<カープ、背番号11の変遷>
年代 | 選手名 | 成績 |
1950 | 黒木宗行 | 24試合55打数12安打2本塁打7打点 打率.218 |
1950-1951 | 高木 茂 | 165試合390打数576安打2本塁打29打点 打率.19 |
1952 | 上野義秋 | 247試合568打数131安打3本塁打41打点 打率.231 |
1953-1954 | 光吉 勉 | 出場なし |
1955-1957 | 土屋五郎 | 602試合1466打数372安打7本塁打108打点 打率.254 |
1958-1961 | 拝藤宣雄 | 出場なし |
1962-1969 | 池田英俊 | 251試合83勝82敗 防御率2.83 |
1970-1973 | 木原義隆 | 242試合35勝56敗 防御率3.42 |
1974-1985 | 池谷公二郎 | 325試合103勝84敗10S 防御率4.13 |
1986-1988 | 高木宣宏 | 97試合16勝18敗0S 防御率3.85 |
1989-2000 | 紀藤真琴 | 474試合78勝73敗16S 防御率4.07 |
2001-2004 | 横松寿一 | 1試合0勝0敗0S 防御率18.00 |
2005-2007 | 小山田保裕 | 251試合19勝26敗37S 防御率4.04 |
2008-2009 | ルイス | 55試合26勝17敗0S 防御率2.82 |
2010 | ヒューバー | 80試合177打数39安打7本塁打17打点 打率.220 |
2011-2018 | 福井優也 | 154試合32勝41敗0S 防御率4.58 |
2021-2024 | 九里亜蓮 | 現役 |
<他球団の主な背番号11>
選手名 | 球団 |
村山 実 | 阪神(永久欠番) |
斎藤雅樹 | 巨人 |
斎藤 隆 | 大洋・横浜 |
荒木大輔 | ヤクルト |
川上憲伸 | 中日 |
石井丈裕 | 西武 |
大島康徳 | 日本ハム |
佐藤義則 | 阪急・オリックス |
野茂英雄 | 近鉄 |
プロ野球界でのエース番号といえば、やはり「18」。でも、その次に思い浮かべる数字といえば、やはり「11」ですよね。カープの歴代「11」と言えば、チーム創世記には野手も多かったのですが、1960年代に入ると、やはり投手専門の数字になったようです。池谷公二郎投手以降、投手のつける数字となったことはカープでも例外ではありません。
2010年、約40年ぶりに背番号「11」を野手がつけることになりましたが、この数字はやはり「18」に次ぐエース候補がつけるべき数字。だからこそ、野手に明け渡すのではなく、あくまでもエース格の期待がある投手に付けるべき番号で、2011年からはその年のドラフト1位ルーキーだった福井投手がつけることになりました。しかし、2018年のオフに東北楽天へトレード。そのため、2019年のシーズンはカープの歴史で初めて、背番号「11」が空席となりましたが、2021年からは、前年まで「12」をつけていた九里投手が、念願の「11」をつけることになり、そしていきなり最多勝のタイトルを獲得。カープの「11」といえば九里投手…今ではそのイメージがすっかり定着していたのですが、2024年オフ、オリックスへFA移籍が決まり、再び「11」は空席となりました。
<カープ、背番号12の変遷>
年代 | 選手名 | 成績 |
1950 |
山崎明男
|
15試合36打数8安打0本塁打2打点 打率.222 |
1951 | 山口政信 | 512試合1660打数402安打11本塁打206打点 打率.242 |
1952 | 門前真佐人 | 1203試合3761打数892安打80本塁打543打点 打率.237 |
1953-1956 | 榊原盛毅 | 47試合2勝7敗0S 防御率6.21 |
1957-1972 | 田中 尊 | 1429試合3166打数619安打8本塁打173打点 打率.196 |
1973-1974 | 松林 茂 | 87試合4勝5敗1S 防御率3.93 |
1975-1976 | 若生智男 | 628試合121勝120敗2S 防御率2.71 |
1977 | 鵜飼克雄 | 36試合1勝4敗0S 防御率5.88 |
1978-1982 | 田辺繁文 | 1試合0勝0敗0S 防御率18.00 |
1983-1985 1989-1990 |
