ケタの背番号でありながら、その持ち主はコロコロ代わり、さらに外国人選手が多いという印象があります。特にカープ黄金期のシェーン選手へギャレット選手など、カープ打線の一翼を担った選手も目立ちます。
 
 そして、2016年には、1991年のバークレオ選手以来、実に25年ぶりに、この年の新助っ人・ルナ選手が「5」をつけることになりました。チームの4番として貢献しましたが、故障がやっぱり多かった…。結局1年でチームを去ることになり、2017年は新助っ人のペーニャ選手がつけることになりましたが、1年で終了。2018年はカープの歴史で初めて、背番号「5」が空席となりました。

 2019年にFA人的補償で巨人からカープに移籍した長野久義選手が、2年ぶりにこの背番号をつけることになりました。巨人の主力だった長野選手が、カープの「5」を引き継いだのです。近年は激動が続く背番号「5」…長野選手が長く背負うのかと思われましたが、出番が減ってきたベテランに対して、球団は「ユニフォームを脱ぐなら巨人で」という配慮で、2022年オフ、巨人へ無償トレードでの移籍が発表されました。

 そんな長野選手が背番号「5」の後継として選んだのが西川龍馬選手だったと言います。長野選手のたっての願いもあり、西川選手へと受け継がれることになりました。西川選手は2023年のオフにFA権を行使して、幼少期から慣れ親しんだ大阪、そして憧れのオリックスへ移籍することになり、再び背番号「5」は空き番号となったのですが、2025年からはそれまで背番号「51」をつけていた小園海斗が「5」を付けることになりました。小園選手が新たな「5」の歴史を紡いでくれることでしょう。

 全体的に見ると、栗原選手のような長距離砲よりも、むしろ技巧派型の選手が多いという印象があります。今ではカープに在籍し、2012年で現役を引退した石井琢選手も横浜時代に「5」をつけており、「5」のイメージが強い代表的な選手といえます。

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