高木宣宏 | 97試合16勝18敗0S 防御率3.85 |
1986-1987 | 森脇浩司 | 843試合1095打数244安打14本塁打75打点 打率.223 |
1988 | 紀藤真琴 | 474試合78勝73敗16S 防御率4.07 |
1991-1994 | 高山郁夫 | 92試合12勝12敗0S 防御率5.16 |
1996-1998 | 加藤伸一 | 350試合93勝103敗12S 防御率4.21 |
1999 | デハート | 6試合0勝1敗0S 防御率8.53 |
2000-2003 | 河野昌人 | 110試合7勝16敗10S 防御率5.82 |
2004-2007 | 白浜裕太 | 現役 |
2008-2009 | 小窪哲也 | 705試合1484打数385安打18本塁打153打点 打率.259 |
2010-2011 | 武内久士 | 11試合0勝1敗0S 防御率5.47 |
2012-2013 | 上野弘文 | 154試合8勝7敗2S 防御率5.35 |
2014-2020 | 九里亜蓮 | 現役 |
2021- | 大道温貴 | 現役 |
<他球団の主な背番号12>
選手名 | 球団 |
呂 明賜 | 巨人 |
福間 納 | 阪神 |
井上祐二 | 南海・福岡ダイエー |
垣内哲也 | 西武 |
袴田英利 | ロッテ |
大熊忠義 | 阪急 |
真喜志康永 | 近鉄 |
背番号が「10」番台といえば、やはり投手というイメージがありますが、カープにおいても、他球団においても、けして投手とは限らないのがこの「12」のようです。特にカープにおいては、背番号「12」を最も長くつけていたのは1957年から16年間「12」でプレーした田中尊選手で、しかも捕手でした。
そのため、背番号「12」は必ずしも投手の番号ではないのですが、全体的に見れば、やはり投手の方が多いという傾向があります。最近では、白浜選手や小窪選手といった野手がつけていた時期もありますが、2010年からは武内投手が背負ったことで、7年ぶりに投手の手に戻りました。2014年から九里亜蓮投手が引き継ぎ、7年間にわたって背負ってきましたが、2020年に8勝を挙げるなど、先発としての活躍が認められ、準エース格の背番号である「11」へ昇格。代わって、2021年からは当時新加入の速球派右腕の大道温貴投手が背負っており、3年目の2023年には中継ぎとして急成長を見せました。
<カープ、背番号13の変遷>
年代 | 選手名 | 成績 |
1950-1952 |
笠松 実
|
270試合70勝96敗0S 防御率2.96 |
1954-1956 | 望月重勝 | 17試合0勝5敗0S 防御率5.62 |
1957 | 川越亀二 | 17試合8打数0安打0本塁打1打点 打率.000 |
1958 | 佐川守一 | 32試合2勝1敗0S 防御率3.95 |
1959-1961 | 上田利治 | 121試合257打数56安打2本塁打17打点 打率.218 |
1962 | 竜 憲一 | 426試合60勝68敗0S 防御率3.51 |
1963 | 長尾辰雄 | 32試合31打数1安打0本塁打1打点 打率.032 |
1964 | ロナルド大森 | 出場なし |
1966-1968 | 白石静生 | 394試合93勝111敗2S 防御率3.81 |
1969 | 八木 孝 | 20試合0勝1敗0S 防御率6.32 |
1970-1974 | 千葉 剛 | 7試合0勝2敗0S 防御率4.41 |
1978-1980 | 高木真一 | 5試合0勝0敗0S 防御率7.71 |
1981 | 土居正史 | 93試合5勝6敗1S 防御率4.91 |
1982-1983 | 高橋俊春 | 25試合0勝2敗0S 防御率4.46 |
1984 | 川端 順 | 310試合46勝26敗19S 防御率3.00 |
1990 | 栗田 聡 | 出場なし |
1991 | 田代尚幸 | 出場なし |
1992 | 津野 浩 | 231試合53勝71敗0S 防御率4.61 |
1993-1994 | 前田耕司 | 95試合5勝2敗0S 防御率5.48 |
1998 | 富岡久貴 | 76試合1勝4敗0S 防御率4.20 |
1999 | 山田喜久夫 | 222試合6勝8敗0S 防御率3.76 |
2000-2004 | 菊地原 毅 | 474試合15勝26敗3S 防御率4.51 |
2007-2008 | 佐竹健太 | 261試合5勝8敗0S 防御率4.91 |
2008-2009 | 牧野 塁 | 222試合13勝23敗2S 防御率4.33 |
2010-2012 | 堂林翔太 | 現役 |
2013-2014 | キラ・K | 154試合512打数25安打25本塁打85打点 打率.258 |
2015 | J・グスマン | 34試合100打数23安打3本塁打12打点 打率.230 |
2016 | J・プライディ | 出場なし |
2017-2020 | 矢崎拓也 | 現役 |
2021- | 森浦大輔 | 現役 |
<他球団の主な背番号13>
選手名 | 球団 |
西口文也 | 西武 |
柴田保光 | 日本ハム |
葛西 稔 | 阪神 |
宮本和知 | 巨人 |
近藤真一 | 中日 |
加藤博人 | ヤクルト |
若い背番号ほど主力選手がつけるイメージがありますが、この「13」に関しては、何か他とは違う雰囲気があります。そもそも外国人選手が忌み嫌うために、この番号を助っ人が着用することはほとんどありません。そしてカープで見ても、この13番を2000年から5年間着用した菊地原投手が最も長くなっており、短いときは1年、1985〜1989年には誰も着けることがないほど、あまり安定しない番号のようです。
さらに見てみると、1992年の津野投手は日本ハム、1993年の前田投手は西武、1998年の富岡投手の西武、1999年の山田投手は中日と移籍してきた投手がつけることも多かった番号のようです。ただ、2010年からは堂林選手がカープとしては1963年以来の「13」番野手となりましたが、アメリカではアレックス・ロドリゲス選手の番号だけに、何かイメージが変わってきたのでしょう。それゆえに、堂林選手の後はキラ選手、そしてグスマン選手、プライディ選手と助っ人野手が立て続けにつけました。
2017年からは期待のドラ1・加藤拓也投手(後に矢崎に改姓)がつけることになりました。投手では2009年以来8年ぶりのことになります。さらに2021年からは当時新加入の森浦大輔投手が背負うことになり、中継ぎ左腕として1年目から活躍を続けています。そう、過去にこの番号を背負った投手を見ると、左腕が多いのです。カープでは左腕にふさわしい番号でもあります。
<カープ、背番号14の変遷>
年代 | 選手名 | 成績 |
1950〜1951 | 田所重蔵 | 121試合252打数52安打4本塁打24打点 打率.206 |
1952〜1956 | 太田垣喜夫 | 446試合115勝149敗0S 防御率2.96 |
1957〜1958 | 山田清志 | 99試合3勝22敗0S 防御率4.41 |
1959〜1964 | 弘瀬昌彦 | 348試合44勝61敗0S 防御率3.32 |
1965〜1979 | 外木場義郎 | 445試合138勝131敗3S 防御率2.88 |
1980〜1984 | 片岡光宏 | 179試合395打数96安打15本塁打44打点 打率.243 |
1985〜1991 | 津田恒実 | 286試合49勝41敗90S 防御率3.31 |
1993〜1996 | 鈴木 健 | 21試合1勝7敗0S 防御率7.05 |
1997〜2005 | 澤崎俊和 | 180試合24勝17敗15S 防御率4.70 |
2006〜2007 | 梅原伸亮 | 3試合0勝0敗0S 防御率6.75 |
2008〜2013 | 篠田純平 | 99試合20勝26敗0S 防御率4.24 |
2014〜 | 大瀬良大地 | 現役 |
<他球団の主な背番号14>
選手名 | 球団 |
パチョレック | 大洋・横浜 |
沢村栄治 | 巨人(永久欠番) |
中村勝広 | 阪神 |
小宮山悟 | ロッテ |
阿波野秀幸 | 近鉄 |
今中慎二 | 中日 |
宮本賢治 | ヤクルト |
若田部健一 | ダイエー |
石井貴 | 西武 |
プロ野球界でのエース番号といえば、やはり「18」。もちろんこの番号はカープでもエースナンバーなのですが、カープにあるもう一つのエースナンバーといえば、やはり「14」を挙げる方も多いのではないでしょうか。
1度の完全試合、2度のノーヒットノーランを演じた外木場義郎投手はプロ通算138勝を挙げ、広島が初優勝を飾った1975年には20勝を挙げ、最多勝利のタイトルも獲得しました。また津田恒実投手は「炎のストッパー」として、気迫にあふれる投球はファンを魅了しました。脳腫瘍のために32歳の若さでこの世を去ったことは非常に残念です・・・。また沢崎俊和投手は1年目から12勝を挙げ、見事新人王を獲得しました。その後、この背番号「14」の輝かしい歴史はとまってしまったかのように見えます。
しかし、2014年から新たに背番号「14」の歴史に名を連ねる大瀬良大地投手が、2018年にシーズン15勝をマークし、最多勝&最高勝率のタイトルに輝き、2019年からは5年連続で開幕投手を務めました。津田2022年、2023年となかなか思うような結果を残せずにいますが、チームの精神的支柱という点でも右のエースと呼ぶに相応しい存在であることは変わりません。背番号「14」は津田さんのカラーを受け継ぎ、それに大瀬良色という新たなカラーがプラスされつつあります。
プロ全体で見ても、巨人の沢村投手は永久欠番となっているほか、各球団でエースを務めたような投手が名を連ねています。
<カープ、背番号15の変遷>
年代 | 選手名 | 成績 |
1950〜1951 | 内藤幸三 | 368試合92勝141敗 防御率3.27 |
1951〜1952 | 斉藤宗美 | 出場なし |
1952 | 野田誠二 | 128試合214打数49安打2本塁打16打点 打率.229 |
1953〜1958 | 小鶴誠 | 1655試合6141打数1717安打230本塁打923打点 打率.280 |
1959〜1961 | 井洋雄 | 16試合1勝1敗0S 防御率5.00 |
1962 | 西村宏 | 1試合0勝0敗0S 防御率0.00 |
1963 | 蔦行雄 | 出場なし |
1964〜1967 | 森川卓郎 | 52試合4勝7敗0S 防御率2.99 |
1968〜1969 | 朝井茂治 | 885試合2584打数579安打57本塁打214打点 打率.224 |
1970〜1972 | 中山光哉 | 9試合0勝0敗0S 防御率3.86 |
1973〜1976 | 川畑和人 | 89試合9勝10敗0S 防御率3.89 |
1977 | 門田純良 | 21試合2勝1敗1S 防御率3.72 |
1978〜1979 | 下地勝治 | 1軍出場なし |
1980〜1981 | 安仁屋宗八 | 655試合119勝124敗22S 防御率3.08 |
1982〜1984 | 津田恒美 | 286試合49勝41敗90S 防御率3.31 |
1985〜1987 | 松林和雄 | 38試合43打数7安打2本塁打5打点 打率.163 |
1988〜1996 | 片瀬清利 | 127試合16勝22敗2S 防御率3.85 |
1997〜2007 2015〜 |
黒田博樹 | (日本)321試合124勝105敗1S 防御率3.55 (大リーグ)212試合79勝79敗0S 防御率3.45 |
<他球団の主な背番号15>
選手名 | 球団 |
西沢道夫 | 中日(永久欠番) |
湯舟敏郎 | 阪神 |
山倉和博 | 巨人 |
岡林洋一 | ヤクルト |
藤井将雄 | 福岡ダイエー |
松沼博久 | 西武 |
荘勝雄 | ロッテ |
福盛和男 | 東北楽天 |
かつて、背番号「15」というのは、かつてはコロコロと選手が定着しない背番号でもありました。1〜2年程度のスパンで、背番号が変更されるというパターンを繰り返していましたが、1988年から付けた片瀬投手のころから、その傾向も少しずつ変わってきたようで、1997年からは黒田投手が付けるようになりました。
2015年に、大リーグからの巨額のオファーを蹴ってまで、カープ復帰を決めた黒田投手が再び「15」のユニフォームに袖を通し、復帰1年目に11勝を挙げました。その年限りでの引退もささやかれましたが、周りからの現役続行を希望する声が相次ぎ、さらに1年、現役続行を決意。そして臨んだ2016年のシーズンで、チームは一丸となり、自身も日米通算200勝を達成し、ついに25年ぶりのリーグ制覇を成し遂げたのです。お金で選択したのではなく、待ってくれたカープファンのために…その「男気」。多くの感動を与えてくれた黒田投手の背番号「15」は、カープでは山本浩二さんの「8」、衣笠祥雄さんの「3」に次いで、球団では3番目となる永久欠番となりました。